dix-neuf





カルロッタのヴィオレッタ―…。

高音の金切り声は聞くに堪えなかったが、役が派手な分だけいつもよりはマシには見えた。

あれに完璧な解釈と、ヴィオレッタに存在する健気な部分さえ加われば、

ちょっとは観れる物になるというのに…!

赤い口紅を塗った大口を開けて、ふんぞり返って歩くだけのスペイン娘には、もううんざりだった。

しかし…今夜の公演は"最低"では無かったろう。

最高の席で、良いオペラを観れたのだ…私の腕にしがみ付く は、とても興奮している様だった。

「あまり興奮しすぎて、船から落ちないようにね」

彼女の足取りは、不安定な船の上だろうが、とても軽やかな物だったので、

私は逆に不安になって、そんな言い方をした。

「だって、私、2年ぶりにオペラを観たの。とても素晴らしかったわ、ああ本当に幸せ…!」

はそう言うと、もう何度目か解らない、今夜のパンフレットを眺め、うっとりとその胸に抱きしめた。

「ありがとう、エリック…本当にありがとう」

私は人から感謝されることに、完全な不慣れだ…!

どう返していいか、ましてやその言葉自体を、本当に受け取っていいものかも解らず、

ただ黙々と船を操る事しか出来なかった。

私の領域に辿り着き、彼女の手を取り船から降ろしてやる時に、

ようやっと彼女に言ってやる言葉が出てくる程だった。

「…… が望めば、いくらだって観れるよ」

その言葉は を喜ばすには十分だった様だ。

彼女は嬉しそうに微笑み…これもまた信じられないが―…!

私の頬に、そっとキスをしたのだ…!

反応するより早く、彼女は上機嫌で部屋へ戻って行った。

訳も解らず、呆然とカウチに腰を下ろし、その露出した肌…彼女の唇が落とされた部分に、そっと手を当ててみた。

彼女の甘い香りと、柔らかな唇の感触が、今、確かにここに触れた―…。

まるでロンドンの霧の中を歩いているように…ぼんやりとした思考がゆっくりと頭を侵食している。

自分が今何処にいて、立っているのか、座っているのかも…理解しているのか怪しい所だ。

これがまどろみなのか、現実なのかも危うい様に思える。

この虚ろな頭に―…聞こえる……。

………ああ…これは……………歌―……?

……―歌―……!!

微かだがその歌は、私を恐ろしい速さで現実に呼び戻し、定着させるには十分だった…!

まるで喉元に冷たいナイフを突きつけられた様に、ひんやりとした緊張が全身を駆け巡ったのだ。

耳を疑うより早く、私は取り憑かれた様になり、

盲目的に の部屋へ駆け寄ると、ノックもせずにその扉を開けた。

ガウンを纏い、髪を梳いていた は、流石にびっくりした様子で扉の方を振り返るが、

今の私には、そんな常識的な場面も思考も存在しない!映ってもいない!

ずかずかと部屋に押し入ると、 の華奢な肩を力いっぱい押さえ、食い入るように言った。

「歌っていただろう」

は状況の理解に困り、私の顔を見つめるが、そんな説明染みた会話など…今は求めていないのだ。

「今、歌っていただろう!さっき観て来た歌を!ヴィオレッタの歌を…!」

は掴まれた肩に一瞬顔を歪めたが、多少腑に落ちずとも、納得したらしく、

私の腕に手を回すと、少々困りながら優しい声で言った。

「エリック、エリック、ちょっと痛いわ。

 歌って…鼻歌よ、ちょっと呟いていただけ。……聞こえたの?」

はとても興味深げな顔で、不思議そうに聞いてきた。

ああ!教えて欲しいのは私の方だ…!

思っていた以上に自分の手に力が入っていたのに気付き、思わず舌打ちをした。

小さな肩の束縛を解くと、押さえつけてしまった部分をそっと手で撫でた。

「…すまない。頭に血が上ってしまって―…」

「いいの、構わないわ」

は微笑み、繊細だがどこかうっとりと呼吸をした。

これじゃあまるで…私にそっと撫でられるのを喜んでいるようじゃないか!

「… 、向こうへ。もう一度聴かせておくれ、さっきの歌の続きを―…!」

今私の頭にあるのは、渇望だ!

