あれから約1年が、過ぎようとしていた。




過ぎ行く季節を。健やかな日々を――。

イグニスとは、毎日を全身で慈しむ恋人たちの様に振舞って過ごした。

強要されたわけでもなく、頼んだわけでもない。

ただ――に、死に逝く運命を感じさせぬように努めるには、

二人の想いがあまりにも重なりすぎていたから――。




芽生えの春には花を愛で、生命の夏にはボートを滑らせ、実りの秋には毎日散歩をした。

イグニスは自分がそんな風に振舞うことに、感じたことの無い幸福を覚えていた。

夜は悲しくなるが――彼女が眠ったまま目覚めないような気がして――、

それでも柔らかな枕に頭を預けるに横顔に降り注ぐ月の光が、には一番似合うから――。

何とか夜も……耐えられた。

彼女が工房に篭る時間や、眠る時間を使って、

イグニスは方々の精霊人形の下を訪ねていた。



シャムロックの事――、魂の事――、鍵の事――、解放の事――。

そして――ウィルキンソンの呪いと――の運命の事――。



他の精霊人形をまめに訪ねることによって、

イグニスは自らの心の平穏を保とうとしていたのかもしれない。

人形達は皆で手分けして、呪いを解くあらゆる方法を模索した。

しかし――それでも――。

無情なまでに季節は巡り――冬の気配が再び忍び寄る頃――。

何かに感付いた様に――は床に臥した。




「やっぱり――22までも…生きられないのね…、」




覚悟はしていたのだろう。

聞けばウィルキンソン夫人が子供を産み落として亡くなったのが――齢22。

以来娘達は皆、22年を生きる事しか叶わず、その人生に幕を引いてきたのだと言う。

倒れてから3日か…1週間持たずして、亡くなるのだとは言った。




「…3日…、」



は少し青い顔で、それでも穏やかに微笑んだ。



「ええ…3日。そんなに悲しい顔をしないで―…、私には充分なのよ?

 イグニス―…どうかもう少しだけ…、私に時間を分けて…ちょうだいね」


「…っ…、当たり前だ――馬鹿な事を…言うな」


イグニスも返すように、辛そうに笑った。




――こんな仕打ちが…許されていいはずが、無い――















それからは、目に見えて弱っていった。

あんなに元気だったと言うのに――その日の晩餐は、租借するのも辛いようで、

小鳥が啄ばむ程度で手を止めてしまっていた。

イグニスとて、無理に勧めた所で虚しいだけだと解っていた。

ただ事あるごとに嗜む紅茶の時間は楽しみなようで、

イグニスは食後の茶会を枕元に用意する際、

彼女が大好きなターキッシュデライトを添えてやった。

はそれを見つけると、至極嬉しそうに口に頬張った。

たったそれだけ…たったそれだけの事なのに――。

これで彼女が1秒でも多くの時を生き長らえられるような気がして、

イグニスは束の間だと解っていても――胸を撫で下ろした。




ティーカップを置き、はイグニスの手を握りたがった。

手を差し出してやると、彼女のあの温かなふたつの掌が、その手を包み込んだ。

まるで確かめるように――、大切な宝物を収めるように――。

が泣いているような気がしたのに、顔を上げた彼女の目は

想いの外力強く、イグニスを見つめていた。




「…―きっと明日には、今日よりもっと辛い思いを貴方にさせてしまう…。

 …私はとても辛いことを…願っている…、

 ごめんね…イグニス――どうか私を看取ってね」


「…―そうではない――そうではないよ、…。

 私はこうしてお前の隣にいる事の結末が、看取る事などとは思っていない…。

 ただそれでも…それでもお前の灯が尽きると言うのならば…、

 私はいっそ……と共に、消えてしまいたいよ―…」




イグニスは添えられていたの小さな手に、そっと頬を押し当てた。

その叶わぬ思いを、懇願するように――。

こんなにも、激しく、狂おしく、愛しているのに――。

決して越えられぬ隔たりがある。

あっけなく引き裂かれてしまうには、あまりにも残酷すぎて――。

愛しい者が絶えた世界で、どうして生きていけようか――!
















