は昨晩――ここぞとばかりに、ひとつ、我が侭を言った。

幼い頃が懐かしく、紺之介と同じ布団で眠りたいと懇願したのだった。

白狐はそれでも一瞬躊躇ったが、仙人よろしくさすがに感も鋭い。

咎めてやるのも可愛そうと思ったのか、うんいいよ、と微笑んだ。

だから本当に子供のように――あの頃と同じように…。

は虚空の刻を埋めるが如く、久方ぶりの穏やかな安堵の眠りを堪能したのだった。











まあ――勿論と言えば勿論なのだが、それっきり寝床は分かたれてしまった。

――まああの頃とて分かれてはいたのだが。



「倫理的にどうかと思うし」



そう言って白狐はにへらと笑った。

それはそうだろう。

はもう幼子では無いし、立派な大人なのだ。

父よ母よと甘える歳ももうとうに過ぎている。

解っている――、解っているという事に関しては、おそらく誰よりも、解っている。

解っているからこそ吐いた―…我が侭、なのだから――。



















「はあ!?一緒に寝て何もされなかった!?」

「…何かされた方が良かったみたいな言い方なさらないで」



居酒屋弁天、開店準備中。

鶏の皮を剥ぎながら、は弁天を睨んだ。

白狐も料理は美味いのだが、割烹はなぜか――弁天が煮た方が、美味い。それはもう、ものすごく美味い。

弁天の作るそれは、白狐の作る家庭料理の優しさとは少し違う、

どことなく――品のある外の味がするのだ。

つまり――この八咫烏は良い物を食べて育ってきた――坊ちゃんという事だ。

育ちが違うのだ。が、それ以上に弁天という人は自分が一番大切なのだ。

舌も肥えるから、料理も美味い。

それを下々の者に作り恵んでやるのだがら、食す者は金を出せ。

そう考えると…なんだかとても…この商売は弁天という理に適っているような気がした。



「あー解ってる解ってる…―やっぱなー。

 …ま、仮にもアイツは育ての親だしな。

 そういやお前は…―よく俺とも寝たがったよな」

「…その言い方、なんだか物凄く語弊があってよ」



慣れたように受け流すの様子を見て、弁天は至極満足そうに笑い転げた。

そもそも弁天のいじめっこ体質の凄まじさに対して、

この程度の可愛い戯言で済まされているのはだけなのである。

叢雲から聞いた話では、乳子のを見た第一声が

「ちょーど可愛い妹が欲しかったんだ」だそうである。

まだ会った事は無いのだが、弁天の実の弟などとは

比べ物にならぬほど大事にしてもらった…ようではある。



「ねえ弁天。今年はもうお花見はなさった?

 私の木は沖野邸(京都)だから此処(魔都)には無いけれど、

 いつか見頃の頃に皆で見れるといいわね。

 あ、ねえ、東京ってウエノの桜が有名なのでしょ?

 あの()たちも大変みたい。

 咲くっていうか、なんかもう折られやしないか気が気じゃ無いそうよ?

 …弁天?ねえ…弁天?もしもし?」



ふっと弁天の方を見れば、見目美しい八咫烏は、咥え煙草でを見つめ――にっと笑った。





















「桜が戻ったんだから花見しようぜ」



弁天の一声で満開の夜桜を堪能せんが如く、

一行は上野公園――ではなく…なぜか…




……京都に居た。




弁天、白狐、叢雲、鈍…そして






先程まで鶏肉の皮を剥いでいたはずなのに…。

呆気に取られたまま、気が付いたら中央線、東京駅、新幹線『のぞみ』――そして京都駅。

――言っておくが経費は全て叢雲持ちである。

状況を飲み込めず成すがまま、されるがままに座席に座っていると、

ふいに弁天が―とてもわざとらしく―ぼやく様に、呟いたのだった。



「…この面子で花見するなんて、五百年ぶりだぜ」



そう――耳を疑った。

車内で問いただしたところに寄れば、

どうやらあれ以来、白狐は花見をしていないと言う――。

胸が――ちくりと痛んだ。

あの九尾の狐が、あれだけ至極に好んだ花見を棄てたなんて――。

信じられないと同時に、無償に切ない感情に見舞われた。



「…―紺」

「ん?」



だからせめて――…、



「…ありがとう」



は精一杯に笑った。





















京都駅に着くと――そこには当たり前のように、沖野家遣いの黒塗リムジンが止まっていた。


(――本当に弁天(この男)は抜け目が無い――)


