寒空の下、夜気に紛れて路地裏を縫う。

“気配を感じ取れ、人形師を殺せ”と天命が肩に圧し掛かる。

この空虚な身体の軋む、みしみしという音が聞こえてきそうな程、重く――厚く――。























月だけがやけに明瞭に発光するから、降り注ぐ死んだ光が更に罪の重たさを煽るようだった。

近頃は何かと物騒で、人はほとんど出歩かない。

この界隈では娼婦と酔っ払いの醜悪な駆け引きもほとんど存在しなかったから、

夜半はこと静かなものであった。

銀髪の彼は――イグニスは――、畏怖すべき人形師の気配を捜し求め、彷徨っていた。

その表情は至極冷静に見えるけれども、どこか迫るものが見え隠れしている。

追っているのか逃げているのか…彼自身が解らなくなるほどに…

悠久とも言える数百年の月日の重たさに、参り始めているのかもしれない。
















シャムロックという男が居た。



彼は優秀な人形師――5体の霊人形を、この世に産み落とした創造主。

イグニスは…彼に創られた精霊人形。

イグニスにとってシャムロックは、父であり、友人であり――神、であり――。

鍵を持たず、5体の精霊人形が望むその時、彼らを人形という器から開放へ導くための、

主人を持たない孤独な精霊人形…。

唯一無二、崇拝するように慕ったシャムロックが没した後尚、

イグニスは独り、ただ独り……解放の執行者として、永き眠りにもつかず、

半ば取り憑かれたように人形師を探し彷徨った。



――それがシャムロックとの唯一の約束であり…絆――



人間に遣える事で世に絶望するであろう人形を思って、

罪の元凶である人形師の殲滅をしなくては――。











平素ならこのように闇雲に街を彷徨い、人形師を捜し求めるような真似はしない。

結界深く佇むシャムロックの館に篭り、その罪人の気配を感じ取ってから

呼応するように姿を現し、そして――。

けれど今夜は何故か……じっとしていられなかった。

心は、あるのだ――だから気配を待つだけの時間が怖ろしく…耐えられぬ夜もあるのだ。

そういう意味では今宵は別段人形師の気配はしなかった。

自らの使命を理由に、ただ彷徨っている――

――だけのはずであった。

一際入り組んだ路地を抜け、大通りに抜ける。

道幅の広い通りだけでなく街は不気味なほどに静まり返っていて、

誰一人の気配も無く。

そう――気配など――どこにも――、否――。



イグニスが我に返ると同時に、隣にはケープローブを纏った人物があった。

擦れ違った瞬間であったらしかった。

イグニスは良い知れぬ旋律に背筋と喉の奥を緊張させる。

その人物から普通の人間とは違う気配を感じ取り、

今自分の横を通り過ぎていったその人物を振り返ると、

威嚇を露に剣を抜き、吼えた。




「貴様――何者だ、」




その人物はそう浴びせられるのを予期していたのか、待っていたのか――、

当然の事の様にゆっくりとイグニスを振り返ると、

言った。




「なんて――呪わしい存在」




嘲るようにも、同情するようにも取れる――その声――。

それが女性のものだと、鈍くも明瞭に解った。

その声が今確かに言ったのだ――呪わしい存在――と。

イグニスは戦慄した。




「……な…ん…だと」




そんな言葉しか咄嗟に返せない自分が滑稽だった。

だがこの動揺は尋常ではない。

正体の解せない予感が、目の前の人間を――畏れている。



女は頭をすっぽりと隠していたローブをするりと下ろし、

その顔を晒した――その――美しい――、――顔を――。




美しかった。




面相や出で立ちの類から言っているのでは、ない――。

今宵のような月夜がひどく…似合っていたから…。




動揺と警戒を剥き出しに威嚇するイグニス――、

そんな彼から目を離す事もせず、彼女はゆっくりと彼に歩み寄る。



絡め取るような目、毒だ、抗えない。



彼女はふっとイグニスの剣に目線を落とすと、静かに言い放った。




「そんな物騒な物…、お収めなさい」

「……ふざけるな…!貴様は一体、」




「収めるのです――イグニス」

「…!」




訳が解らなかった。

人間と接触の無い自分を、ましてや名を知る者が、何故存在すると言うのだ?

未知の存在がこんなにも警戒の洪水となって押し寄せているのに、それなのに…。

イグニスの心には、この女には抗えないという思いが、毒の如く巡り、

一瞬でも、不本意な期待と良い知れぬ恐怖を感じてしまった自分が

厭わしくて仕方が無かった。



迷い無く言われた言葉に、剣こそ下ろしたものの、意地もあってか剣を収める事はしなかった。




「…ありがとう――」




彼女が薄らと微笑むと、更に不思議な力に支配されるような感覚を受けた。

無駄だと解っていても、振り払うように頭を振った。




「…―お前は…」




イグニスは自分よりも幾分小さなその女に向かって、憎々しげに問い掛けた。

彼女はイグニスの逃げようとする目を再びその瞳で捕えて、

艶やかな声で呟くように答えた。




「私は人形師――」

「……名は?」



彼女は妖しく笑った。

・シャムロック――」




――シャムロック?

今――そう言ったのか?この娘は――シャムロック――?




イグニスは明らかに狼狽していた。

言っている意味が良く解らない。

それにこの娘は――危険だ。

まるで――毒。

甘く蠱惑的な――毒。




「…っ…、…シャムロックの…血族なのか……?」

「――彼には――不義の子供がいた」

「な…っ」




イグニスの知る限り、シャムロックに血肉を分けた親類は居ない。

ではこの娘は一体何者なのだ?

名乗られて尚、混乱だけが増した。




「…真相が知りたければ付いてお出でなさい…イグニス」


























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『BABEL』/love solfege

20090808 呱々音