翌朝、ニコルズが部下を伴って軍馬輸送へ訪れた。

その中にはアリスの姿もあった。

ロバートを見送りに来たのだ。

家は代々軍人ということもあり慣れたもので、

仕来り通り使用人ではなく家人自ら労いの意味を込めて、

バルコニーにたくさんのレモネードと焼き菓子を用意して出迎えてくれた。

軍服をかっちりと纏ったロバートも母親ととサラの配膳を手伝う。

もちろん部下たちはすぐにそれにありつくような真似はせず、

緊張した面持ちで上官であるスチュワート少佐の顔をちらりと見て返答を待っていた。

少佐が許可を与えると、部下たちは表情を和らげて

乾いた喉に甘酸っぱいレモネードを流し込んだ。


「くつろいでいてくれ。ニコルズ大尉と私は任務の段取りを決める。

 すぐそばに川が流れているぞ。足を浸して涼んでいても構わない。

 ロバート・少尉が案内してくれるだろう」


スチュワートはニコルズを連れて応接室へ姿を消した。

扉をぴったりと閉めると、ニコルズは口の端を持ち上げた。


「なかなか板に付いているじゃないか。ジェイミー」

「よしてくれ。だが慣れなければな」


スチュワートは懐から煙草を取り出すと、気持ちを落ち着けるように深く味わう。

ニコルズは椅子に腰掛けながら、

このムーア調の応接室を大佐がいたく気に入っていたことを思い出した。


「――は納得してくれたかい」

「もちろんだ。私の妻になる女性だからな」


窓の外を眺めながらスチュワートは煙草をふかし続けた。

見渡す限りの広大な緑の芝の上で、部下たちが楽しそうにくつろいでいる。


「そういえばジェイミー。

 先日君の実家の近くに用事があったものだから、

 少し足を伸ばしで挨拶へ上がったよ。

 そしたら君の母君はが嫁に来てくれたらどんなに素晴らしいかと

 嬉しそうに話して聞かせてくれた。

 ――君も僕も、とはもう長い付き合いになるんだな。

 母君も彼女のことを自分の娘のように可愛く思ってらっしゃるのだろう」


ニコルズのとりとめのない話が心を慰める。

この場所から出たら、を愛するだけの一人の男ではいられない。

国相手の戦いに心身を投じる確固たる意志を持った指揮官でなければならぬのだ。


「――ジェームズ」


煙草の火を消しながら、スチュワートは彼に向き合った。


「私は幸運な男だ。

 英国一の名馬を与えられ、隣にはお前がいる。

 こんなに心強いことはないのだ。それだけは今伝えておく。

 この先こんな話に興じる機会はあまり多くないと思う。

 だが私とお前は生涯の友だ――それは絶対に揺るがない」


ニコルズは笑う。


「わかっているよ。僕らはお互いが一番の理解者だからね。

 戦場に立っても同じ事さ。

 僕は君と同じで、この戦争がすぐ終わるだなんて馬鹿げた意見は全く信じていないが、

 これから先も変わらない――君の判断ならどんなことでも信じよう」


コンコンと2回ノックの音が響き、ティーセットを抱えたが入ってきた。

ニコルズが嬉しそうに笑うとまるでそれが合図であったかのように、

も満面の笑みで抱擁を交わした。


「やあ。元気そうで何よりだ」

「私が笑ってないとジェイミーが悲しむもの」

「そうだね。それに僕も悲しくなる」


ニコルズは慈しむように目を細めた。


「私とロバートからふたりにお願いがあるの」


大佐から預かったカメラがあるから、馬たちとそろって写真を撮りたいと言う。

スチュワートとニコルズはもちろん快く承諾した。

部下のひとりにカメラを任せ厩へ向かうとと自然とほかの者たちも見にやって来た。


「恥ずかしいな」


スチュワートが嫌そうに独り言つとニコルズは

「気にするな。美しい妻を見せつけてやれ」と囁いた。

その声はどこか愉快そうだった。

珍しいことだがやはりこの家の馬たちは大変優秀で、スチュワートとニコルズ、

そしてとロバートが声をかけると何をしていても柵の外へひょっこりと顔を出す。

兵士たちは感嘆の声を漏らし、美しい馬たちに目を丸くした。

ロバートの相棒、ぶち馬のウィックフィールド。

白馬のキャンドルベル。黒馬のイヴリン。灰色のワイズ。

ナッシュとベンジャミンはどちらも紅茶色で、まるで仲の良い双子の兄弟のようだ。

ブラウンテイルは鼻と肢、尻尾がダークチョコレートのように輝いている。

そして黒く輝くトップソーン。






果たして何頭の馬が生きて戻れるのだろうか。

怖ろしい考えに背筋が寒くなった。


