2日――3日と時は過ぎ…3日目、雪の降る朝――、

イグニス以外の4体の人形が、の下を訪ねてきた。

起き上がることも相当に辛そうなくせに、はイグニスに肩を借りて、

なんとか半身を起こし、精霊人形たちを出迎えた。

死に逝く時でさえ、この女性はなんと美しいのだろうかと誰もが思った。

儚くも力強い――形容するには難しい――。

ジルがそう陳べた時、は幸せそうに笑って、迷い無く言った。




「恋をしているんですもの、……素敵な恋を」




4体の精霊人形たちは前室へと下がり、

良い知れぬ陰惨さを湛えた時間を何も言わず、無言で堪えていた。

その魂に、感謝と、懺悔と、尊敬を――何度も何度も繰り返して――。











寝室が静まり返った頃、外には冬の空に浮かぶ満月が光っていた。

その眩しすぎる魅惑的な光を大きな瞳に映し込んで、

の目は煌々と――出会ったその夜の様に――輝いていた。




「……きれい……」



ぽつねんと呟くと、はそっと瞼を閉じた。



「…ごめんなさい…少し…疲れて…しまったわ…」


「ああ――、……そうだな」




それだけ返すのがやっとだった。

当たり前の様に握った彼女の手からは、

もうほとんど温もりが消え失せていて、

後に残るのは残酷な結末だけなのだと、教えられたような気がした。

情け無い声を隠すように努めた。




「…おやすみ――


「…愛しているわ…イグニス…――いつまでも、」




彼女は夢の縁に意識を預けたようだった。

このまま――息を引き取ってしまうのは――目に、明らかだった。




「――っ、私は…っ辛いよ……シャムロック…。

 を喪った世界で――どうして生きていけると言うのか――…っ

 この身体も、力も、魂も…何もかも全てを差し出して、彼女が助かるのならば…

 私は喜んで投げ出すと言うのに……!

 ……嗚呼…どうか…――お願いだ……生きてくれ……、

 私のために……、お前の声をもう一度…、私に、聞かせて欲しいのだ……っ」




搾り出したそれは――涙こそ零れない、嗚咽――。




それでもはまだ規則的な呼吸をしていたから。

イグニスは、そっと…触れるだけの口吻を…




…――愛している…永遠に――、」




の小さな唇に落としてやった。







































































光が――、――満ちた。








まるでそれに共鳴するかのように、4体の精霊人形が部屋の扉を開けたとき、

イグニスとの身体は――、

言い表す事すら困難な、眩い光に包まれていた。

目も開かぬ閃光は――酷く温かく――そして――。


















満たされていく――満たされていく――。



温かな光が――器にたっぷりと注がれるような――。



幸せな記憶が――全身を駆け巡るような――。






さようならと――はじめましてを――口ずさむような――。






























あんなにも全てを覆い尽くしていた光は――刹那、一瞬にして散ってしまった。

5体の精霊人形が、再びお互いの存在をその瞳に映した時、

その目には――……一筋の、涙。

震える手を見つめ、いつもその部分を隠していた手袋を、

そっと取り外してみれば――体温を持った、人の――人間の手が、脈打っていた。

イグニスは弾かれたように寝台に目をやった。




「…――っ…、…っ!」




駆け寄り、彼女の身体に触れる――否、触れずとも…イグニスにはもう、確信があった。




は、



生きている――。




伸ばした指先で感じたのは――懐かしい、彼女の体温。




「………っ、」




温もりが蘇ってくる彼女の頬に、

彼女と同じものとなった幾許か大きな掌を、そっと添えてやると…、

の薄い瞼がゆっくりと開かれ―…、

そしてあの大きな瞳で、再びイグニスの姿を絡め取るように見つめ、微笑んだ。




「――…イグニス…私を強く…抱き締めて。…生きてる事を…教えて欲しいの」





























あの時、精霊人形を縛る鍵は…粉々に砕け散っていた。

どうやら他の主人の持つ鍵も、同じくなったらしい。

もしあの時、解放を望んだ者が居たのなら――おそらくその者は、精霊に戻っていたのだろう――。

だが後で聞けば、彼らは口を揃えて言った。

これはきっとそれぞれが望む形になったのだろう、と。

生きたい――、人間になりたい――、大切な者の隣で…限りある命を終えたい――。

願って……願って……望んで……。

シャムロックの血と、集結した石と、強靭な想い――愛――。

あの温かさは母親の胎内にいる時に似ている…と、

覚えても居ない事を言って、は笑っていた。







この想いを何層も重ね合わせて、奇跡が生まれたのならば、



これは、



死と再生で彩った――愛の物語だ。


































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『闇に降る奇跡 -Classical White Ver.-』/D'espairsRay

『seventh heaven』/Kalafina

20090808 呱々音