cinq





私の話をしようと思う。

何も、ただ単に遥か彼方の海を越え、西洋の地に降り立った、東洋の娘ではないのだから…。

そう…土地も違えば、時代も違うのだ。

私が生きた時代は、ここでは遠い未来とされ、

トリップなんて聞こえの良い言い方をしたって、とにかく私は、

この世にたったひとつも縋る物を持ち得ない、無知で哀れな女でしかなかった。





 * * *





学園内で、一枚鏡の落石事故があった。

それが起こるまでの事は、所々抜け落ちているけど、覚えている。

自分の名前と、ぶつ切りにされた記憶を、哀しい手土産にして、

私は…その一枚鏡に、すっかり潰されたはずだった。

…少なくとも、そう記憶している。

青春の総てを、歌と踊りの稽古にささげ、生きてきた。

父は画家で、母はバレリーナだった。

そう、そうだ…芸術をこよなく愛す家庭に育ったのだ。

順風満帆の青く輝く人生は、悲惨な事故に巻き込まれ、終わったはずだった。

しかし、私が再び目を覚ましたとき、目に入ってきたのは、

病院の白い壁でも、自宅の天井でも、ましてや黒い棺桶の中でもなく…

寒空のフランス…パリの郊外だった。

父が毎年連れて行ってくれた、あのめくるめくパリとは、全く雰囲気が違った。

建物は同じような出でたちでも、そこに息づく人々の、実に優雅なこと…。

訳もわからず、ウィンドウに映る自分の姿を、何度も確認したものだった。

容姿は日本人の私そのもの…しかし明らかにこの土地では不自然な、黄色い肌、黒髪―…

まだ偏見と秩序に満たされた、あの時代のパリだった。

知りえるフランス語を、総動員しても、声を掛ける前に避けられるのが落ちだった。

ようやく不親切ではあったが、教えてもらったのは、19世紀の真っ只中という事だけ…

当初はとても混乱し、深く眠り起きた時には、すべてが元に戻るだろうと、

本気で思い込む有様だった。

しかし幾ら眠れど、町並みは変わらず、

私の知っている高層ビルや電車は、一向に姿を現してくれる事は無かった。

私が移動したの?それとも記憶が移動したの?

もしかしたら、ただ気が触れただけの、本当の時代の東洋の娘なのだろうか?

パリの郊外の森に隠れて、何も食べずに、身を縮こまらせて考えあぐねた。

ようやっと、いつの時代であろうが、泣いても何も現状は変わらないのだと解った。

それに気付いた時には、何か口にしたいという、本能的な欲でいっぱいだった。

いっそ街へと思い、森を出た…その時だ。

セルジュ率いる、見世物一座に、見つかってしまった。

物珍しい黒髪に、すっかり汚れてしまった、身寄りの無いであろう出で立ち…

「たまげた…東洋の娘だ!すっかり頬は扱けてるが、こりゃあ良い…!

 オリエントか…!なんて珍しい!1年間の移動興行を始める矢先だなんて!

 なんてついているんだ!そいつは良い金になるぞ!」

逃げる暇など与えられずに、まるで子供が無邪気に、蝶々を1匹籠にいれるかの如く、

私は一座の荷車に閉じ込められた。

逃げようなんて考えるんじゃないぞ、とこの世のものとは思えない声音で忠告された。

ひどく衰弱していた為に、思考能力は完全に下を切り、

考えるのは、無情なまでに、暖かい家の事だった。







ある晩、セルジュが私を押し倒し、息を荒げて服を剥ぎ取ったので、

私は思わず、嘘をでっち上げた。

「こんな女が、道に落ちていたという事が、どういう事だか…考えるといいわ!

 ちょっと考えれば解るわよ…!東洋の方にしかない…それも女だけの奇病よ!

 そんな女を犯して、二度と使い物にならなくなった西洋人を、何人も見てきたわ!」

セルジュは顔を真っ青にし、何て使えない娘だ!騙された!などと、

フランス語とは思えない罵声を浴びせて、手を挙げ、怒りをぶつけてきた。

犯されるより、何倍もマシだった。

とにかくこの戦いだけは、私は出し抜いたのだ。

口から血が出たが、これは勝利の証だ…などと、呑気な事を考えていた。

翌日「穢れた魔女め、何か出来る事はないのか」と聞かれ、

私は歌と踊りが出来ると答えるかどうか、しばらく悩み、言葉を濁していた。

するとセルジュは、その短期で理不尽な理由を建前に、

私の腕を掴み、非道な躾をするための部屋へと連れて行った。

背中をむき出しにされ、なんの躊躇いもなく、皮で出来た鞭が、私を打った。

その瞬間、自分でも上げた事のないような、

耳を劈く悲鳴が、天まで届くのを感じた。

気付けば私のテントは、吸い寄せられるように集まってきた野次馬で埋められ、

当のセルジュは腰が抜け、しかし口元には、抜け目なく、

何か良い事を思いついたという、不適な笑みを引き攣らせていた。

…それを境に、私の生き地獄が始まったのだ。

アヘンやモルヒネなどに、引けを取らない中毒性を持つ悲鳴を上げる、オリエント―…

いつしかセルジュが冗談で使った"魔女"は、私の名前となっていた。

エスカレートしていく拷問に、確実に枯れ、死んでゆく私の心…

次から次に知らない土地で、満足を知らない客相手の"声売り"をさせられるのだ…。

いつだったか、悲鳴ではなく、唄を歌って見せる…と持ちかけた事があった。

セルジュは不満気だが、唄ってみろと言ったので、

千秋の思いで、歌声を披露しようとした…のだが…。

…そうだ、美しい声など、とうに潰れてしまっていた。

セルジュは最初から唄っていれば良かったのになと大笑いし、

私はただただ呆然と立ち尽くし、唯一の希望が、今目の前で死んでいくのを見た気がした。

とにかく、この様な仕打ちをされても、一向に死ぬことだけは拒む身体を、

心底憎らしく思うのも、時間の問題だった。

早く細菌が回って、本当の奇病にかかって死ねればいいと思っていた。

そもそもなぜ、あの1枚鏡は私の命を奪ってくれなかったのか…!

誰にも信じてもらえないであろう理由、打ち明けることの無い理由を、

さっさと砕いて飲み込むには、まだ恨みたい物が多すぎた。

すっかり"魔女"になってしまった私を引き連れ、

見世物一座は、1年と数ヶ月ぶりに、再びパリの郊外へ戻ってきたのだった。











T O P /  N E X T








★::::★::::★::::★::::★

しばらく回想が続きます。

トリップものだったという…

20070501 狐々音