が夫と親友と弟と馬たちを送り出してから程なくして、

ソールズベリーの騎兵訓練宿舎から度々便りが届くようになった。

せめて国内にいるうちは続けられる限り報告しようとしているに違いない。

必ず馬たちの状態の報告と労りの言葉が書き綴ってある。

翌週ニコルズから届いた手紙には、募兵のために赴いたデヴォンの片田舎で

素晴らしい馬に出会ったと書かれていた。











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親愛なる

心優しいアルバート・ナラコットという青年から預かった馬で、名前をジョーイと言う。

足の先が靴下を履いたみたいに白く、額には白いひしがた模様。

脚も早く、とても素直な性格。すべてにおいて完璧な馬だ。

そんな素晴らしい若駒を、アルバートに必ず返すと約束した。

だから僕は何があっても生きて帰らねばならなくなった。安心して欲しい。

ジョーイは屋内よりむしろ屋外の訓練にすぐ慣れるだろう。頼もしい限りだ。

ただ残念なことに、私とジェイミーは騎兵隊を実戦部隊として仕上げるのに手一杯だ。

サミュエル・パーキンズ軍曹にジョーイの調教を任せることにした。

多少荒っぽいところはあるが、彼は素晴らしい乗り手だ。


追伸:ジョーイとトップソーンはきっと親友になるだろう。私とジェイミーにようにね。


J・ニコルズ




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お母様、姉さん、サラ。

きっとジェームズの手紙で承知でしょうが、

我が騎兵隊に素晴らしい仲間が加わりました。

ジェームズがデヴォン州へ募兵へ行った際に連れ帰ってきた

ジョーイという名前のとても美しい完璧な馬です。

僕とウィックフィールドは小連隊を任され、

それこそスチュワート少佐とニコルズ大尉の手となり足となり、

俊敏に動くことを求められます。

今までと違うのは、ほかの者たちを率いねばならぬ点です。

あと一ヶ月のうちに実戦部隊としての動きを身につけねばなりません。

ウィックフィールドのためにも僕がしっかりしなくては。

でもどうか心配しないでください。僕はよくやっていますよ。


あなたの息子ロバートより




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親愛なる

ワイズの近況をありがとう。調子が良さそうだね。やはり君にまかせて良かった。

連隊の指揮もまずまずと言ったところ。

当初は仕上げられるものかと気を揉んでいたが、どうやらそれには及ばなかった。

ジェイミーは少佐として本当によくやっている。

あまりゆっくり雑談に興じる時間はないが、それでも昨日はふたりで酒を飲むことができた。

途中からチャーリー・ウェイバリー中尉も加わって私たちは終始ごきげんだった。

さてロバートとウィックフィールドの活躍についてぜひともここで書かせて欲しい。

演習中にパニックを起こして林に向かって逃げ出した馬を、

ロバートとウィックフィールドがすぐさま追いかけて連れ戻したのだ。

手綱をひかれた馬はすっかり落ち着いていて、

そもそも原因は乗り手のささいな不注意によるものだったのだが、

ロバートは実に馬の扱いに慣れているから朝飯前と言ったところだろう。

彼はこれをきっかけに今まで以上に周囲から慕われているようだ。

さすがは先生のご子息、彼は今でこそ小連隊を任されているが、

その鮮やかな判断力でいずれは大連隊の指揮を取らせるにふさわしいと私たちは考えている。

私もジェイミーも鼻が高いよ。


追伸:ジョーイのスケッチを同封します。他はいずれアルバートに送るつもりだ。


J・ニコルズ




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愛する

便りが遅れてすまない。

指揮官というものは、はるかにその重責を務める時間の方が多い。

いまこうしてペンを取れるのも、ジェームズ・ニコルズ大尉の粋な計らいのおかけだ。

許して欲しい。何より、決して君のことを忘れて過ごしているわけではないと理解してくれ。

ジェームズとジョーイの走りには――とても悔しいことだが――眼を見張るものがある。

私のトップソーンより5センチばかり小さく、

スタミナでは敵うはずもないが、あの若駒はとにかく早い。

前の飼い主によく愛されていたことが私にもよくわかる。

だが安心して欲しい。トップソーンは善き相棒を手に入れたのだ。

