「罪の子――?」






「ええ、そうよ」



イグニスはと並んで真夜中のハイドパークを歩いていた。

先刻の事を思い返せば、物の1時間後にこのような状況が訪れるとは

予想も付かなかっただろう。


早い話が――抗えなかった。


は穏やかに微笑むと、そのままベンチに腰掛けた。

そして片手で自分の隣を示すと、イグニスにも腰掛を勧めた。

イグニスはそこまで従順に成り下がったように振舞うつもりは無かったから、

顔を反らして拒否を示した。

その意思表示を目にしたが、喉の奥で小さく笑ったような気がした。



「――お前はシャムロックの血を引く者…なのか?」



は頷いた。



「――晩年のシャムロックは悔いていた。

 若い頃の彼の過ち――、彼はある公爵夫人と通じ、そして夫人は…彼の子を宿した。

 直後夫人は病で夫を失い、夫との間に授かった子として、

 孤独という暗闇の中に射す、一筋の希望に縋るように…お腹の子を産み落とした――」



とうとうと紡ぎ出される話に、の瞳が少し哀しげな光を宿しているのは、

おそらく気のせいではないのだろう…。

イグニスの心中は、未だに穏やかではなかったが、

月光を浴びて痛々しく輝くの横顔を……そう心地の悪くないものとして見つめていた。



「奔放なシャムロックもまた、歳を取る毎に罪の意識に苛まれるようになった――。

 自分の命が尽きようとしている事を悟ったシャムロックは、

 一冊の本と石を持って、若き日に愛した女性の下を訪ねた。

 ――本は懺悔録。そして石は…シャムロックの力を分けた石」


「シャムロックの…石―…、」




そう呟き、確かに自分の中に埋め込まれたであろう石を探すように、

イグニスは所在無げに自分の胸に手を当てた。




「…………、」

「――あの家は護られていた」




イグニスの心中を察したかのように、釘を打つように話は続く。




「――その石は人形を契約で縛るための物では無く、

 今後続いていくであろう、罪深き人形師シャムロックの血筋を分けた…子孫を護るための物だった」

「……護る」

「そう――イグニス、……貴方の、殲滅から」

「……、通りで、私は――、お前という人形師の事を…知らないはずだ」




の目がイグニスを捕え、口元がまた妖しく微笑む。

彼女に漂う優雅の毒の正体――。

それは自分が慕ったシャムロックその人の血を濃く引く者だからこそのそれであった。




「――彼の持って来た懺悔録には、イグニス――貴方たち精霊人形の事も書いてあった。

 事細かに。一体一体――労わるように、愛すように――。

   自分の創った人形たちが、近い将来、出生を恨むかもしれない事。

 その時のためにイグニス――彼が全てを託した人形が存在する事。

 貴方はシャムロックの“力”を持つ人形師を目当てとするだろう、と。

 だから以降、たとえ“力”を持って生まれてこなくとも、

 シャムロックの血を引く者は…決して人形創りをしてはいけない――と」




戸惑いと混乱が入り乱れていた。

シャムロックはイグニスにそんなことは何も良い残さなかった。

何も――言い残してはくれなかった――。

彼がこんなにも抗えない状況――それこそが彼女の話を裏付けていて怖ろしかった。




「イグニス――、シャムロックの当時のパトロンを覚えてらして?」



遠慮なく確信に触れんばかりの、強い何かが込められていた。

イグニスは一瞬黙った――が、彼の記憶にも…思い当たりすぎる人物がいた。



「……まさか…、あの公爵の…夫人が…」

「そう。ウィルキンソン公爵夫人――。

 …では、ウィルキンソン公爵家の呪いを、ご存知?」




イグニスは小さく首を振った。

は小さく目を伏せた。




「――呪いか代償か…どちらでも同じ事だけれど…、

 それ以降公爵家には罪の子として女しか生まれなくなった――。

 …とても皮肉だけれど、貴方がお察しの通り…私は直系に当たる」



「…―待て…お前は先刻、名をシャムロックと名乗った。

 ウィルキンソンの直系ならば…なぜシャムロックと名乗った?

