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スチュワートはイヴリンに乗れない間、 特に愛馬を定めずどの馬も平等に世話をし、乗馬した。 と言うのもまず、が再び乗馬を許されて以来、 そういう乗り方を選ぶようになったせいもあった。 あれだけ手を掛けてやったキャンドルベルを弟のために手放したのが、 本位とは言え随分堪えたのだろう。 そのキャンドルベルも妊娠し、ニコルズは予てから気になっていたことを確かめるべく、 ロバートに自分のウィックフィールドを任せてみることにした。 これが抜群の相性で、もう誰もロバートとウィックフィールドの間に入ろうなどとは思わなかった。 そんな事もあり、結局スチュワート、ニコルズ、の3人は大佐の馬以外は、 すべての馬を乗りこなすスキルを磨くに努めた。 どんな形であろうと、性格であろうと、瞬時に癖までも感じ取って呼吸を合わせて乗る能力だ。 極めれば、強い。
夏の太陽をたっぷりと浴びて草花が青々と茂った柵の中に、 馬具を取り去った2頭の母馬とその子供たちを離し、 それを見守るのが週末の午後の日課となっていた。 ニコルズとが柵に腰掛けていると、 愛馬に乗った大佐が颯爽と地を蹴ってふたりに近寄ってきた。 遠くの方からそれを見ていたトップソーンとワイズは耳をぴんとさせて、 雄々しく逞しい赤毛の雄馬に目が釘付けだった。 はニコルズの手を借りて、慌てて柵から降りた。
ふむ――元気そうだ。 こうして遠くから見ていると、どちらも毛艶が素晴らしい。 トップソーンの方は大きくなりそうだな」
賢い馬には賢い騎手が必要だ。君はワイズのお手本となれ。 そして。お前にはトップソーンの世話を任せる。 あれはきっとどの馬よりも――もしかすると私のこのジンジャーカップよりも、 見栄えのする良い馬になるだろう。 いずれ乗り手であるお前と息が合うようにしっかり教えてやれば、 競技でお互いの能力を存分に発揮できると思うのだ」
トップソーンとワイズはとにかく仲が良く兄弟同然で、何をするにもいつも一緒だった。 大佐の見込んだ通り、トップソーンはこの家のどの馬よりも背が高く、 毛が抜け替わる度に漆黒を増し輝くばかりである。 おまけにそのスタミナと言ったら底なしで、と日がな一日野山を駆けまわっても、 まだ競技の練習に打ち込めると、黒曜石の瞳をつぶらに輝かせながら無言で訴えるほどだった。 手綱を持たなくてもが呼べばトップソーンはどこへでも付いていった。 立派な見た目とは裏腹にに対しては甘えん坊で、 あの大佐でさえ目を疑うほどそれはよく彼女に懐いた。 トップソーンにとっては女主人であり、乗り手であり、母であり、親友だった。 従順で忠実な黒馬は、成長とともにまるで一紳士そのもののように振る舞うようになった。 を守るようにそばに寄り添ったり、慰めるのも上手い。 スチュワートはイヴリンを伴っていつもトップソーンの様子を見にやって来た。 大きな物音にも動じない落ち着きと貫禄を持ったこの若駒にも、ひとつだけ治らない癖があり、 それは水を飲む前にバケツの中で頭を振るという可愛いものだった。 だからそばにいる者は濡れぬようにあわてて距離を取るし、 いつもぴったりとトップソーンに寄り添っているワイズは 水を飲むたびいつもびしょびしょになるのだ。 一方では、ニコルズとワイズはまるで本当の親子のようですらあった。 ワイズはいつもニコルズの胸や背に鼻面を押し付けて甘えたがる。 当然ながらワイズは、暇を見つけては兄に付いてヘアフィールドを訪れるアリスにも懐いていた。 ニコルズとアリスを一緒に背に乗せることにも抵抗を見せず、 下馬した際にふたりに鼻の頭を撫でられるのが嬉しくてたまらないようだった。 しかし一度ニコルズに手綱を握られれば、甘えるように優しい面立ちはきりっと変わり、 鞭など使わなくとも、ニコルズの手綱と膝の力加減に 息をぴったり合わせて華麗に走り抜けて、見る者を圧倒させた。 この頃になると、大佐がわざわざ指導をするまでもなくなっていて、 スチュワートもニコルズも大佐を唸らせるほどの立派な騎手へと成長を遂げていた。 どちらにも乗り手としての個性があり、繊細な乗馬技術も持っている。 なにより馬を愛しているし、馬の世話も、馬に話しかけることも当たり前のことだと理解していた。
それでも仕事の合間を縫ってヘアフィールドを訪ねている。 スチュワートとニコルズが馬の世話を初めて、間もなく9年が経とうとしていた。 いつもの週末、スチュワートが邸へ到着すると 出迎えた奥方が挨拶もそこそこに、彼に小さく告げた。
「それはもちろん構いませんが――何かありましたか」
練習場にいるはずです」
鮮やかにトップソーンを操り乗りこなすの姿があった。 トップソーンの腰の位置は高く、首は誇らしげに上を向いている。 騎手を信頼しきっているからこそ、手綱の繊細な指示に従順に従う。 とトップソーンはよく似ていた。 辛抱強い性格で、決して表に出さぬ自尊心を持ち、真面目そのもの。 スチュワートはトップソーンのブラッシングを手伝いながら 「面倒見の良さすらも伝染っている」と笑った。
スチュワートは促すこともせず、ブラシを滑らせながら彼女が口を開くのを待った。
「私が君の頼みを断れないのは知っているはずだよ」
言うなればスチュワートとニコルズは大佐の秘蔵っ子である。 もし開戦すれば、当然陸軍に従軍して騎兵の指揮を任されることになるだろう。 彼が眉根を寄せてを見つめると、彼女は首を振った。
馬たちを戦場へ送り出す覚悟はいつもしてきた。でも、」
私じゃこの子を立派な軍馬には育てられない。 ――トップソーンは特別な馬なの。 だから、あなたに頼みたい。 あなたがこの子の手綱を引いて。 どんな戦場でも生き残れるように教えてあげて。 あなたと私で、トップソーンを完璧な馬にしてあげるの」
手を伸ばせばいつでも手に届く場所にあった存在――。 それに触れぬようにするのはとても大変な所業であったはずだ。 だがの囚われるところを知らぬ真っ白な生き方は、スチュワートの誇りだった。 彼だけではない。大佐も、ニコルズとて同じ思いだろう。 けれどもスチュワートの想いはいつしか特別な感情へと育っていた。
トップソーンもそうだ」
も彼の吸い込まれそうな灰緑に輝く瞳を見つめ返す。
でも私は――」
彼女の瞳を見つめながら白い手の甲に唇をあてがった。 そして汚れるのも構わず膝をつくと、ポケットから石の輝くリングを取り出して、 に差し出した。
どうか私の妻となってくださいませんか」
トップソーンと隣の仕切りのワイズが見届けたと言わんばかりにぶるぶると鳴く。 薬指に指輪がぴったりはまると、ふたりは抱き合って、は初めてのキスを彼に捧げた。
「参ったな…意気地がない男だとバレてしまった」
それは甘く柔らかい、無上の悦びそのものだった。 |
いつプロポーズしようかそわそわしてたんだと思うの。
20121121 呱々音
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