オックスフォードとケンブリッジはまったく逆の場所に位置するが、

どちらもロンドンを経由し、列車や車でヘアフィールドへ向かうのが通例となっていた。

ほぼ毎週末、スチュワートとニコルズは邸へ通い続けた。

もちろん長い休暇の時には、各々数日間実家に滞在することも忘れずに。

そんな生活が5年も続くことになるとは誰も予想しなかった。

だがはある事件を境に、ほとんど家に帰ってこなくなってしまう。











16歳になったは、背筋が凍るほどの美貌を手にしていた。

実の父親ですら扱いに戸惑う始末で、だからと言ってそれは嬉しい悩みの種のひとつでしかない。

けれども相変わらずの興味ときたら馬のことばかりで、

例えどんな甘い誘いがあろうとも、週末は家へ帰り馬に跨った。

さすがに大佐は自分の娘の行く末を案じた。

今は良いだろう。

だがこのままでは一生馬にまたがって生きていくのではなかろうかと。

妻は「そんなに心配するようなことではない」と夫を優しくたしなめたが、

彼の頭の中から一抹の不安が消えることはなかった。

だからほんの些細な忠告のつもりで娘を呼び出し「馬に乗るのを控えよ」と伝えた時、

ずっと恐れていた病を告知されたかのような娘の顔を見て、

大佐の心はひどい後悔の念を覚えたのだった。

だがこのまま甘やかすこともためにならぬと心を鬼にし、大佐はそれだけ伝えるに留めた。

いずれは淑女として振舞わねばならぬ由緒ある家の長女の身なのだ。

がひどく傷ついたことにはあえて目を瞑った。

その日の夜、は食事も摂らず部屋に篭っていた。

ニコルズが呼びに言っても腹の調子が良くないとだけ返して顔を見せようともしなかった。

皆が食事を終え、それぞれ寝る支度をする頃になって、

談話室から聞こえるピアノの音だけがの存在を主張していた。

スチュワートは出来る限り足音を立てぬよう談話室に入ると、演奏に耳を傾けた。

最後の音が闇に吸い込まれたとき、

まろやかな愛撫と心地よい名残惜しさを同時に味わったような気がした。


「ショパンの“遺作”、だったかな」

「ええ――哀しい曲よ」

「だが美しい曲だ」


スチュワートはピアノ椅子に座ると、と目を合わさずに声をかけた。


「話してご覧」

「…ねえジェイミー。私の歳では皆、恋をしなくては駄目なの?」


スチュワートはとても優しい目をしてやんわりと返す。


「そんな決まりはないさ。焦らなくても、人は皆いずれ恋をするものだ」

「恋ってどんな感じ?」

「そうだな――哀しくて、切なくて…でもとても美しい。

 がいま弾いていた曲にとても良く似ている」

「あなたはいま恋をしている?」


長い睫毛に縁取られた丸い目が子猫のようにスチュワートを捉える。

彼は読み取れない表情で鍵盤に目線を落としながら「わからない」と答えた。

がその答えにこだわる様子はなかった。

彼に倣うように鍵盤を見つめて「私は馬が好きよ」と言った。

むずかる子供のように、真実をすんなり認めることに抵抗しているに過ぎない。

彼女とてそんなことは重々承知している。

だからスチュワートはそんなの曖昧模糊とした少女らしさを尊重してやることにした。


「そうだね――私も馬が好きだよ」


は再び鍵盤に指を沿わせながら「ありがとう」と小さく呟いた。

哀切な音を奏でながら、は静かに涙を流していた。
















そんなことがあって以来、は週末はおろか、

長期休暇ですらも家に足を向けようとしなくなった。

自信がなかったのだ。

実家に帰れば愛する家族と馬がいる。

ましてやスチュワートやニコルズ、そして弟は朝から晩まで馬にまたがって

乗馬の訓練に明け暮れているのだ。

自分だけ馬に触れないなんて――考えただけで気が塞いだ。

そんな状況に立たされたら、間違いなく馬に乗ってどこまでも遠くへ行ってしまいたくなるだろう。

――ジェイミーとジェームズはきっと追いかけてきてくれるだろう。

だがはたして自分は帰るだろうか。

馬を禁じられたあの家に、再び踵を返す道を選べるのだろうか。

そう――そんな自信はやはりどこにもなかった。

18歳となりボーディングスクールを卒業した今、母親に請われたこともあり

大学入学までの長期休暇はさすがにヘアフィールドへ戻らざるを得なかった。

を出迎えたのは血の繋がらぬ兄分たち――2年ぶりの再会だった。

スチュワートとニコルズは23歳になっていた。

逞しく成長したふたりの腕に飛び込んで、3人は再会を喜んだ。

ニコルズは相変わらずとても優しい笑顔での肩を抱いて歩き出す。


「卒業おめでとう。元気にしてたかい?」

「とても元気よ。今年は寮のヘッドガールもやったわ」

「そうらしいね。君のお母様から聞いてるよ。

 そして優秀なお嬢さんは秋から我が後輩となるそうじゃないか。

 おめでとう!秋からはケンブリッジだね!とても嬉しいよ」


ニコルズが愛する妹分を抱き上げてくるくると回ってみせれば、

愛くるしい笑い声が玄関ホールにこだまする。


「さすが僕らのだよ。そう思うだろ、ジェイミー。

 おっと。君はオックスフォードの秀才だったか。

 ライバル校の先輩として鼓舞してやったらどうだい?ジェイミー。

 ――ジェイミー?」


訝しげに名前を呼ばれ、そこでようやくスチュワートはハッとして我を取り戻したようだった。

すぐにいつもの調子になり、にこりと笑う。


「ジェームズの言うとおりだ。

 だがはとても優秀だから。私の激励など無用だろう。

 とにかくこんなに嬉しいことはないよ。おめでとう。

 さすが私たちのだ」


“私たちの”――何気ない彼の言葉にの心臓は微かに跳ねる思いがした。

今までこんなことなど一度も無かった。

だからは久々に家に帰ったせいで、自分はまだ緊張しているんだと納得した。

居間に行くと母親と弟妹たちが温かく迎えてくれた。

弟ロバートは16歳、立派な青年へと向かっている最中だ。

背は高く、姿勢も良い――は咄嗟に乗馬向きの身体に育ったなと思った。

年の離れた妹サラはやっと10歳になったばかりで、姉の帰省がよっぽど嬉しいのか、

の腰に甘えるように抱きついてなかなか離れようとしなかった。

母親とはまめに手紙のやり取りをしていたせいもあってか多くはなにも言わず、

優しいまなざしで迎え、ただ頷いてくれた。

じきに晩餐の準備が出来ると言われたので、

は妹を母親に任せると荷解きと着替えのために自室へと戻っていった。

部屋にはただただ充実していた頃の懐かしさが残っていて、は切なさを覚える。

晩餐用のドレスに着替えると我慢できずその足で厩へ向かった。



































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少女らしさに付き合ってあげるスチュワート。

20121119 呱々音