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は昨晩――ここぞとばかりに、ひとつ、我が侭を言った。 幼い頃が懐かしく、紺之介と同じ布団で眠りたいと懇願したのだった。 白狐はそれでも一瞬躊躇ったが、仙人よろしくさすがに感も鋭い。 咎めてやるのも可愛そうと思ったのか、うんいいよ、と微笑んだ。 だから本当に子供のように――あの頃と同じように…。 は虚空の刻を埋めるが如く、久方ぶりの穏やかな安堵の眠りを堪能したのだった。
――まああの頃とて分かれてはいたのだが。
それはそうだろう。 はもう幼子では無いし、立派な大人なのだ。 父よ母よと甘える歳ももうとうに過ぎている。 解っている――、解っているという事に関しては、おそらく誰よりも、解っている。 解っているからこそ吐いた―…我が侭、なのだから――。
「…何かされた方が良かったみたいな言い方なさらないで」
鶏の皮を剥ぎながら、は弁天を睨んだ。 白狐も料理は美味いのだが、割烹はなぜか――弁天が煮た方が、美味い。それはもう、ものすごく美味い。 弁天の作るそれは、白狐の作る家庭料理の優しさとは少し違う、 どことなく――品のある外の味がするのだ。 つまり――この八咫烏は良い物を食べて育ってきた――坊ちゃんという事だ。 育ちが違うのだ。が、それ以上に弁天という人は自分が一番大切なのだ。 舌も肥えるから、料理も美味い。 それを下々の者に作り恵んでやるのだがら、食す者は金を出せ。 そう考えると…なんだかとても…この商売は弁天という理に適っているような気がした。
…ま、仮にもアイツは育ての親だしな。 そういやお前は…―よく俺とも寝たがったよな」 「…その言い方、なんだか物凄く語弊があってよ」
そもそも弁天のいじめっこ体質の凄まじさに対して、 この程度の可愛い戯言で済まされているのはだけなのである。 叢雲から聞いた話では、乳子のを見た第一声が 「ちょーど可愛い妹が欲しかったんだ」だそうである。 まだ会った事は無いのだが、弁天の実の弟などとは 比べ物にならぬほど大事にしてもらった…ようではある。
私の木は沖野邸だから此処 いつか見頃の頃に皆で見れるといいわね。 あ、ねえ、東京ってウエノの桜が有名なのでしょ?
あの桜 咲くっていうか、なんかもう折られやしないか気が気じゃ無いそうよ? …弁天?ねえ…弁天?もしもし?」
一行は上野公園――ではなく…なぜか…
呆気に取られたまま、気が付いたら中央線、東京駅、新幹線『のぞみ』――そして京都駅。 ――言っておくが経費は全て叢雲持ちである。 状況を飲み込めず成すがまま、されるがままに座席に座っていると、 ふいに弁天が―とてもわざとらしく―ぼやく様に、呟いたのだった。
車内で問いただしたところに寄れば、 どうやらあれ以来、白狐は花見をしていないと言う――。 胸が――ちくりと痛んだ。 あの九尾の狐が、あれだけ至極に好んだ花見を棄てたなんて――。 信じられないと同時に、無償に切ない感情に見舞われた。
「ん?」
日頃から弁天に慣れに慣れまくっている以外の3人は、 既に気に留める様子は微塵も無く、当たり前の様に車に乗り込んだ。 もやっと我に返り、師達に倣うようにして慌てて車に乗り込んだ。
が神木桜の木の下――塚から蘇ったとき、 頭の良い真夜子はすぐに東へ上らせる事はしなかった。 五百年の刻、何が起こり何を選び視れば良いのかを、に明快に諭してくれたのだった。 もちろんも意識の枝を張り巡らせて、人の世の移り気をその都度悟っては来たのだが、 魔女の視て来た世を言葉によって教わる事は、 とても有意義でまたとても貴重な情報であった。