 そして…身分を人形師、と。

 人形創りはシャムロックに禁じられた…最も危険な行為なのではないか?」




――そう――それは――、私に殺されてしまう行為だから――




は目元を綻ばせた。

そして月夜にゆらめく綺麗な水面を見つめながら、呟くように告白した。




「…私は―…貴方を探していたから…、」




イグニスの心中が一瞬にして掻き乱される。

彼女の声は甘く穏やかなのに――、

彼にとっては不躾な程に暴力的な魅力だった。




「秘した名を名乗れば――、

 貴方はきっと…私に興味を持ってくれると…解っていたから…、」




そんな事をしなくても。

すれ違った時から、本能がこの娘に警鐘を鳴らしていた。

邪悪で高貴な拐かし――。

血の由縁に、抗えなかったのだから――。




「先に断っておくけれど…禁じられた行為――、

 人形創りを始めたのは―…貴方を誘き寄せたかったからではないの。

 不思議な物で…禁じられれば禁じられる程、私は人形に惹かれていった…。

 人形に命を吹き込まなければ良いのだと、あの方の本は教えてくれていた。

 読めば読むほど…そして創れば創るほど――、

 私は………イグニスという孤独な精霊人形の事を想って、憔悴した」


「…憔、悴…?」


「ええ―…目に見えて、明らかに憔悴していった」




娘は一度死に掛けたのだと言う。

それは一種の妄執のせいだったのかもしれない、と何でもない事のように笑った。




「床に伏した時、ホブルディという青年が、主に代わって見舞いにやってきた――、

 私は彼を見た瞬間、彼の正体が何であるかを悟った。

 そして…、涙が溢れて止まらないの――。

 勿論、彼は何も知らないのだけれど…。

 それでもイグニスの事を尋ねると、快く教えてくれた」




――あの金髪の腹黒は今――そうだ…確かあのどうしようもない貴族の下に遣えていたか――




「私は小さな頃から、なぜ近くにあるはずのシャムロックの館に辿り着けないのかが疑問だった。

 …イグニスが幻惑の森に囲っていたのね…。

 つまり…どこに居るかは解らないけれど、

 ホブルディのお陰で、貴方が近くにいるのだという事が解って…、

 私はここまで回復し、人形師とシャムロックの女という罪を背負い…―今こうして…ここにいるの」




彼女はそこまで言い終わると、辛そうにほんの少しだけ身を捩った。

今までの話から察するに――この娘は病み上がりなのだろう。

孤独に看取ったシャムロックの、今際(いまわ)の時の姿がちらついて、

イグニスは居た堪れずに、思わずに声を掛けていた。




「、どうした―…しっかりしろ。何処か、痛むのか?」




はゆっくり首を振ると、隣に、と呟いた。

言われるままイグニスがベンチに腰を下ろすと――、

この魅惑的な生き物は――イグニスの肩に、頭を預けた。

しかしそれは図々しくも無く、控えめに…寄り添うように…縋るように…。




「…、ごめんなさい、イグニス…少しだけ肩を…貸して頂戴…。

 貴方を見つけたら何だかひどく安心してしまったの。

 きっと、気が…緩んだのね――情け無い話」




人間とは無縁の執行者たる精霊人形に、躊躇も無く頼りきって、

しかもこの娘は…安堵している。



何もかもが不可解で、イグニスの心中は穏やかではなかった。

だが――。

この娘の、愚かな妄執は……決して不快の一言で軽率に一蹴するには…あまりにも―…。




――私を……想う――?




訳が、解らなかった。








「…――人形師の娘――お前の家は…今もウィルキンソン邸なのだな?」








は弾かれたように顔を上げると、吸い込まんばかりに目を大きく見開いて、

イグニスの真紅の瞳を見つめた。

彼のガラス玉の奥に、確実に宿っているであろう真意を…探るように。



イグニスも今度は自ら望むようにの瞳を覗き込んでいた。

深い深い湖水のような、幻想的な瞳の中を――。

彼は水に溺れた事など無かったが、それでも彼女の瞳に溺れるような感覚を覚えた。




――シャムロックの罪深い残り香なのだろうか…それともこの娘自身の、――


は擦れた声で呟いた。




「…―ええ…もうずっと…あの家の所在は変わっていないわ」
























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『悪魔のトリル』/ タルティーニ

20090808 呱々音