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「罪の子――?」
先刻の事を思い返せば、物の1時間後にこのような状況が訪れるとは 予想も付かなかっただろう。
そして片手で自分の隣を示すと、イグニスにも腰掛を勧めた。 イグニスはそこまで従順に成り下がったように振舞うつもりは無かったから、 顔を反らして拒否を示した。 その意思表示を目にしたが、喉の奥で小さく笑ったような気がした。
若い頃の彼の過ち――、彼はある公爵夫人と通じ、そして夫人は…彼の子を宿した。 直後夫人は病で夫を失い、夫との間に授かった子として、 孤独という暗闇の中に射す、一筋の希望に縋るように…お腹の子を産み落とした――」
おそらく気のせいではないのだろう…。 イグニスの心中は、未だに穏やかではなかったが、 月光を浴びて痛々しく輝くの横顔を……そう心地の悪くないものとして見つめていた。
自分の命が尽きようとしている事を悟ったシャムロックは、 一冊の本と石を持って、若き日に愛した女性の下を訪ねた。 ――本は懺悔録。そして石は…シャムロックの力を分けた石」
イグニスは所在無げに自分の胸に手を当てた。
「――あの家は護られていた」
今後続いていくであろう、罪深き人形師シャムロックの血筋を分けた…子孫を護るための物だった」 「……護る」 「そう――イグニス、……貴方の、殲滅から」 「……、通りで、私は――、お前という人形師の事を…知らないはずだ」
彼女に漂う優雅の毒の正体――。 それは自分が慕ったシャムロックその人の血を濃く引く者だからこそのそれであった。
事細かに。一体一体――労わるように、愛すように――。 自分の創った人形たちが、近い将来、出生を恨むかもしれない事。 その時のためにイグニス――彼が全てを託した人形が存在する事。 貴方はシャムロックの“力”を持つ人形師を目当てとするだろう、と。 だから以降、たとえ“力”を持って生まれてこなくとも、 シャムロックの血を引く者は…決して人形創りをしてはいけない――と」
シャムロックはイグニスにそんなことは何も良い残さなかった。 何も――言い残してはくれなかった――。 彼がこんなにも抗えない状況――それこそが彼女の話を裏付けていて怖ろしかった。
イグニスは一瞬黙った――が、彼の記憶にも…思い当たりすぎる人物がいた。
「そう。ウィルキンソン公爵夫人――。 …では、ウィルキンソン公爵家の呪いを、ご存知?」
は小さく目を伏せた。
それ以降公爵家には罪の子として女しか生まれなくなった――。 …とても皮肉だけれど、貴方がお察しの通り…私は直系に当たる」
ウィルキンソンの直系ならば…なぜシャムロックと名乗った? そして…身分を人形師、と。 人形創りはシャムロックに禁じられた…最も危険な行為なのではないか?」
そして月夜にゆらめく綺麗な水面を見つめながら、呟くように告白した。
彼女の声は甘く穏やかなのに――、 彼にとっては不躾な程に暴力的な魅力だった。
貴方はきっと…私に興味を持ってくれると…解っていたから…、」
すれ違った時から、本能がこの娘に警鐘を鳴らしていた。 邪悪で高貴な拐かし――。 血の由縁に、抗えなかったのだから――。
人形創りを始めたのは―…貴方を誘き寄せたかったからではないの。 不思議な物で…禁じられれば禁じられる程、私は人形に惹かれていった…。 人形に命を吹き込まなければ良いのだと、あの方の本は教えてくれていた。 読めば読むほど…そして創れば創るほど――、 私は………イグニスという孤独な精霊人形の事を想って、憔悴した」
それは一種の妄執のせいだったのかもしれない、と何でもない事のように笑った。
私は彼を見た瞬間、彼の正体が何であるかを悟った。 そして…、涙が溢れて止まらないの――。 勿論、彼は何も知らないのだけれど…。 それでもイグニスの事を尋ねると、快く教えてくれた」
…イグニスが幻惑の森に囲っていたのね…。 つまり…どこに居るかは解らないけれど、 ホブルディのお陰で、貴方が近くにいるのだという事が解って…、 私はここまで回復し、人形師とシャムロックの女という罪を背負い…―今こうして…ここにいるの」
今までの話から察するに――この娘は病み上がりなのだろう。 孤独に看取ったシャムロックの、今際(いまわ)の時の姿がちらついて、 イグニスは居た堪れずに、思わずに声を掛けていた。
言われるままイグニスがベンチに腰を下ろすと――、 この魅惑的な生き物は――イグニスの肩に、頭を預けた。 しかしそれは図々しくも無く、控えめに…寄り添うように…縋るように…。
貴方を見つけたら何だかひどく安心してしまったの。 きっと、気が…緩んだのね――情け無い話」
しかもこの娘は…安堵している。
だが――。 この娘の、愚かな妄執は……決して不快の一言で軽率に一蹴するには…あまりにも―…。
イグニスの真紅の瞳を見つめた。 彼のガラス玉の奥に、確実に宿っているであろう真意を…探るように。
深い深い湖水のような、幻想的な瞳の中を――。 彼は水に溺れた事など無かったが、それでも彼女の瞳に溺れるような感覚を覚えた。
『悪魔のトリル』/ タルティーニ
20090808 呱々音 |