ティーテーブル。

囲うように配置された最高級のソファー。

四面に向き合って座り、三つ巴ならぬ四つ巴と言ったところか。

緊張した面持ちで白いソファに品よく座るは、

本当に――人形のようだった。

最後に現れたシャーロックの姿を見つけると、

ジョンの顔には微かに安堵の色が浮かんだが、

それもすぐさま失せ、客間は張り詰めた空気に満たされる。

自己顕示欲の塊とも言えるこの探偵が、口火を切らぬわけがない。

だがそれももちろんモリアーティはお見通しで、

彼はまるで促すようにシャーロックの言葉を待っていた。


「こんなくだらないゲームにこれ以上参加するつもりはない。

 そもそもルールが変わったと聞いている。

 ゲーム自体が無効になったはずだが?」


モリアーティはにんまりと口だけで笑う。


「なに、簡単だから手は煩わせないよ。すぐにお家に帰れるさ」

「そうか。ならお言葉に甘えて失礼する。

 行こうジョン」


シャーロックはジャケットのボタンを止めながら立ち上がる。


、帰るぞ」


彼は背を向けていたが、その声は何よりも明瞭に耳に届いた。

は反射的に立ち上がる。

もちろん、そう簡単にはいかなかった。

モリアーティは恐ろしく冷たい声で静止する。


「おかしいなあ――には言ったはずだよ?」


シャーロックは予想していたと言わんばかりに振り返る。


「何を言われた」


は怯えきっていた。

彼女らしくない――ジョンは思った。

ジョンの知るは、何事にも臆することなく、冷静で、

ましてや動揺など見せない聡明な女性だ。

だが今眼前に佇むは、すっかり怯え、打ちひしがれ、

自分の足で立つことすらままならないで、必死に助けを求めている。

モリアーティは最後通告を突きつけるかのように淡々と続けた。


「新しいルールはこうだ。

 すべてはに選ばせる――誰が、彼女の、処女を奪うか」

「馬鹿げてる」


ソファでくつろぎながら、ゆったりと組んでいた足を解くと、

モリアーティはの背後に立った。


「実にシンプルで分かりやすいと思うけどね。

 この子は、景品なんだよ。良く出来た玩具といっしょだ。

 ハーイ、シャーロック。私!アナタのお人形よ!」


の腕を掴んで探偵に向かって手を振らせる。

ついにシャーロックもモリアーティに正面から対峙した。

その表情は冷静そのものではあったが、

モリアーティにはあと少しこの男をつつくだけで

小さな動揺がこぼれ落ちるのも時間の問題だと手に取るように解っていた。

もちろんシャーロックは感情に任せて殴りかかるような男ではない、

―はずだが―その内心に沸き立ったのは、彼が人知れず持ち得た“感情”そのものだった。

モリアーティは寓話の語り手のように立ち振舞った。


「さあさあどうしよう!子猫ちゃんは道に迷ってしまいました。

 道は3本に分かれています――1本目の道は“アイリーン”

 彼女はこの世で一番美しい女王様でした。

 しかしその正体は悪い魔女だったのです。

 悪行を暴かれた女王様は国を追われ、

 今では村の人間に追われて生活しています。

 ですが本当はとても慈悲深く、永い孤独がそうさせたのでした。

 女王様は可愛い子猫が何よりも大好きでした」


アイリーンがを見つめる。すがりつくように。


「2本目の道は“ジェームズ”――。

 民に望まれ王位を継ぎ、大きな国を意のままに統べる王様がいました。

 彼は頭もよく、人気者でしたが、ある大切なものをずっと探していました。

 幼い頃に生き別れた妹です。

 王様は妹を愛していました」


――その言葉が真実とは限らない。

そう言わんばかりの表情でモリアーティは続ける。


「3本目の道は“シャーロック”

 彼はわがままでひけらかすのが大好きな王子様でした。

 国民はすっかり飽き飽きして、彼に王位を継がせませんでした。

 鼻つまみ者となった王子様は黒い森へ追われ、

 すれ違った魔女の忠告も聞かず、森の奥へ奥へと突き進んでいきます。

 そしてその最期は――、」


シャーロックはモリアーティを無視するように、再度訊いた。

の目をしっかりと見据えながら。


「何を、言われた」


可哀そうに――今にも泣き出しそうな有様だ。


「…私が――、シャーロックを…選んだら、」


彼の目は無言でを促していた。

――大丈夫だと、言わんばかりに。

は躊躇いを振り切るように、苦しげに荒い呼吸を繰り返した。


「あなたが…っ…あなたが――死ぬって、」

「人はいずれ死ぬ」

「っ、そういう意味じゃ」

「そういう意味じゃないことくらい解る」


アイリーンは誰にも悟られぬくらいささやかに、目を細めた。

――ええ、そう。それでいいわ。

わがままな王子様が覚悟を決めたのなら。

きっと子猫は――。


「…もういいわ。

 さあ――、選びなさい」


王は女王を睨むことなく無言のうちに威圧した。

彼女に仕切らせる気など更々無いのだ。


「子猫をこのゲームに巻き込んだのは君だよシャーロック」

「なぜそこまで彼女の純潔にこだわる」

「加わった以上、無垢なままではいさせない。

 も――そして君もだ」


蛇のそれのように、モリアーティの目は片時もシャーロックから離れない。

ジョンが必死の思いで割って入る。


はお前の妹なんだろう?」


モリアーティはうんざりしたように瞬きをする。


「血の繋がりなんて、そんな些細なことどうでもいい。

 再会を喜ぶ兄妹ごっこは終わりだ。

 重要なのは、子猫がどの飼い主を選ぶか――違うか?」

「いや違わない」


シャーロックの返答に、ジョンは顔を歪めた。

信じられないと言わんばかりに睨もうが、食いかかろうが、

彼らがそんなもの気にしないことくらい頭の片隅で解っていた。

だがジョンはそれでも何一つ納得がいかずに、くそう、と吐き捨てた。


「答えは解ってる」

「どうかな」

「聞く必要もない」


モリアーティは傀儡師のようにの耳元でそっと囁く。


「…さあ――。選ぶんだ」

「私…」


3本の道に佇む3つの顔を見比べる。

シャーロックの目を見つめたは、まるで助けを求めるみたいに顔を歪める。

彼女はシャーロックの名を――呼ばなかった。

無言でモリアーティの手を取った。

彼の胸に額を押し付けて静かに泣いている。

文字通りこの世のすべての煩わしさから庇護を求めて兄に縋る妹のように――。

それは形としてはひどい裏切りだった。


「…――ジム。もう疲れたわ、帰りましょう」

「ああ――“お家”へ帰ろう」


モリアーティはシャーロックを見据えたまま、猫なで声で妹をなだめる。

シャーロックはを見つめる。


「じゃあ決まりだね。

 ああ――女王様のルーム代は僕が払っておくよ。

 それから、忠告しておこう。

 さっさとロンドンを出たほうが身のためだ――。

 そして“君ら”も、」


探偵とその助手を一瞥する。


「ご愁傷様」


もうはシャーロックの方を一度として見ることはなかった。

































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20120927 呱々音