私もトップソーンも友に恵まれる星の下にあることを強く確信している。

トップソーンはジョーイに慕われている。

彼らはとても仲が良い。

間違いなくこの騎兵大連隊の筆頭となるにふさわしい二頭だ。

最終大演習ではジョーイに惜しくも一歩及ばなかったが、

私はトップソーンの走りにこの上なく満足している。

私たちは今までの走りの中で一番の一体感を得た。まるで風のようだった。

に見せられないのが残念だ。戻ったらきっと君に見せよう。

どんなに忙しくとも私は毎晩厩を訪れ、トップソーンに話しかけることだけはやめないと誓おう。

それは安心して欲しい。トップソーンは私の支えだ。

それに君の手紙を読んで聞かせるととても喜ぶ。

どうか健やかで居て欲しい。

心より愛をこめて。


J・スチュワート




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そうして届いた手紙を、は必ずワイズとイヴリンに読んで聞かせてやった。

なによりもニコルズに最高の馬が見つかったことが嬉しかった。

トップソーンは戦場でともに戦う唯一無二の親友を得たのだ。

人も馬も、心には支えが必要だ。どんなに過酷な状況でもそれさえあれば気力が湧く。

彼らが去る前に撮った写真もまたの心の支えに違いない。

愛しい者たちの輪郭を指でなぞっては無事を祈る。

空の菓子缶にそれらを丁寧に収めると、はいつもワイズの鼻先の届かない厩の二階、

干し草置き場の柱の隙間に缶を隠した。

そして毎晩、自分のもとにワイズとイヴリンという素晴らしい馬を残してくれた父に感謝した。

















ある頃を境に、彼らからの手紙はぱったりと途絶えてしまった。

母曰く、海を渡った証拠だという。

母は気丈に振る舞うを自分の経験を交えて励ます。

やはり軍人の妻、さすがに慣れたものだった。

いよいよ戦争の影がすぐそこまで忍び寄ってきている。

男たちは、国に残してきた愛する者を護るために血を流し、女たちは家を守る。

は母に今まで、どうやってこの不安と苦境を乗り越えてきたのかと訪ねた。

すると母はただ一つ、はっきりと言い切った。


「なにがあっても自分らしく生き延びると心に誓うことよ。

 戦争に、それ以外の意志は全く敵わない。

 それを超えなければ大丈夫。私たちはただ耐えるだけ。

 どんなに過酷な戦にも必ず終わりは来るものよ」



























うだるような暑さに見舞われた夏を迎え、

誰も表立っては口にしないが戦況はあまり芳しくないようだ。

スチュワートとニコルズが言っていたように、

この戦争は当初の予想よりはるかに長いものになるだろう。

残暑の最中、父から一通のはがきが届いた。

詳しいことはなにも書かれてはいなかったが、それでも無事の便りには違いなかった。

秋には家族総出で木の実や果実を収穫し、大量のジャムを作って隠し貯蔵庫に保管した。

この家の人間に代々受け継がれてきた、生き延びるためのちょっとした知恵である。

冬を越すのも物資の不足する戦中では一苦労だった。

夏に大量に蓄えておいた甘い干し草のおかげで、

馬たちは体調を崩すことなくなんとか春を迎えられた。

だが芳しくない問題がひとつあった。

暮れから体調を崩していた母が一向に回復を見せないのだ。

医者に指示されたとおり栄養のあるものを食べさせようとしても、

食欲がないらしくあまり量を食べてくれない。

床に伏せる回数が増えていく母に対して一抹の不安がよぎる。

そんな折、不安を確信へと貶めるある報せが届く。

まだ朝靄の漂う早朝の出来事だった。

連絡も無しに突然邸を訪ねてきたアリスは、赤い目で顔を真っ青にして、

狂ったようにドアを叩き続けた。

バトラーが慌てて招き入れると、に縋るように飛びついた。

まるで死人のような容貌を見ただけで、の脳裏に最悪の言葉が浮かんだ。


「嫌――嫌よ駄目、そんな…絶対駄目よ」


は顔を歪めて首を振り続ける。

ふたりは脚から床に崩れ落ちると慟哭した。

アリスの手に握りしめられていた手紙にはただ一言。



ヴィンセント・ニコルズ様

ご子息ジェームズ・ニコルズ大尉が戦死したことをお伝えします。

サミュエル・パーキンソン軍曹



物悲しい字で綴られていた。



































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はなればなれ。

20121123 呱々音