「この度はお招きに預かれてとても光栄です」


本当にそうなのだろう。

中禅寺の言葉の端々には隠しきれない興奮が滲んでいる。珍しいことだ。


「僕こそ、ようやく君たちに会うことが叶ったよ。

 僕はの父、真純です。どうぞよろしく」


そう言ってあまり馴染みのない握手を求めて手を差し出した。

中禅寺は戸惑うこと無くその手を握り返した。


「お噂はかねがね聞き及んでおります。

 最近では欧州で教鞭を取られる事が多いようですね。

 先日も英国へ行かれたとか。長旅でお疲れでは無かったですか」

「お気遣いをありがとう。僕はすこぶる元気だよ」


紳士はにこにこと笑った。


「そして榎木津君も、初めましてだね。幹麿さんはお変わり無いかな」


榎木津は至極にこやかな笑みで即答した。


「父は相変わらずです。

 こちらへ招待を受けたと父に報告致しましたら、

 それはもう歌を歌って喜んでおりました」


これは一体どんなやりとりなのだ。


「僕はこんな性格だから。

 すっかり堅苦しいのには縁遠くなってしまったけれど。

 どこの席へ行っても幹麿さんとお会いするのだけが、僕の楽しみでね。

 いつも二人で色々なお話をしていたね」

「今度是非、父の蟋蟀を見てやって下さい」


そうか、爵位が――あるのか、家には――。

父君は懐かしむようにありがとう、と何度も頷くと、仕切り直すように咳払いをした。


「この図書館は奇抜で珍妙な本が…というかそんな本ばかりだけど、

 まあ、その関係でね。会員制なんだ。うん、ああ、もう知っているよね。

 僕も正直、君たちのような若者がこの図書館に興味を持ってくれた事がとても嬉しくてね。

 今日は存分に堪能してくれたら僕も嬉しいよ」


中禅寺は傍目には解らない位微かに目を輝かせた。

この男は今日という日を本当に楽しみにしていたのだ。

名のある権威に媚びるような真似をしない中禅寺が

尊敬の念を示す場面に立ち会える事は、そうそうあるものではない。


「さて!お腹はすかせて来たね?本の前にお昼にしよう。

 僕はもうお腹がぺこぺこだ。昼食が済んだら、君たちに本を見せようね」




















昼食は温室庭園の円卓へ運ばれていた。

異国の植物に囲まれ、異国の料理を食す。

平素なら本格的な西洋料理であればあるほど食べた気がしない物なのだが、

これはいわゆる仏国の家庭料理というモノらしかった。

しかも父君は形式に則った食べ方を強いる訳では無く、

砕けた食べ方でいいからと言って、先陣を切って食べ始めた。

そして若者なのだから遠慮せず食べなさいと皿に山と盛られた。

パンは母君とが今朝焼いたのだと言う。


「これは美味しい!」


榎木津が恍惚と叫んだ。

確かにこれは美味かった。

すかすかしたパンより米を食べたいと思う私ですら食が進み、子供のように3つも食べてしまった。

腹も膨れた頃、西洋陶器一式が並べられた。

すると慣れた手つきで家の主人自ら茶を入れ始めた。


「これは英国式のお茶ね。昼食は仏国。ちぐはぐだね」


にへらと笑っているが、手元はとても正確である。

私はこのお茶がとても好きになれないのだが、

出されたお茶はなんでもゴオルデンルウルという物に則って煎れられた紅茶らしく、

色味も鮮やかで渋みもなく、とてもさっぱりとしていた。


「日本人の舌は素直だからね。

 僕だって飲むのなら美味しいお茶を飲みたいもの。色々勉強したんだね」


紅茶を嗜むという行為が一際似合うくせにもそもそした菓子を好まない榎木津だが、

幸いにして食後に出されたのはしっとりとした芋のケイキだった。

黙っていれば画になる。

と並んで西洋陶器に口づける姿は――完璧だった。

絵画の様なその姿をぼんやりと見つめていると、

絵空では無い体温を持つが陶器を置き、膝にかけていたナプキンで小さな唇を拭った。


「ね、お父様。そろそろみなさんを図書館へお連れしましょう?」




















短い廊下を渡る。

玄関と同じ樫製の立派な扉を開けると――そこには広がっていた――本の世界だ。

本の洪水と言わんばかりの、本、本、本――。

それもほとんどが舶来の本である。

開放的な空間の壁という壁が堆く整頓された本で埋められている。

本は鼻腔に埃の匂いを運ぶ――しかし嫌いではない。

