結果として、大佐の予見は当たることとなった。

1914年6月28日――ボスニアで発生したサラエヴォ事件を皮切りに、

7月28日オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告。

8月にはイギリスだけでなくヨーロッパ諸国が本格的に参戦することとなった。

出兵が決まった時、スチュワートとニコルズがいち早く陸軍騎兵に志願したのは言うまでもない。

ロバートもまた愛馬ウィックフィールドと共に、騎兵隊に志願した。

彼らの従軍を喜んだ大佐は、特にスチュワートとニコルズの能力を高く評価し、

イギリス中から集めた馬と兵士を、立派な騎兵大連隊として使い物になるよう

纏め上げる指揮官の任務を命じた。

最強と謳われる騎兵大連隊を立派に率いることこそ、大佐へ長年の恩を返すことに違いなかった。

誰もがこの戦争はすぐに終わるであろうと軽視する中、

スチュワートとニコルズは決してその意見に同意は示さなかった。

大佐は騎兵派遣を正式に指示するため、

数名の部下と愛馬ジンジャーカップを連れ第一陣で海を渡り、真っ先にフランスへ出兵した。

残される家族はやはり凛としたもので、奥方は痛いほどの不安を抱えているはずなのに

少しもそれを見せず黙って夫を見送った。

ひとまず国内での騎兵隊演習に従事することが決まったスチュワートとニコルズは、

指揮官として雄馬に騎乗することが求められる。

雄馬というのはやはり見た目にも雄々しく立派で、権力の象徴であるからだ。

ニコルズは当然ワイズを連れて行くものだと思っていたが、

が確かめると彼は悲しそうに首を振った。


「去年の冬、窪地に肢を取られたときの傷がときどき疼くらしいんだ。

 獣医に何度か診せたが、ちゃんと完治していると言う。

 おそらく心的な後遺症だ。

 ただあれ以来ワイズは大きな音を聞くと前ほど冷静じゃいられなくなった。

 愛馬としてワイズは最高の相棒だ。親友だよ。

 出来ることならワイズに命を預けたい。ワイズにはその価値と能力がある。

 この日のためにずっと育ててきたんだからね。

 だが戦場での悲惨さを思うと、海を渡るどころか

 演習の時点でワイズの良い所をすべて殺してしまう気がしてならないんだ」


ニコルズは苦渋に満ちた想いを吐き出した。

は彼の肩にそっと手を添えると、力強く言った。


「ジェームズ。あなたはなにも間違ってないわ。

 大丈夫よ――ワイズのことは任せて。

 戦時が始まって例えどんなに食べるものがなくなっても、

 ワイズは絶対に飢えさせない。

 この国のどんな馬よりも完璧な状態でいさせてみせる。

 どんなことがあってもワイズを護るわ」

「ありがとう――

「あなたに素晴らしい馬が見つかりますように」


ニコルズは濡れた目尻を隠すように拭った。


「それにワイズがここにいればアリスの励みにもなるだろうしね」


とニコルズはしっかりと抱き締め合った。

うっかりすれば泣いてしまいそうだったが、は必死に涙を堪えた。


「あなたほど素敵な兄はいないもの。素敵な親友もね。

 良い教師になれるわ。だからきっと無事で帰ってきてね。きっとよ」

「僕は君が心配だよ」


顔を覗きこんで優しく微笑む。


「僕とジェイミーが居なくなったら、ますますひとりで抱え込みそうだ。

 どうか心を強く持って皆の帰りを待っていて欲しい。

 なにかあったら僕の姉を頼るといい。

 僕とアリスからしつこく頼んであるからね」

「ありがとうジェームズ」


しっかりと抱きしめ合う。

ニコルズはの頭を優しく撫でて、うっかり涙が溢れぬよう気を紛らわせた。


「ワイズとアリスのことを頼むよ」
















スチュワートはロンドンの実家で両親と妹弟たちに出兵の激励を受けたその足で、

邸に立ち寄った。真夜中のことだった。

明朝、軍馬輸送の人員と合流し、トップソーン、ウィックフィールドを含め、

6頭の馬を陸軍に提供することになっている。

家に残されるのはワイズとイヴリンだけだった。

ワイズの他にイヴリンを残すと決めたのは大佐だった。

イヴリンが健康に子を身籠るとしたらおそらくあと1回だが、

大佐はトップソーンを特に評価していたから、

馬の出産は次子の方が優秀だと言うジンクスに賭けたに違いない。

どんなに覚悟を決めていても、の気は沈む。

開戦間もなく、一度でこんなにも愛する者を戦場で送り出す苦しみを味わう人間が

果たしてどれほどいるだろう。

人前では気丈に振舞っているが、惜しんでも惜しみ切れない別れの辛さに、

油断すればの心は折れてしまいそうだった。

なんとか持ちこたえていられるのは、

その馬を率いて連れて行くのがスチュワートとニコルズであり、さらには父であるからだ。

