定期考査期間の始まる直前の事だった。

あれは―…否、あの問題は…何処から解き、また如何してそういった解が導き出せるものか―…。

当時の私には皆目検討も付かなかった。

別段頼み込むつもりは無かったのだが、正直な話、一人ではとても手に負えるような試験範囲には思えなかった。

同級で同室の中禅寺秋彦は、常日頃からそうであるように就寝前の読書を終えると、仰向けになり

静かに布団を羽織ってうっすらと目を閉じた。

しかしこうして目を閉じている中禅寺が眠っていない事だけは同室の私には解っていた。

気が引けて聞くタイミングを逃していたが、頼むなら今しかないだろうと思った。

暗闇に紛れ、きっと横になる時まで少々難しい顔をしているのであろう中禅寺に声を掛けた。

「………なあ…中禅寺、」

ぼそぼそ、と形容するのが自分でも正しい様に思う。

「……―全く君は…早速睡眠妨害かい?」

よく言う。

中禅寺ほど眠りの浅い男など私は未だ見た事が無い。それ程の眠りじゃ無いか。

ましてやまだ電気を消したばかりだというのに。

「……関口君。僕は理数系の畑の人間じゃ無いんだよ」

質問の内容は…とっくに想定範囲内だったのだろう。

いつもの事ながら…半ば無理矢理僕は続けた。

「そういうけど君は今回の数学の範囲だって恙無く点数を取るんだろ?」

「…君は点数が取れさえすればそれでいいのかい?」

そういう訳じゃあないが―…ようは理解するとはそういう事に―結果として点数に―必然的に繋がるではないか。

「…ッ僕は、何度自分でやってみても解らなかったんだ…頼むよ中禅寺、困ってるんだ。教えてくれよ」

暗闇の中から浅い溜息がひとつ、聞こえた。

そしてしばらくの沈黙の後、中禅寺は承諾してくれた。

「………解ったよ、関口君。ただね、毎回云っているけど」

「解ってるよ。勉強をするなら図書館でだろう?」

今度は私が中禅寺の先を云った。

中禅寺は主導権にあったし、そもそも図書館程煩わしさから隔離された空間もそう無いだろう。

勉学に励むには打って付け…私は其れ位にしか思っていなかった。

すると今度は先程とは違う、フンという溜息が短くひとつ。

「…じゃあ明日、朝一で図書館だ。…まあ…これも」











「猿の尻拭いだと思ってひとつ付き合ってやろうじゃないか!」

朝起きて学生服に袖を通し勉強道具一式を持って何故だか機嫌が良さそうな中禅寺と図書館の前に来ただけだ…

それだけだ。それだけのはずなのに。

どういう訳か僕らの一期先輩の榎さん異榎木津礼二郎が、誇らしげに図書館の入り口に立ちはだかっていた。

私などの目にはむしろ目に痛い位眉目秀麗なその先輩―…どうして今日この勉強会に颯爽と登場したのだ。

私は皆目検討も付かず、唯口をぱくぱくとさせ半ば本能に任せて隣で無反応を示す中禅寺を見た。

「…ち…中禅寺!真逆…ッ君ッ…!」

聞かずとも解るだろう、そう云いだげな不機嫌な視線とぶつかった。

「だから。僕は畑違いだと予め言ってただろう?そうなれば後は先輩に頭を下げて頼むしかない」

「でも!だからってなんで…!なんで榎さんなんだ!」

仮にも後輩の私からのあまりにも率直な意見―にも拘らず誇らしげな榎木津を尻目に、

一応先輩である彼を代行するみたいに中禅寺は大層怪訝な顔をした。

「関口君。先輩の暇を拝借したっていうのに、相変わらず失礼だな君は。

 いいかい榎さんは頭脳明晰―…今回なんか適任じゃないか」

「そうだぞ関君!さあ!早速始めようじゃないか!僕はもう席取りは済ませてあるのだ!