手をひらひらさせながら後部座席のど真ん中に鎮座し、

日頃から弁天に慣れに慣れまくっている以外の3人は、

既に気に留める様子は微塵も無く、当たり前の様に車に乗り込んだ。

もやっと我に返り、師達に倣うようにして慌てて車に乗り込んだ。


(――そうよ…このペースだわ…おそろしく懐かしい、この感じ――)


流れ逝く夜の京都の町並みを見遣りながら、はこそりと微笑んだ。






沖野邸では、真夜子と千両が弁天様御一行を出迎えてくれた。



「おやおや――はもう帰ってきたのかえ」



そんな口調でも西の魔女こと真夜子は至極愛しそうに、つっと微笑んだ。

が神木桜の木の下――塚から蘇ったとき、

頭の良い真夜子はすぐに東へ上らせる事はしなかった。

五百年の刻、何が起こり何を選び視れば良いのかを、に明快に諭してくれたのだった。

もちろんも意識の枝を張り巡らせて、人の世の移り気をその都度悟っては来たのだが、

魔女の視て来た世を言葉によって教わる事は、

とても有意義でまたとても貴重な情報であった。



「ただいま真夜子。少し(わたし)を――愛でたくなって」



庭の桜――の木が見える、その宴席に、一同は通された。



「…――あれぞの桜よな。とくと召されよ……のう?…白狐」



ぬばたまの空にあしらわれた見事な満月を後光にして――その桜は立っていた。

白桃(しろもも)の花弁を、さらさらと優雅の夜風に遊ばせながら、

見事な枝ぶりを天いっぱいに広げ、壮麗な出で立ちで佇んで――。

神木と謳われるその桜に引き寄せられ、誰一人、目が剥がせないでいた。

絶句した白狐の瞳は、桜色に揺れていた。

涙が出るほど美しいその姿――。

五百年前、の首を此処へ収めた刻には、想像もつかなかった――この美しさよ。

白狐は心中に迷い無く思った――罪深いほどに優雅な桜だ―…と。

甘い香りが肺を巡る、感嘆と静寂の幕を引いたのは――やはり自身だった。



「…――月が友、とは…とても心強い事ね。

 (わたし)が一番、美しく見せて差し上げられる晩ですもの」



悪戯っぽく笑うと、どこか泣きそうな顔で笑う弁天に小突かれた。






更には――これも当たり前のように、宴の準備がされた。

宴…と言ってもようは身内でにぎやかにする程度だから、

京料理と、先程弁天が作っていた割烹料理―タッパーに入れて持って来た―

甘い菓子など、気取らぬ豪華さで持て成されていた。

桜を肴に酒を嗜み、魔物の宴は賑やかに過ぎてゆく。

花を愛でつつも、空きに空いた腹を満たす一行に逸れて、

白狐は未だ――ぽつねんと縁側に腰掛け、桜を見ていた。

その様が捨て置けずに、は小鉢の盆を持ってそっと白狐の隣に腰掛けた。

箸を差し出すと、白狐は思い出したように微笑み、控えめに小鉢を突付いた。



「…――思い出すとね、辛くって。

 毎年此処(さくら)に――手を合わせに来てたんだけどねえ」



やっぱり(はな)の季節にはどうしても来られなかったんだよね、と哀しげに笑った。



「…紺が(わたし)に会いに来てくれただけで、私は充分嬉しかったのよ」



ありがとう、と幸福そうに笑った。

一年で一度の白狐の訪問に、土に眠るの意識は、どれほど喜び打ち震えた事か――。

それを言葉で表すのは、とても難しい。

そうして白狐が自分の事を覚えていてくれる事が、の何よりの誇りであった。



「…この腕が永久に狐の白い尾を抱けずとも。

 哀れな桜の、千の想いを伝えられずとも…。

 私の生の悦びは、全て紺の隣に置いてきてよ。

 紺の腕で生き、紺の腕で果てる――これは私の望、」



の細い指先が、そっと白狐の胡蝶に触れた。



「紺が居たから――私はとても幸せな女として逝けたのね」



この胡蝶が何よりも強く知らしめていた。



「…――綺麗な、桜だね。本当に―…、綺麗だ」






刹那、白狐は無性に――その服を剥ぎ取り、の背中――、

その甘い肌に棲む、白き猛虎をたまらなく視たい――そんな妄執に、捕らわれた。

















 ス パ ン !

