そしてずっと見守ってきたスチュワートとトップソーンの乗馬の完璧な精度を思い返せば、

萎む心も少しは慰められる気がした。

あの美しく優雅、それでいて俊敏な走りに部下は皆魅せられるだろう。

とヘンリー、それに奥方とサラも加わって、

丸一日かけて送り出す馬たちの世話を、それはもう丹念にしてやった。

利口なトップソーンは経験はなくとも、別れの意味を理解していた。

が何度も何度もその意味を丁寧に教えてくれたから、

それが彼女を悲しませることだと知って、鼻面を差し向けては慰める素振りをみせる。

トップソーンはいつだってどこまでだっての後ろに付いて行くよと伝えたかった。

その日の真夜中、スチュワートが到着するのを待って、

は彼を連れてもう一度トップソーンの元へ向かった。

彼女はもう何百回と言った言葉を繰り返した。


「トップソーンは私とジェイミーの自慢の馬よ。

 あなたは世界で一番優秀な馬。

 どうかどんな時もジェイミーを支えてあげてね」


スチュワートがたしなめるようにの肩をそっと抱き寄せる。

ふたりは黒く輝く毛並みを優しく撫で続けた。


「トップソーンも君も少しは休まなくては。

 先に家に入っていてくれ。ランプの火の始末だけしていくから」


はトップソーンの鼻を撫でると「おやすみ」と呟いて厩を後にした。

彼女の姿が見えなくなるとスチュワートも握った拳でとん、と鼻面を叩いてやった。


を慰めてくれてありがとうな。

 よくおやすみ、トップソーン。

 明日から忙しくなる」


スチュワートの背に向かってトップソーンは頭を八の字に振りながらぶるりと鼻を鳴らした。

彼は振り返ると、ばつが悪そうに言った。


「…わかってる。お前も大概おせっかいだな。

 彼女を泣かせたりしない。誓うよ――いいな?」


トップソーンは納得したように短く鼻息を吐いた。






寝静まった家の中、微かに灯った明かりと人の気配を辿って居間へ行くと、

が父親の秘蔵のスコッチを注いで差し出してくれた。

互いのグラスを打ち鳴らし、一気に煽ると強い味わいが口に広がる。

ソファに並んで座り柔らかな背もたれに身体を沈めると、

は左手の薬指に輝く指輪をじっと見つめて、静かに泣き始めてしまった。

彼は慌てて身を起こし、彼女の顎を指ですくって顔を覗き込む。


「泣いている訳を…ちゃんと教えて欲しい」


の瞳の奥から次から次へとこぼれ落ちる雫は、止まる気配を見せない。


「私たち…婚約しただけだわ」


その答えを覚悟していたのだろう。

スチュワートは眉を垂らし、哀切な表情でを見つめた。

それはですら初めて見る表情だった。


、私はこの世の何よりも君が大切だ。

 悲しい出来事からは出来るかぎり遠ざけて守ってやりたい。

 私は君を、一夜限りの相手とは思っていない。

 生涯で唯一。たった一人だけの女性だ。

 ――、よくお聞き。

 私が戻らなかったら、」

「嫌よ」


は必死に抵抗する。


「聞くんだ。

 私が戻らなかったら。

 その時は、すぐにこの婚約を諦めて、善き夫の元へ嫁げ。

 ――そして子供を作って、死ぬまで幸せに暮らすと誓って欲しい」

「っ…ジェイミー…、私…あなただけよ」

「解ってる。よく――解っている。

 願わくばその役目は私であるべきだ。

 私ほどを愛せる人間は他にいるはずないんだ。

 私が戦っているうちは無事を祈ってくれ。

 それだけでどんなにこの心が励まされるか。

 だから今だけは――どうか特別な一夜を私に捧げてくれ」


スチュワートはに口吻けた。

同じ香りが鼻腔と口内を行き来する。

もう1秒たりとも待てなかった。

愛する人を抱けるとしたら今宵しかない。

ずっと触れたかった肌に無心に溺れる。

一生消えることのない火傷のように、強烈な火で互いの身体に、記憶に、刻印を残す。

絡まり合って、このまま融け合ってしまえたらどんなに幸福だろう。

情事に果てた彼女の身体を抱き寄せて寝室へ運ぶ。

を白いシーツの海に沈めた途端、彼の瞼にも眠気が訪れた。

――どうやら幸福の余韻は今夜ばかりは穏やかに幕を引いてくれるらしい。

彼女の隣に身体を横たえると、折れそうな首の下に慎重に腕を差し入れて、

柔らかな肢体を抱きしめた。

これなら目覚めた時、互いに淋しい思いをせずに済む。

相手の腕に、胸に触れて頭をもたげて、まどろみながら起きるのだ。

そんなことを考えながら、腕の中にの体温を感じて

スチュワートはつかの間の眠りに意識を手放した。



































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敢えて口に出すことで験担ぎ。

20121121 呱々音