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いくつもの山を越え、森を抜け、風間が隠れ里に辿り着いく頃にはもう――。 刻すでに遅し――とはこの事であろう。 むせ返る程の血と硝煙の香りが風に乗って、鼻孔を嬲る。 日はとっくに落ちているが、鬼の目にはそれでも鮮明に惨状が見て取れた。 皆殺し……か。 なんとも皮肉である――が、鬼の歴史にはこういった出来事が常に付きまとう。 薩摩はおそらく落とした里から一旦退いたのだろう。 こんな辺境の地で見張るものなど何も無いわけだから、人間の気配は皆無である。 おそらく少し離れた場所で野営をし、日が昇ったら再度、里の死体の後始末――と言った所か。 風間は薄く唇を噛む。 穢らわしい人間の気配が、風に乗じてにわかに感じられるのが疎ましい――。 見える範囲を超えた更に遠くの方角を、最大の侮蔑を込めて睨んだ。 ――人間風情が!何処までも愚かで下劣な輩よ! そして心の中でただ淡白に、気高き鬼どもの死を憂いだ。 風間は無惨な行く末を、しかとこの目で見届けようと、徐に歩き出した。 畑の土に、小道に、縁側に、折り重なる鬼の骸。 なんと非道極まりなく、そして残忍な仕業であろうか。 欲を満たすために剣と鉛を操る、犬畜生以下の愚鈍な人間どもめ。 そんな姿を嫌と言う程見て来たが、今一度そう罵らずにはいられない。 ましてやそれが一族の恩義を返すべき薩摩の仕業だと言うのだから――。 殊更嫌悪を抱かずにはいられない。 鬼と少なからず関係を持つ薩摩の連中は、 鬼と言えども銀で傷つけられれば傷の治癒が鈍くなり、 人と同じ様に立派な手傷を負う事を知っている。 無惨に斬りつけられた同胞の傷を見れば、 彼らがいかに苦しみながら息を引き取ったかが容易に想像出来た。 気付けば足はまるで誘われたかのように、家邸へと向かっていた。 寝静まったのでは無い――この家も、人も、やはり死んだのだ。 火ひとつ灯る事を止めた死んだ家に上がる。 畳は赤黒く染め上げられている。 血を辿り襖を開けると、無惨な死体が転がっていた。 人間どもよ――なんと非道な振る舞いをしてくれたものか。 冷たいモノと成り果てた其れを、無感動に見つめ――風間はふとある事を思い出す。 風間邸を建てた棟梁と邸を建てた棟梁は――同じ人物ではなかったか。 そう――確か同じ一門に肖って、わざわざこのような僻地まで呼び寄せ、 建てさせたと聞いた記憶がある。 なれば――。
それは当主とその妻子、側近などを確実に生かし護るための策であった。 風間は己の家の造りを頼りに、思い当たる場所を静かに巡った。 案の定――それを知っている者には然した問題もなく、見つかった。 蔵の壁の木片をずらすと、見事にぴたりと嵌め込まれている床板が微かに浮く。 頑丈なその床板を風間は軽々と持ち上げ、暗い階下を覗き込んだ。 見えぬ事も無いが……さすがに火があっても良いか。 蔵の入り口に置いてある油に火を灯せば、心許なくゆらゆらと手元を照らし出す。 それを片手に、軋む階段を一段、また一段と下りてゆく。 酷い――匂いがした。 これは紛う事無き屍の匂いだ。 臆する様子も無く、だが慎重に、風間はすっと手を伸ばし、蔵の底を火で照らして――。
そう広くない地下の暗闇に浮かび上がったのは、魔性の者――否。 嗚呼、あれは忘れる事など叶わぬ、皮肉かな――【 】。
瑠璃色の瞳も今度ばかりは見開かれ、嫌という程彼の目を虚ろに見つめている。 頼り無い少女の小さな足下には、血の海が広がりそこには二体の死体が転がっていた。 どちらも心の臓をひと突きされたようだ。 死人のように青白いの手は血黒く変色し、 螺鈿の施された美しい短刀が――血塗れた手に祈るように握られていた。 何か言おうとしているのか、はたまた何か言わなくてはいけないと 反射的に身体が反応しているのか。 懸命に喉を震わせども、なにも物を言えぬの姿を見て、風間は言った。