唐突に、快活な音を上げて襖が割れた。

そこには眉間に深い皺を刻んだ――…凶祓い、志萬安吾が…――立っていた。











はて見張っているのか見張られているのか――。

平素見かけるだけならば、立場も関係ももはや有耶無耶な、真夜子の同級生でもある。



「おお安吾や。瘴気に呼ばれて来たのかえ?」

「当ッたり前や!!」



ではそなたも加わるか、そう言ってその小口に手を添えて、

魔女はしれっと返した。



「…――志萬か」

「ん?あー。何だ。エクソシストか」

「……やあ志萬クン、こんばんわ」



安吾の目前に用意されていた光景は、思いの外、豪華な魔物の集いに違いなかった。



西の魔女、真夜子――そして魔女の使い魔、猫又、千両。

月狼、叢雲――。

八咫烏、弁天――。

九尾の狐もとい、白狐――。



四巨頭と名高い選良された妖怪。



「…こんなどエライ瘴気が一度に西に集まったら、なんぼアホでも、」



そうそうたる面子が今宵満月の夜に集うなど、

和解したとは言え凶祓いが見過ごせる訳も無かった。



「……――この――薫り、」



嗚呼――威嚇の牙が、手折られる。

鼻を染めるひどく清らかな、匂いの誘惑。

ふいに上げた視線の先には――見事な神木桜が、麗に狂い咲いていた。

安吾はまほろばを確かめるようにすん、と匂いを嗅ぐと、

白狐の後ろに隠れるようにしてこちらを伺っていた娘――を見た。



「…コレ――自分か」



ふいに安吾の目が、の視線と絡んだ。

どうしていいか咄嗟に判断が付かなかったが――応えるように小さく頷いた。

すると安吾は目を細め、満ち足りたような声音で言った。



「…綺麗やな」



凶祓い(志萬)に切られた首を、そっと押さえていた手が――ゆるゆると解けるのが解った。

安吾は――夜気に咲き誇る桜を見据え、ふ、と笑んだ。











にとって――志萬は最も嫌悪する匂いを纏う存在(一族)であった。

それはあまりにも蠱惑の麝香。

芳しすぎるが故の、抗えない魔性の、暴力的な魅力――。

それを嗅ぐ度に――は志萬夢を…思い出す。

怖ろしい――嗚呼――阿片の如く、惑わす麝香よ。

脳髄がぼうとする身を破滅させる薫り――誘惑の、麝香――。











結局、安吾は魔物に言われるがまま、花見に興じることに相成った。

なかば安吾の意志を無視した形ではあったのだが――安吾も桜は嫌いではなかったから――。

四巨頭の中で麗しく微笑む桜は――志萬家の者に首を切られ、一度死んだのだと言う。

紅葉狩りは良いが桜狩りは悪趣味だと言って冗談めかせて笑っていた。

は怖じず、よく気が利く――安吾は純粋に美しいモノだ、と思った。

夜空を彩る淡い花を堪能しながら、客観的な立場からか、ふいに思った事がある。

と白狐の間に蔓延る――言い知れぬ渦。無言の感情。

真夜子と千両とは少し違う、あれを何と言い表すのだろうか――。

縁側に並んで座ると白狐を見ながら、安吾は叢雲にそんな素朴な言葉を漏らしていた。



「…志萬安吾」

「な、なんや」



鋭い銀の目が安吾の宝石の目を上からじっと見据えた。



「…――その歳でそれだけ解りゃ――大したもんだ」



肩を並べるあの二人のわずかな隙間に漂う、虚空。


(――なんで二人して、あんな物悲しそうにしてんねや――)


目に見えない鎖で縛ってしまいたいのに――それを躊躇うような、あの距離が――、

今宵はひどく、印象深かった。


























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20090927 呱々音