 だから猿のくせに金魚みたいに口をぱくつかせるのは止めるんだね!」

うふふと変な笑い方をしながら、どこぞの軍人みたいに優雅な様で踵を返すと、

榎木津はさっさと図書館の中へと入っていった。

私は矢張りだらしなく開いた口を閉めるのがやっとで、同じく中禅寺が図書館の階段を

中間辺りまで登り始めた頃、やっと彼らの後に付いて行く他無いと悟って後を追った。











 * * *











定期考査を控えた学生として、試験のための勉強をすべきなのは解っている。

逆に云わせて貰えば、今回の定期考査では特に取り急いで勉強をする程の難解な印象は受けない。

それよりも―…今は知りたい事の方が多すぎた。

―僕は調べ物をしようと思っていたのですが―

―よし!なら僕が関君の勉強を見てあげようじゃないか!―

とんとんだった。

憂鬱に陥りがちな関口と、躁病の気のある榎木津。

榎木津は眉目秀麗な破天荒者で周囲は大変理解に苦しむ類の人間。

例に漏れず関口は榎木津を日頃から苦手としている様だが、それでもどちらかと云えば―…

―あれは憧れに近いんだろうな―

そう思って苦笑した。

考査前に空いた時間こそが、僕には貴重だった。

まあ少なく見積もっても―…おそらくあと2時間は榎木津が関口を見てくれるだろう。

その前に粗方の資料を掻き集め、関口に泣き付かれるかもしくは榎木津が飽きてしまうか、

とにかくそのどちらかのお呼びが掛かる頃に、席に着こう。

僕はそこで資料を読み、調べ知る事によって謎を潰そう。











 * * *











矢張り私にはどういう話の流れで榎木津が呼ばれたのか全く理解できず、更に腑に落ちない。

榎木津の秀才さには本当に頭の上がらない物があるからそれは素直に尊敬しよう。

だが…それとこれとは話が違うよと云いたかった。

私の理解出来なかった問題はさらに余計な難解さを煽り、

上手いんだか下手なんだか良く解らない榎木津の説明に混乱し始めていた。

でもいくら榎木津節に翻弄され理解に苦しんでいるとは云え、

矢張り理解している者の云う事と言うのは何処と無く筋が通っている様にも思える。

唯無碍にするのも悪いので、それとなく僕は請う。

「…―榎さん、僕は少し自分で考えてみるよ」

「おや!関君にしては良い心がけだねえ!その心掛けだけは立派だ!」

"だけ"…とは…。

少しだけ放っておいて貰えればもしかしたら冷静に問題を解けるかもしれない。

「では関君。僕は中庭にでも居るから行き詰まったら呼べばいいさ」

榎木津はそれだけ言い残して去って行った。











 * * *











関君が『猿なりに理解したいから自分で考える』と言い出した。

よって僕の有難く貴重な時間は猿に割いてやる必要がなくなり、長閑な時間へと変貌を遂げたのだ。

"本馬鹿"の中禅寺の受け売りでは無いが、本は良い物だと思う。綺麗だ。

だが今の僕の気分は綺麗な本を探すような気分ではないのだ。

外はこんなに晴れていて、庭の芝生も青すぎる。

迷うことなく外へ行く事を決め込んだ。

ツカツカと踵を鳴らし玄関を出ると、わしわしとげとげ元気に伸びる芝生の上へ降り立った。

大きな庭の真ん中には、立派な木が1本だけ不自然に植わっていて、

ふとそれを見やれば―…おや!とても可愛い女の子が、一人木の下で本を広げているじゃあないか。

そよそよ吹く風が、少女の柔らかな後れ毛を撫ぜていく。

僕はふふんと鼻を鳴らすと、とても興味をそそられるその小さな背中に向かって声を掛けた。

「おや君もそんな難しい本を読むのか」

女の子は驚いたように顔を上げて、僕の目を見てちょっと赤くなった。可愛い。

そして柔らかく笑って可愛い顔をもっと可愛いくしながら黒い頭を縦に動かして頷いた。

「もちろん難しくて…。完全に理解するには及びません」

「君は賢い」

「そう…ですか?」

不思議そうに首を傾げて言葉を返すのも可愛い。

気を良くした僕は、同じ様にして木の下の芝に腰を下ろした。

「でも…、実際にこんなに難しい本ばかりを沢山読まれている方がいらっしゃるなんて、」

僕の目に閲覧カアドに書かれた名前が"見えた"ので頷きながら続ける。

「ん?おお!中禅寺の事か!」

「えっ」

すると女の子は小さな口に手を当てて、それはそれは驚いた顔をして見せた。可愛い。

「あの、ええと、」

「榎木津礼二郎」

「あ…榎木津様、それでは中禅寺…秋彦、さま、という方をご存知なのですか?」

大きな目をさらに大きく見開いて煌々させている。可愛い。

「ああ!ご存知、だ!なんだあんなのに会いたいのか。なら行こう、」

あの本馬鹿の事だから、大方全然綺麗じゃない本の棚あたりに噛り付いているだろう。

ええと…

「可愛い子のお名前」

「……かわ…………あの、…………と、申します…」

すっくと立ち上がるとちゃんの手を引っ張って、僕らは再び図書館の玄関を潜った。

本馬鹿の驚く顔が目に浮かぶ!























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話の当事者がころころ変わって読みにくいかもしれません…。

引き続きお相手と絡みが無くてごめんなさい。

20080601 狐々音