セブルスから魔法薬学の助手を頼まれてから2週間後、

私は生徒達より1日早く、ホグワーツの門を潜った。

不思議な気分だった。

敷地に踏み込んだ途端、ここで学んでいた頃の記憶が

つい昨日の事のように鮮明に脳裏に蘇るのだ。


(…そろそろ過去と向き合わなくてはならないらしい…)


シリウスが脱獄した、と滞在先で聞いたとき、

ひやりとした物が身体中を駆け巡るのを感じたが―…。

それをきっかけに、再びイギリスに戻ってきて良かった気がする。

以前からダンブルドアに教師の打診は受けていたし、

出来ることなら、いつかは小さな教え子を持ちたいとも思っていたが、

しかしまだその時では無い気がして、ずっと断り続けていた。

まさか帰国して早々に、セブルスの提案によってすんなりと

教師としてホグワーツへ舞い戻れるとは、驚きだった。

のろのろと歩いて大きな玄関を入ると、

まるで城の装飾の一部みたいに動かず、不機嫌に眉根を寄せて、

相変わらず真っ黒いセブルスが立っていた。


「遅い。心配を掛けるな」


そう吐き捨てた言葉は決して軽蔑的な口調ではなかった。

ごめんと苦笑いをすると、セブルスは何も言わず私の旅行用カバンを取り上げ

足早に廊下を歩き出す。


「荷物、悪いわ」

「構わん。少しは気を使って我輩の面子を立てたまえ」


セブルスは得意気に薄く笑った。


「校長がお待ちだ」


案内されるまでも無く、懐かしい校長室へと向かって懐かしい城内を歩いていく。

ガーゴイルと向かい合うと、セブルスが合言葉の呪文を唱える。

―明らかに嫌悪を露に―「ちょろちょろネズミグミ」

…なんとも可愛らしい単語を聞くことが出来た。

あとで部屋で一人になったときに思い出して笑おうと心に決めた。


「お入り」


優しい声で迎え入れてくれるのは、

誰よりも素晴らしい大魔法使い―…アルバス・ダンブルドアだ。


「ダンブルドア校長、ご無沙汰しております」

「おお、待っておったんじゃ。よし、よし、元気そうで何よりじゃ」


入り口の付近に立つセブルスの手からは、いつの間にか旅行カバンが消えていた。

入室する前に屋敷しもべに預けたのだろう。


「最後に会ったのは確か5年前じゃの」


ダンブルドアは思い出を反芻するように言った。


「はい」

「君から貰う様々な国の絵葉書は、非常に愉快じゃった」


私は返すようにクスクスと笑った。


「さて、一応校長として言わせてくれんかの。

 まずは教授、ホグワーツへようこそ、そしておかえり。

 限られた期間ではあるが、優秀な先生を迎えられてとても光栄じゃよ。

 あえて言う必要も無いじゃろうが、

 授業の事はセブルスとよぅく話合ってくれれば結構じゃ」


少し鼓動が早くなった。

(…セブルスと、か……私は本当にホグワーツに帰って来たのね…)


「今年は君の他に、もう一人懐かしい卒業生を先生として招いておる。

 セブルス、もう話したかね?」

「いいえ校長」


背後から不機嫌な低い声がした。

セブルスの方へ振り返って目で訴える。

(ちょっと、どうしてその事黙ってたの?)

