厩へ戻ると先ほどの小柄な馬が、後を追ってくるふたりと二頭の方を不思議そうに見ていた。

しかし少女に名前を呼ばれると素直に従い、大人しくブラッシングをさせている。

馬が心地良さを感じているのは見ただけでよく解った。

スチュワートはイヴリンから降りると、まだ年端もいかぬ少女に向かって恭しく頭を垂れた。


「私はジェイミー・スチュワート」


少女はブラシを持っていた手を止めるとヘルメットを外し、

豊かな巻き毛を開放しながら恥ずかしそうに微笑んだ。


と申します。サー・スチュワート、サー・ニコルズ。

 おふたりのお話はいつも父から聞いておりますわ」

「良い噂だと良いのですが」


ニコルズもそう言いながら紳士的な仕草で頭を垂れ挨拶をした。


「もちろんですわ。父はおふたりが大のお気に入りなんです。

 “馬に好かれる目をしている”と惚れ惚れしておりますもの」

「お喋りがすぎるぞ


追いついた大佐が馬の手綱を引きながら苦笑気味に咎める。

はまた恥ずかしそうに俯くと「ごめんなさい」と小さく呟いた。

愛馬を宥めながら背から降りて、大佐は娘の額にそっとキスを落とした。


「さあお前たち、馬の手入れをしてやらなくてはね。

 速やかに世話をしたら夕食を食べながら改めて楽しい話をしようじゃないか」


返事とともに皆はそれぞれ自分の馬を引いて各自の厩へ戻ってゆく。

スチュワートは隣を歩くに向かって声をひそめて問いかけた。


「彼の名前は?」

「キャンドルベルよ」

「良い名前だ――君が名付けたの?」


は照れくさそうに頷いた。

イヴリンが仕切りから大きな首を伸ばして、キャンドルベルに顔を寄せる。


「こらイヴリン。キャンドルベルが困ってるじゃないか」

「イヴリンは妬いてるのね」


するとイヴリンは満足そうに鼻を鳴らして首を高く上げた。

キャンドルベルは白けたようにそっぽを向いている。

そんな愛馬たちの様子を見て、ふたりは声を上げて笑った。
















大佐には美しく貞淑な妻と、妻によく似た娘が2人と、彼によく似た息子がいた。

スチュワートとニコルズは毎晩彼らと同じ食卓を囲みながら、

次第に家の人間がいかに家族を大切に思っているか、

――それと同様にどれだけ馬を大切に思っているかを知った。

中でもとくに馬術に関して抜きん出ている長女は13歳で、

今年からボーディングスクールへ通い出すと言う。

ここのところ熱心に面倒を見ているキャンドルベルは、

自分が家を出てから本格的に馬に乗り出す弟へのプレゼントだと言う。

しっかり慣らしておけば、初めて手綱を持つ弟にも無理がないからとは言う。

全寮制の学校へ入ってしまえば、帰省は長期休暇が主となる。


「馬たちと離れるのは寂しいけど、お父様はどの馬も平等に愛してくださる。

 それにイヴリンとウィックフィールドには特別な主人が見つかったから。

 私も安心してお家を空けられる」


スチュワートもニコルズもも、それぞれ入学までの貴重な時間をすべてこの家で過ごした。

朝靄の立ち込める時間に起床し、丹念に馬の世話をして一走りする。

朝食を摂り、ひたすら馬の調教や馬術の訓練に励む。

午後を回った頃、馬具を外して野山に放し、自由に走らせてやる。

少し遅めの昼食に呼ばれ、たらふく食べたあと、紅茶を飲みながら休憩がてら読書をしたり、

入学前の予習に勉めたりと、さすがにそこは抜かりなく時間が設けられていた。

日が傾くと愛馬を迎えに行き、厩に繋いで鉄蹄の泥を落とし、ブラッシングをして、

温かいふすまのマッシュを食べさせて、毛布を掛けてそうしてようやく夕飯にありつける。

家の人たちと楽しくテーブルを囲み、食後はのピアノを聴きながら

ビリヤードやチェスをしながら軽く酒を嗜む。

饒舌になったところでお開きとなり、

あてがわれた寝心地の良いベッドに体を滑らせ、深く眠るのだった。

そんな幸せに満ちた2週間が去り、ついに出発の前夜を迎える。

スチュワートとニコルズは片手間に荷造りをしながら、尽きぬ思い出話に興じていた。

ここを出ればスチュワートはオックスフォード、

ニコルズはケンブリッジというそれぞれ別の道を歩むことになる。

平素ならここで交流が途絶えてしまうことも致し方ないが、

幸いにしてふたりには強い友情と、なによりこの家が存在する。

不思議と不安はなかった。

学業が忙しいことは百も承知で、スチュワートとニコルズは

週末は出来る限り時間を作ってここへ戻ることを互いに誓い合った。

何より世話係のヘンリーたちが面倒を見てくれるとは言え、

自分に与えられた愛馬のことが気にかかって仕方がないに決まっているのだから。
















翌朝はしばしの別れを惜しむようにとくに念入りに馬の世話をした。

もうしてやれることが尽きても尚、

はキャンドルベルの首に抱きついてバラ色の頬を濡らしていた。

次に帰ってきた時には、キャンドルベルは弟の馬になっているのだ。


「キャンドルベル。ロバートをお願いね。

 弟は優しい子だけどまだあまり乗馬が上手くないのよ。

 でもあなたと一緒ならきっと素晴らしい騎手になるわ。

 だからあの子をよろしくね。キャンドルベル、大好きよ」


遠くで見守っていたニコルズが歩み寄り、の頭をそっと撫でる。

スチュワートは懐から真っ白なハンケチーフを差し出すと優しく言った。


「君は弟思いの姉さんだ。

 キャンドルベルとロバートは幸せものだよ。

 そしてキャンドルベルはそれをよく解っている。

 私にも妹と弟がいるけれど、君ほど良い兄とは呼べないな」


おどけて見せると、は強く首を振った。


「この2週間、素敵な兄が2人もできたようで私とても幸せだった」

「私もだよ。光栄に思う」


ニコルズが続ける。


「いつか妹のアリスにも会ってやってくれ。

 家の人たちに紹介したいよ。

 まだ小さいけれど、きっと君を好きになると思う」


3人は別れを惜しむように抱きあうと、またすぐにこの場所で会うことを誓い合った。

こうして彼らの太く長い友情は始まったのだった。



































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ニコルズは最高のお兄さんだと思うわけで。

20121119 呱々音