白桃(しろもも)の花弁を、さらさらと優雅の夜風に遊ばせながら、 見事な枝ぶりを天いっぱいに広げ、壮麗な出で立ちで佇んで――。 神木と謳われるその桜に引き寄せられ、誰一人、目が剥がせないでいた。 絶句した白狐の瞳は、桜色に揺れていた。 涙が出るほど美しいその姿――。 五百年前、の首を此処へ収めた刻には、想像もつかなかった――この美しさよ。 白狐は心中に迷い無く思った――罪深いほどに優雅な桜だ―…と。 甘い香りが肺を巡る、感嘆と静寂の幕を引いたのは――やはり自身だった。
桜
宴…と言ってもようは身内でにぎやかにする程度だから、 京料理と、先程弁天が作っていた割烹料理―タッパーに入れて持って来た― 甘い菓子など、気取らぬ豪華さで持て成されていた。 桜を肴に酒を嗜み、魔物の宴は賑やかに過ぎてゆく。 花を愛でつつも、空きに空いた腹を満たす一行に逸れて、 白狐は未だ――ぽつねんと縁側に腰掛け、桜を見ていた。 その様が捨て置けずに、は小鉢の盆を持ってそっと白狐の隣に腰掛けた。 箸を差し出すと、白狐は思い出したように微笑み、控えめに小鉢を突付いた。
毎年此処
一年で一度の白狐の訪問に、土に眠るの意識は、どれほど喜び打ち震えた事か――。 それを言葉で表すのは、とても難しい。 そうして白狐が自分の事を覚えていてくれる事が、の何よりの誇りであった。
哀れな桜の、千の想いを伝えられずとも…。 私の生の悦びは、全て紺の隣に置いてきてよ。 紺の腕で生き、紺の腕で果てる――これは私の望、」
その甘い肌に棲む、白き猛虎をたまらなく視たい――そんな妄執に、捕らわれた。
そこには眉間に深い皺を刻んだ――…凶祓い、志萬安吾が…――立っていた。
平素見かけるだけならば、立場も関係ももはや有耶無耶な、真夜子の同級生でもある。
「当ッたり前や!!」
魔女はしれっと返した。
「ん?あー。何だ。エクソシストか」 「……やあ志萬クン、こんばんわ」
月狼、叢雲――。 八咫烏、弁天――。 九尾の狐もとい、白狐――。
和解したとは言え凶祓いが見過ごせる訳も無かった。
鼻を染めるひどく清らかな、匂いの誘惑。 ふいに上げた視線の先には――見事な神木桜が、麗に狂い咲いていた。 安吾はまほろばを確かめるようにすん、と匂いを嗅ぐと、 白狐の後ろに隠れるようにしてこちらを伺っていた娘――を見た。
どうしていいか咄嗟に判断が付かなかったが――応えるように小さく頷いた。 すると安吾は目を細め、満ち足りたような声音で言った。
安吾は――夜気に咲き誇る桜を見据え、ふ、と笑んだ。
それはあまりにも蠱惑の麝香。 芳しすぎるが故の、抗えない魔性の、暴力的な魅力――。 それを嗅ぐ度に――は志萬夢を…思い出す。 怖ろしい――嗚呼――阿片の如く、惑わす麝香よ。 脳髄がぼうとする身を破滅させる薫り――誘惑の、麝香――。
なかば安吾の意志を無視した形ではあったのだが――安吾も桜は嫌いではなかったから――。 四巨頭の中で麗しく微笑む桜は――志萬家の者に首を切られ、一度死んだのだと言う。 紅葉狩りは良いが桜狩りは悪趣味だと言って冗談めかせて笑っていた。 は怖じず、よく気が利く――安吾は純粋に美しいモノだ、と思った。 夜空を彩る淡い花を堪能しながら、客観的な立場からか、ふいに思った事がある。 と白狐の間に蔓延る――言い知れぬ渦。無言の感情。 真夜子と千両とは少し違う、あれを何と言い表すのだろうか――。 縁側に並んで座ると白狐を見ながら、安吾は叢雲にそんな素朴な言葉を漏らしていた。
「な、なんや」
今宵はひどく、印象深かった。
20090927 呱々音 |