セブルスは眉を吊り上げて見せるだけでさらりとかわした。


「うむ。では、あとでセブルスに聞くと良いじゃろう」


キラキラした目でちらりとウィンクをしたような気がして、私は笑顔で頷いた。


「ところで、少しだけ教えて欲しい事があるのじゃが…」

「ええ―、喜んで」


ダンブルドアは優しく微笑むと、私の後に立つセブルスに目配せをして、

席を外すよう合図した。

セブルスは少し訝しんだ顔をしたが―それは割といつもの事だ―

小さく一礼して先に退室した。




扉が閉まったのを確認すると、ダンブルドアは少し声に真剣さを含ませた。


「…―辛い思いをしたのじゃろう。

 5年も―…いや、時間の問題ではないことはわかっておる。

 それでもよう耐えて戻ってきてくれた。わしはとても嬉しい」

「何も―…、役に立つことは得られなかったと…思います…」


ローブを握りこんで、顔を歪めた。

ダンブルドアが私の肩を優しく支えた。


「良いのじゃ。それで良い。

 が戻った事だけでなにもいらんのじゃ。十分なんじゃよ」

「でも先生?私は―……っ」




もうとっくに挫けていても可笑しくなかった。

にも関わらず、走り続けた結果ここにこうして帰ってこれた事が、

もうそれ自体奇跡のようにも思えた。


「素晴らしい犠牲じゃったよ。。それこそが"救い"の答えなんじゃよ」


優しく頭を撫でられた時、私はようやく全てを受け入れ、

理解しなくてはいけないのだと"納得"した。

自分の行動を愚かだとは思わない―後悔もしない―。

だがしかし―…。

あまりにも長い、時間が掛かってしまった。



―ホークスが儚く、ひと鳴きした。









 * * *









部屋を出ると顔に張り付くような髪をした黒装束の男が立っていた。


「待っててくれてありがとう」

を部屋に案内せねばならんからな。

 その後で我輩の部屋で少し話がしたい。何の薬を作るのかもまだ話していない」


私の気分は、ダンブルドアの慰めで少し回復していた。

お構いなしにどんどん先へと歩いていくセブルスの腕を捕まえる。

自分の腕を回して、図々しくしがみ付く。

セブルスは一瞬立ち止まったが、何も言わず歩調を緩めた。

穏やかな午後の日差しが降り注ぐ静かな廊下を、お互いに無言で進んだ。

懐かしき地下牢教室へと続く螺旋状の階段を少し降りると、

今まで一度も見た事が無かった部屋が設えてあった。


「……これが…必要の部屋?」

「いかにも」


初めて遭遇したそれは、開くと丁度良い広さの丸い部屋があった。

先に運び込まれていた私の大量の本や器材などが、壁に沿って積み上げられている。


「素敵な部屋ね…良かったわ」


旅行用のローブを脱ぎながら、部屋を見渡した。

部屋はまだ無装飾だったが、とても古く美しい照明がたまらなく素敵だと思った。


「少しだけ荷物を解きたいの。すぐに行くから先に行ってて?

 寮監の部屋で良いんでしょう?」

「ああ、では先に戻る」


先程届けられたであろう、この手で持ってきた旅行カバンを見つけると、

羊皮紙やら羽ペンやら分厚い本やらを取り出した。

閑散とした部屋の整頓は―…とりあえず今は置いておこう。

部屋を出ると更に石畳の階段を深くまで降り、

地下牢教室の隣―、セブルスの部屋の扉を叩いた。

基本的に文句は返って来ても返事は返ってこない部屋だろうから、

息をひとつ吐くくらい間を置いてから、重苦しい扉を開けて勝手に中へ入る。

案の定、部屋の主は目線ひとつも遣さずに羊皮紙を神経質に引っ掻き、

早速仕事をしているようだった。



壁に並んだ年季の入ったホルマリン棚。

希少価値の高い薬品。

生きているのか死んでいるのか判断も付かない瓶詰めの生物。



きっちりと整頓されているそれらの足元には、

おそらく収まりきらなかったのであろう、大きな本がきっちりと積み上げられている。

鍋や秤、薄いガラスの実験器具が所狭しと並ぶ机もあった。

あまりにも彼らしすぎて、口元が緩んでしまった。

(―何年経っても変わらないのね―)


「ニヤニヤしていないで座りたまえ。我輩はもう我慢ならん」


私が椅子に腰掛けるのを待って、セブルスは羽根ペンを置いた。


「…私だって」


セブルスの眉間の皺が深くなった気がする。

あの再会の朝から2週間経ち、ようやくセブルスの緊張は緩んだらしかった。

彼は椅子に深く座り直すと、長く節くれだった指を組み、

まるで祈るように眉間に当て、今まで見た中で最も深く大きな溜息を吐いた。


「………………………我輩が…どれだけ、心配したと、思うのだ…この愚か者」


安堵と苦渋のどちらとも判断し兼ねる声だった。

そしてそれはある程度覚悟していた私の償うべき罪悪感を意味していた。


「…………ごめんなさい。許して欲しいなんて…私にはとても言えないわ…。

 …―何も打ち明けずに居なくなったのよ?

 セブルスに対して…こんな酷い仕打ち…無いわ―…、」

「…―何をしていたのかは…明くまで教えんつもりなのだな?」


答えが解っていても、そう呟かざるを得ないセブルスの気持ちが痛かった。

小さくひとつ頷いた。

セブルスは更に呆れたように溜息を吐いて、苦く笑った。

指を解いて私を真っ直ぐ見る。


の意志が岩より固いのは知っている。安心しろ。

 我輩の方からは…今後一切聞かぬ」


心が痛くて、熱いものが込み上げて来る。


「ありがとう…セブルス…」


何よりも気になるであろう失踪の理由を、セブルスは敢て問わないと約束してくれた。

申し訳なさと有り難さが込み上げた。

彼の優しさが私の心を悉く脆くしてしまう。

はらはらと落ちてゆく温かな水滴を見て、セブルスの顔が険しくなった気がした。

セブルスはゆっくりと席を離れ、私を腕の中の避難所にしっかりと抱き留めた。


「…―もう良い。泣くな…」


指で雨垂れを拭うと、震えるように私の唇を塞いだ。



(…―長かったせい…あまりにも…時間の壁に引き裂かれすぎたせい―…)



どちらとも無く求め合って、貪るように食付いて、深い口付けを求めた。

唇に捕えられたまま、机に押し倒された。

弾みで銀のインク瓶ケースが倒れ、黒い水溜りを作っていく。

セブルスは口付けに浸ったままで、器用に杖を掲げた。

黒い水溜りは何事も無かったように消えてなくなる。

切なくて―…激しくて―…愛しくて―…、

触れられなかった5年を取り戻さんばかりに彼にしっかりとしがみ付いた。

ようやくほんの少しだけ開放された唇は、喘ぐように酸素を求める。

同じ様に息を荒げながら―しかしはっきりと―セブルスの口が動いた。


「我輩は、貴様以上に、愛しいと思った人間を、未だ、かつて、知らん」


耳元で囁かれ神経を侵される。

苦しく胸を上下させ、息を吸い込んで、吐き出して―…。

私は艶美に囁いた。


「……―それって、あなたにとっては、かなり…、屈辱的ね」


返すように首筋を強く吸われた。


「……―全くだ」


真っ直ぐ私を見下すセブルスの口元は、笑っていた。

この上なく極上の出来事の只中で、セブルスの左腕の印を見て、私は涙を流した。

愛していると何度も呟いて。























#02
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だって5年も耐えたんだし…(…)

200806019 狐々音