が頷いたのを目に端に入れると、私の身は言い知れぬ期待と興奮で熱を持ち、

自分自身の煩い鼓動に、耳を塞ぎたい程だった。

ピアノの前に立った は、水差しを手に取るとそれをひと口飲み、

緊張した喉を潤して、おずおずと言った。

「……歌うのは本当に久しぶりなの、歌い方を忘れていても、許してね」

私は返事の代わりに逸る気持ちで鍵盤を叩いた。

ああ、この手が、全身が…確実に今を待ち詫びている…!

その小さな身ににすぅと息を吸い込むと、自身もそれを待ち詫びていた様に、

震える喉を開放して、思いの丈を空に放した!




ああ、もしかしたら彼こそが、魂が

混乱した孤独の中で

絵姿として楽しんでいたのは

神秘的な色合いの


慎み深く慎重であり

高みに昇る人

新たな情熱を燃やし

私の愛を目覚めさせてくれた




ああ!やはり!思ったとおりだ…!

私はどうやら、とんでも無い宝石を見つけてしまったらしい―…!

がひとつ音を奏でるだけで、私の脳内には甘やいだ痺れと恍惚感でいっぱいになってゆく…!

そう…彼女の声は…罪、毒―…そして奇跡―…!!




慎み深く慎重であり

高みに昇る人

新たな情熱を燃やし

私の愛を目覚めさせてくれた


鼓動する愛は、

全宇宙の

神秘的で誇り高く

心に十字架と喜びをもたらす!




恐ろしい勢いで、私の全身を侵してゆく…その何処までも澄み渡った美しい声で!

これは完璧以上の未知の世界、それ以外の何物でもなかった…!

アリアを歌い終わる頃には、彼女の声による浸食はもう随分な効果を発揮していて、

私の全身が、新しく壮麗な衝撃に、惜し気もなく満たされていた。

がほっと胸を撫で下ろし、頬を染めて私の様子を伺う。

私の目に映る は、もうただの小娘では無い。

予想以上…いや、もっと素晴らしい世界を、魅せてくれた。

トレーニングを怠ってこの声と言うならば、指導次第で、もっともっと!遥かまで伸びてゆくだろう!

私はもはや本能的な悦びの満たしで、いっぱいなのだ。

の手を取ると、その身体を引き寄せ、自分の胸にぴったりと抱きしめた。

「…―君は私を、この上ない喜びで満たし、あらゆる事物から開放する力を持っているらしい」

腕に包まれた が、熱を持った声で聞き返した。

「本当…?」

本当かって―!ああ!この子は…!

馬鹿な事を言う、そう咎め様とした時、彼女は自分の喉にそっと手を当てて呟いた。

「…私まだ歌えたのね…、嬉しい…本当に幸せだわ…、」

一度は潰れかけた彼女の喉(いのち)―…それを思うと、あの滑稽な見世物小屋とあの男を、

殺してやりたいとすら思う…!私達の心は抉られる様だった。

「私、エリックのために歌うんだと思ったら、とても良い声で歌えたの、本当よ」

高潮し、その瞳には小さな水滴を溜めて、 は私を真っ直ぐに仰ぎ見て、幸せそうにそう言う。

この、行き場所さえ持て余す、愛しい思いに喘いでいるのは―…私だけでは、無いのかも知れない…。

私は出来るだけそっと、 の頬を包み込むと、その柔らかな唇に自分を重ねた。

こんな行為を、私は知らない。

しかし…人間の愛の極地故に生まれた口付けは…あまりにも容易く、そして崇高だと思った。

すぐに身を引こうとすれば、信じられない事に、彼女の小さな口が、私を追うのだ。

そうやって求め求められるままに、お互いを味わうという事を、今初めて、成し得たのだ。

ああそうか…私の魂はすっかり、 でいっぱいになっているのか…。

から与えられた物を、言葉で表すのならば、それは幸せと表現するのが、一番近いのだろう。

しかしそんな一時の物で、彼女との関係が言い表せるとは到底思えない。

私は今、愛されている。

それ以上に… が心底愛おしい。

彼女の雨垂れより早く、私の頬は一筋に塗れていた。

私は今―…愛する者からの愛に、満たされている。











T O P /  N E X T








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…大進展!!(プッハァ!)

やりきった!というかやっと歌えました!(わあん)

まだあるんです…まだ…もうちょっと…(もんもん)

そして絶対椿姫の知識、間違ってるよ…。

私が解釈出来てないよ…本当…突っ込まれたら終わります。

正しい知識を持って無い…!(へたれ)

おおん!さん、初キス、おめでとうございます!

20070810 狐々音