trente-cinq





ゴンドラが着岸するや否や、私たちは獣みたいに抱き合って、

互いに身体が存在する事を確かめ合った。




燃え盛る炎に身を投じた気さえした。

しっとりと汗ばむ彼女の肌に、私の肌を重ね、

乱れた呼吸を徐々に合わせる。

容赦の無い快楽が、今確かにと通じている事を知らしめる。

これで良い――今私たちにはこの行為が必要なのだ。

が細い腰を一生懸命に動かして、

私の動きに応えて見せる様がなんともいじらしく思えて

気が狂うほどの愛しさが激しく心臓をなぶった。

散々翻弄されて、くったりと私の胸に果てたの身体をそのままに、

私たちはしばしの間、怠惰な休息に耽った。







微睡みの淵から目覚めた時は、すでに昼近かった。

私の胸に頭をもたげて甘えるように見つめるの瞳はいつになく輝いて――。

まるでペルシャの王族に捧げられる最上のダイアモンドかエメラルドのようだと思った。

のルビー色の唇がそっと割れる。


「――例えそれがどんなに困難な愛であろうとも、

 信じるのならば親を選ばず…愛を選べ」

「ふむ――良い言葉だ。誰のものだい」

「大祖父の言い付けよ。

 我が家の女はみんなこの言葉を尊んで来たの。

 だから母も、祖母も――大祖母も…きっと私の背を押してくれるはず」

――、」


小さな白い手をそっと握りしめる。

眩しく笑って、彼女は言う。


「――エリック。

 私、貴方と共にこの時代を生きるわ。

 …貴方が…許してくれるのなら」

「…――愚問だな。

 次からはもっと実のある質問を用意しておくと良い。

 …――本当に――良いんだな?」


後悔しないと誓うのか?

狂気の男の連れ添いとなって?

私はを信じている――だが…果たして死するその時まで、

君はこの時代を全う出来るのだろうか。


「君が私の隣に居る限り…、

 命をかけて――君を守ろう」

「エリック…心の底から愛している。

 何度だって言うわ。

 私は貴方を、愛してる」


嗚呼もう――充分すぎるほど、知っているよ。

キスの、慈しみの、献身の、そして愛の意味を――。

すべて君が身を以て無知な私に教えてくれたのだから。

全身全霊を傾けて、教えてくれた。

こんなにも美しく激しい愛の存在を。

皮肉な運命の烙印を背負った者同士は、狂おしいまでに弾かれ合ってしまった。

抗う事の敵わぬ魂の共鳴を持って突き動かし、知らなかった世界を説いてくれた。

君はどんな困難をも乗り越える力を持つ。

それは天性の才能だ。

知性だ。

魂の美しさだ――!


――君は私の最愛の女神だ。

 愛しているよ――永遠に」





















     ・




     ・




     ・














「《イザベル》は対価よ。

 おそらく、この《傷》も対価――。

 だから《鏡》を見ると痛むのよ。

 私の《死因》だから。

 だから《苦痛》と引き換えに消えたんだと思うの。

 消える可能性があるというのなら――私はレッスンを続けるわ」


の頑な意思の前では、私の助言も意味を失いはじめている。

やれやれ――頑固なところばかりが更に私に似て来たようだ。

本音を言えば…微笑ましくもある。

また壮絶な痛みとの戦いが始まるのかと思うと

気が塞いでたまらなかったが、がそれを望むのならば――。

咎める理由はどこにもなかった。

私のように奇形故に世界から虐げられる苦しみを

に背負わせる勇気の方が無かった。

消える可能性があるならば――それに掛けるべきだと思うのは当然である。


「――の好きにすると良い」

「ありがとう…エリック」







さてレッスンの再開に関しては、マダム・ジリーは何も反対しなかった。

最初は驚いていたが――マダムはすでにこれを見越していたのだろう。

私とて、の苦行と共に消えて行くケロイドに

あれだけの怖れを感じていたというのに、

今や不思議と不安は沸いて来なかった。

彼女の悲鳴を聞くのは、それこそ身を引き裂かれる思いがするが、

これは――試されているのだ。

残酷な女神はいつだって退屈しのぎの試練をお望みなのだ。

を支えてやらねばならぬ。

彼女が耐えるのならば、私もまた耐えねばならぬのだ。

案の定、レッスンとは名ばかりのそれは――燦々たる物だった。

鏡に映れば身を裂くような苦痛が彼女の身体を駆け巡る。

耳を劈くような悲鳴がのか細い喉を燃やす。

散々痛めつけた身体をなんとか起こすのがやっとで、

あとは私がを抱いて連れ帰った。

以前のように、たて続けにやる事だけは避ける様になった。

の体力が持たないからだ。

それに叫びすぎてまた喉を悪くしてしまっては元も子もない。

歌のレッスン、バレエのレッスン――そして1日休む。

いつの間にかこのペースが定着しつつあった。

徐々にではあるが確実に薄くなって行く彼女の背中の傷跡を見る事だけが

私の忍耐をかろうじて繋ぎ止めていた。

そんな私を思いやってか、はよく笑い、泣き言ひとつ言わなかった。







更に。ひとつわかったことがある。

薄々と考えて来た事だ。

イザベルの傷は死んだ世界――《19世紀のパリ》でついた傷である。

彼女の祖母いわく、未来の日本に流れ着いてもそれは消えずに残っていたと言う。

だががこの時代のパリへ来た時点で、

彼女の死因ともなったであろう鏡に潰された悲惨は傷跡はついていなかった。

あくまで背中の傷…火傷は、こちらへ来てから付いたものである。

この不安は背中のケロイドが薄くなるにつれ強くなり、

まるで膨れ上がった腫瘍を告白するかの如く、

ついに胸中の不安をマダムに向かって吐き出した。

するとマダムはけろっとしたもので、全く落ち着きはらって言った。


「当たり前です」

「当たり前?これのどこが当たり前なんです?

 論理的に考えれば対価はその名の通り等しい物でなくては、」

「この一連の《交換》は――論理では推し量れません。

 仮に誰かに真実を打ち明けてごらんなさい。

 精神病院に送られるのが関の山です。

 ――それは貴方もわかっているはずですよ」

「私は精神病院云々の話をしている訳では」

「いいですか、エリック――私にしてみれば、

 この答えはよく考えればすぐにわかる事です」


当たり前だと言わんばかりの口調でマダムは続けた。


「――イザベルの“願い”です。

 もまたイザベルと同じ様に、

 愛する人を見つけこの時代に残ると心を決めたのですから。

 の苦痛はすべて、彼女が持って行ったのだと、私は思います。

 イザベルの人柄を思えば当然のことで、

 そして母となったものなら――同じ痛みを与えたくないと願うのが普通です。

 ――たとえ曾孫であってもね」


黙って聞いていたがまるで聖母のように幸せそうに微笑んだのを見て、

私はようやくそれがすべての答えなのだと悟るに至った。




マダムの与えたカシュクールが、の小さな背中を隠さずとも良くなる日が来るのも

時間の問題だろう――と思った。


















T O P /  N E X T








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もう察して頂けてるかと思いますが…

「愛って理屈じゃないんだよ」という展開に甘えすぎた事が私の罪です(土下座)

20110524 呱々音