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あれから数週間が経った。
私の自由を制限するような愚かな真似は、絶対にしなかった。 従順に懐くつもりなど無かったが…そんなの事が、どうしても気になって仕方が無い。 主人と人形の絆が、1分1秒の間にもどんどん強くなっていっているような気さえする。 私が、どう接して良いものか悩む時、彼女はごく自然にどう対処すれば良いのかを諭し、 私が自ら彼女に何かをしてやる時などは、本当に幸せそうに…嬉しそうに笑って礼を陳べる。 身分があるくせに人形師と名乗る位だから――もちろん工房もあった。 は――とても腺の繊細な人形を作る人形師だ。 膨大な時間をかけて…至極幸福な顔をした人形を一体一体、大切そうに創り出す。 それは売り物なのかと問うと、彼女は首を振って言った。
自分の行為は非生産的な道楽と同じ類なのだ――と、自嘲した。 私は――そんな風には思わないと返した。 彼女は――ありがとうと泣きそうな顔ではにかんだ。
――というか、参加する事自体が貴重だと、むしろ尊ばれているようだ。 聞く所によると、社交界という物は一度欠かせば、それこそ言われも無い噂が立ち、 たちまちに地位も名誉も地に落ちることになる――らしい。 私には全く理解出来ない世界だと言ったら、も、私もよ、と大真面目に返すのだった。 だからこそ、が招待を受諾した会は、一種の名誉を受けたと同様、誇らしげに胸を張るらしい。 には――こんなにも可憐で美しいというのに――連れ添う相手という者が居なかった。 居たら居たで、人間の男達に惜しまれるのだろうが…。 とにかくは、その類の話題になると、実に巧みに話題の矛先を変える術を知っていた。 だから――夜会の連れ添いに――私を……指名してきた時は…、 …正直気でも違ったのかと思った。
下心のある男性のお相手をするのも、結構堪えるものなのよ。 イグニスさえ構わなければ…どうか私の折れそうな心を支えて頂戴」
将校なりなんなりに、エスコートを頼むのかと思いきや―…。 結局私は少し淋しそうなの瞳にまんまと乗せられて、 人間の夜会という物に…参加する羽目になった。 一夜漬けで覚えたダンスのステップも――、 ぎこちないながらに…何とか形にはなっていた…と思う。 帰路の馬車の中、男達は皆を見ていたと言うと、 は、女性は皆イグニスを見ていたわ、と言って愉快そうに笑った。 私の事は解らないが――皆がに目を奪われてしまうのは――仕方が無いと思う。 彼女は着飾らずとも美しい――だが着飾れば着飾るだけ、その高貴な美しさが華を増す。 嫌味な印象は微塵も感じさせず、それでいて誰よりも美しい――。
人形の目にさえそう映るのだから――。
はしきりに私に触れようとした。 現実を突き付けられている様で…最初こそ戸惑いはしたが…。 夜、眠るまで側にいてくれと彼女に頼まれる事は――決して嫌ではなかった。 握られた手はいつしか彼女の体温を受けて、 同じとは言わぬまでも…温もるのだという事も知った。
いつしか私は、孤独の存在を忘れ掛けている自分に、気が付いた。
は少し躊躇うような素振りを見せた。
心配そうに向けられた目を見つめると、大きく頷いて約束をした。
冬の最中、珍しく眩しい太陽が輝く日、 はいつも、籐椅子に腰掛けて愛飲するアールグレイを嗜んでいる。 その手元には作りかけの人形の服と裁縫箱が置かれ、 針仕事をしながら、そうね、と頷いた。
シャムロックの懺悔録を読んでいる。 そんな姿を目の端でちらと見ただけで、 は目を合わせることも無く、諭すような口振りで言った。
私の様なシャムロックの“血”から派生した力を持つ人形師も…、 …安心して。今後もう…生まれる事は無いわ」
イグニスの目を真っ直ぐと見据えると、穏やかに口を開いた。
皆必ず、夫人がシャムロックの子を宿した罪深き歳で――死んでしまうのよ」
狼狽を露に目を彷徨わせる自分とは反し、とても穏やかなが恨みがましかった。
少しでも長い間、子供との時間を培おうと…その事に心を砕くのよ」
怒りの表情を浮かべて、吼えた。
私は…子供を生まない。 そして――ウィルキンソンの血が絶えた時、 本当の意味で…シャムロックのような力を持つ人形師は――もう、この世に現れない」
その本は代々受け継がれこそすれ――、 女にしてみれば、自分の寿命すら制約した、忌まわしい本だわ。 そんな本を読む時間があれば、1分1秒でも大切な者と過ごす時間を選ぶでしょうね」
なぜ言わないかではなく――言えなかったのだ。 誰にも言えぬ、本当の呪い。 今の前にイグニスが居なかったら、おそらく口にする事すら無かったかもしれない――。
この呪いは、シャムロックがその本をこの家に届けた時に、初めて知れた事だから。 彼自身もまさかそんな事が起こっているとは、夢にも思わなかった。 おそらく――彼は自分と同じ様に年老いてしまった 若き日の恋人を胸に思い描いて…扉を叩いたのでしょう。 でも――夫人はとっくに亡くなっていた。 夫人はおろか――その夫人の娘さえも。 …この家に居るのは常に若い娘――、何人もの…若い娘」
イグニスが考えるよりも、ずっと過酷な激痛を伴っているようだった。
数百年を孤独で埋める事と等しく……、 は限られた一瞬の時間に、全ての運命の決断を迫られて生きてきたのだ…。 頼る者も無く――、残された懺悔録と、石と、呪いと――。 憐れで儚い生き物は…決められた終焉のために朝と夜を繰り返す…。 ――血と肉を持って生まれたにも関わらず……彼女は……、 子孫さえ――残さないと言う――…。 自分の子を抱く事を諦め、それでも人形を待ち望む子供たちを、 頬を染めながら力強く抱き締める…。 この娘の――…のその腕は―…そうやって使う術を選んだというのか…? 人形には決して解らない感情だからこそ……、 ――だからこそ……。
そっと手を伸ばして、自分を真っ直ぐ見るように両手で包み込む。 の目に映ったのは、ひどく沈痛に歪んだ―…、 泣く事が叶うのならば、今にも泣き出しそうな顔をした、イグニスの紅い瞳――。
つまり…人間の女が子を孕む事は、それほどまでに意義がある行為なのだろう…? お前は…はそれを―…、お前はその幸せまでも、自ら犠牲にすると言うのか…!」
貴方は私に、なぜ構う、と聞くけれど――、 私が貴方を心底想うのは――今の貴方と同じ気持ちからよ」
「私は主従の契約の鍵を手に入れたのだ…主が死ねば私は止まり、眠りに――、」 「そう…、その鍵」 「…鍵…?」
真っ直ぐとイグニスを見据えた。
その鍵は守護の鍵――私は長い時間を費やして、その石に願いを込めた。 私と契約した人形を決して恐ろしい目に晒さぬようにと――。
つまり…―主人が死してもイグニスに眠りの時は…訪れないの」
『big my secret』/Michael Nyman
20090808 呱々音 |