そう大きくもないこの図書館の中央には、舶来の絨毯が敷かれ、

その上には西洋ランプが置かれた席が四組と、貸借を行う立派な机が鎮座していた。

どうやら父君の指定席はこの貸借用の机らしかった。

一際目を惹く黒革張りの椅子の上には、季節に似合わず格子縞の膝掛けが置いてあった。

机上には書類と本が揃えられてあって、期日を印字するためのゴム判子などが並んでいる。

私はしばらくそうして未知の世界に目を凝らしていた。

父君が嬉々とした調子で言った。


「さあ、遠慮などしないで存分に手にとって見てくれ。

 本は誰かに読まれなくては可哀想だからね」


中禅寺の興奮といったら私が今まで一度として見たことが無いものである。

この目敏い友人は、本との対面も早々に次から次へと手にとって

舐めるように文字を追い始めた。

榎木津はそれこそ楽しそうで、あっと言う間に二階へ上ると、

良い眺め、圧巻だ!と手を叩いている。

私も取り残されまいとおろおろと辺りを見回し、とりあえず端から見て回ることにした。

私などには到底、横文字の本など読めるわけも無いのだが、

が選んでくれた美しい飾り画で認められた基督教の聖書や、

色鮮やかな回教の啓典などはとても魅力的だった。

これこそ公の場所でおおっぴらに広げて見られる物では無いし、

それこそ某かの収集品でしかお目にはかかれないだろう。

一般の図書館など言語道断である。

どちらかと言えば私は信仰など持たぬ人間である。

だから純粋にこれらの書物をとても綺麗だと感じた。

何が書かれているか解らない冒涜的な立場だからこそ、

表面を飾るありのままの美しさのみを堪能出来るような気がした。

気がつけば日が陰りだし、がカーテンを引く音で時間の存在を意識した程だった。

父君もまた私と同じように読書に明け暮れていたらしかった。


「おやもうこんな時間なの。早いなあ。関口君、楽しめましたか」

「あ、あの、はい。実に興味深かったです」


私が言うと何もかもが月並みの意見に聞こえる。たとえ本心でも胡散臭い。

だが父君はそうですかそうですかと嬉しそうに頷いた。


「榎木津君、僕で良ければまたいつでも使ってね」

「はい。ありがとうございます。そう言って頂けると勉強も捗ります」


榎木津は今年受験を控える身である。

華族だから学習院だとか国立大へ進学するのだろうが、

どうやらこの男は当たり前のように帝国大学への進学を希望しているらしかった。

いくら優遇の眼鏡があったとしても、

帝大に関して言うのならばあくまでも成績が優秀という事が大前提である。

やはり私には未だに信じられぬ事なのだが、

榎木津は容姿の完璧さに加え、成績もそれはもう大変に優秀である。

そんな榎木津は、どうやら父君に翻訳の指導を乞ったらしかった。

そのような申し出にすら父君は喜んでいた。

さて――肝心な男がまだ本を閉じようとしない。

かじりついた本の虫の尻を叩いて、私たちはそろそろ帰らなくてはいけないのだ。


「おい中禅寺、そろそろ本を閉じてくれよ。また来ればいいじゃないか」

「待ってくれ。あと一寸」

「いいや駄目だ。君の一寸は一寸では済まないのだ」


が中禅寺のそんな様を見て、くすくすと笑った。


「まるでお父様を見ているみたい」

「参ったねえ、僕には痛いほど気持ちが解るなあ。

 中禅寺さん、ここは図書館だから。本は貸してあげる」


中禅寺は弾かれたように顔をあげ、その表情には驚きが張り付いていた。


「ですが、僕は未成年でここの会員でもありません」

「いいのいいの。ほら、君たちはもう会員だね」


そう言って父君は私たちの名前の書かれた小さな会員カアドを手渡した。


「返却期限は二週間です。一度の貸し出しは五冊まで…と、なっているのですが…」


そう言ってはちらりと父君の方を伺った。


「まあ、必要なら。相談に応じるから」


父君はにこにこと笑った。 感無量で言葉を失った中禅寺は何も言わず、

にこにこと微笑む紳士に向かって、ただただ深く頭を下げた。











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「ね、お父様。そろそろみなさんを図書館へお連れしましょう?」

は、完璧に秋彦の「早く図書館見てみたいな〜」という空気を読みましたよね(笑)

20100210 呱々音