身体が言う事を利かぬのだろう。 気持ちでは必死に風間の元へ行こうとしているくせに、 実際は手も足も小刻みに震えているばかりである。 彼は息を吐くと、自ら血の池にひたりと足を浸し、の前に歩み出た。
短刀を握りしめたまま、声も無く涙が溢れ出す。 足先にこつんと当たった短刀の鞘であろう物を、風間は身を屈め、血溜まりから拾い上げた。 同じように、か弱いの手の中で行き場を無くしていた短刀を取り上げると、 それを鞘に納めて懐に仕舞った。 眼前の少女の手は、宙に彷徨い――さながら自分に縋りつくようではないか。 ――哀れな。 目線を移しよく見れば、転がる死体の正体は、 里長である家の主と奥方――の父と母の屍ではないか。 ――これ以上は居た堪れなかった。 風間は舌打ちをすると、手元の火を屍に向かって放り捨てた。 死体は鈍く燃え始める。 空いた両の手でを抱きかかえると、惨状に背を向け地上を目指す。 上りきると、先刻よりも外が明るく感じた。
目立ちすぎると思い馬を引かなかった訳だが、見た限りこの里にも馬が残っている気配は無かった。 早々に逃がしたか――はたまた連れ去られたか――。 とにかく、の様子を見る限り、今は一刻も早くここを離れる事だけ考えねば。 今一度、を見遣る。
これこそが強欲で利己主義な人間が、浅薄に為した罪深き所行だ」
鬼さえ屍となり、刻まれ、射抜かれ、物と積み重ねられている。 今宵の瞳に、月光は輝かない。 言うなれば憎しみの感情すら湧いているのかあやしい――それすら覚束ぬというのが実際か。
俺は奔る……貴様は振り落とされぬよう、せいぜい力の限りしがみ付くがいい」
額には角が生え、緋色の瞳は金色へと変わる。 鬼の力を持って地を強く蹴り、風が如き勢いで獣道を縫い、たちまちに山を下った。 薩摩の陣営があるやも解らぬから、神経を研ぎすまし、 人には到底真似出来ぬ方法で危険を回避する。 鬼の中でも秀でた才を持ち、日頃より鍛錬を怠らぬ風間にしてみれば、 山下りなど雑作も無い事なのだった。
集落の入り口では当然のように天霧が待ち構え、脇を付いてくる。 風間の息も流石に少し上がっていた。 それもそうだろう――なにせ全速力で己の里まで駆け抜けた。 髪と瞳の色も元に戻し、懐中に抱いた血に塗れた少女へ視線を落とす。 少女は――風間の着物に顔を埋めて、襟を力強くひしと握りしめ、泣きながら――。
「!なれば私が、」
風間はの身体をそっと地に下ろしてやる。 覚束ない足取りで、かろうじて立っている状態にも関わらず、 は必死に踏み止まろうと奥歯を噛んでいた。
は陽の逆光のせいか――はたまたその微笑のせいか――、 思わず酔ったように足下が揺らいでしまう。 か細い二の腕をぐいと引き上げて、風間家当主は家の方に向かって少し声を張り上げた。
「ここに」
身を清め、召し替えて差し上げろ。くれぐれも無礼の無いようにな」 「重々承知してございます。 さあ――姫様、どうぞこちらへ。この蓼科が、すっかりお綺麗にして差し上げますからね」
は――途中何度か風間の方を振り返り――屋敷の奥へと姿を姿を消した。
風間は――泥と返り血で汚れた懐から、の短刀を取り出すと、しばし見つめ――。 握った手に力が込められる。 目下に淡く広がる風間の集落を見つめ、小さく呟いた。
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蓼科はオリジナル。ちゃっかりすみません。
風間はご両親を燃やしました。
同じ気高き一族の長として敬意を込め、人間の手で葬られる事を避けたのでしょう。
そして胸の刺傷を見た人間に、万が一でもさんの存在を気取られないようにするため。
それも全てさんのため。
確実に護り抜くための風間の策。
20111020 呱々音