お伽噺の中のドロシーは黄色いレンガの道を辿って、エメラルドの都へ。

愛する仲間と魔女を倒し、エメラルドの都から故郷カンザスへと帰っていく――。






そんな事を考えながら、は手元を見つめる。

クレインはコーヒーと新聞から顔を上げると、値踏みするように目を細めた。


「もっとボロボロでいい。

 ――お前のその《スケアクロウ》みたいに」


そう言っての横にちょこんと置かれている、かかしのぬいぐるみを顎で示唆した。

年季が入りすぎているそのぬいぐるみは、ボロ布の塊も同然である。

だがそのぬいぐるみはが保ち得る唯一の家族であり、親友であり、宝物だった。

クレインはそれを承知で《スケアクロウ》というモチーフを選択したのだった。

《スケアクロウ》が《ドロシー》に望んだのは、麻の袋を使ってマスクを作る事だった。

は今まさにこの瞬間、その小さく無垢な手で

彼のために《スケアクロウ》を生み出している。

手先は器用だが、ボロボロの物を作れというのはなかなか難しい注文である。

だがには不満も、まして反発の片鱗すら存在しない。

要望に近づける事しか頭の中には浮かばない。

少し縫っては、ほつれさせて、また縫ってみる。

もともと麻布自体は相当ボロボロだったから、雰囲気という要素はある程度クリアしている。

そうやって更に1時間ほど試行錯誤を繰り返し、クレインを探して辺りを見渡す。

リビングには居ない――つまりそれは書斎にいる事を示している。

控えめにノックし、いつも通り「入れ」と返ってくるのを待ってから

は書斎の扉を開けた。

クレインは整然と並べられた大量の本や資料の棚を睨んでいた。


「探し物?」

「まあな――…で?出来たのか?」

「ちゃんと目が見えるか確認したいの…被って?」


差し出したボロ布を受け取ると、クレインは眼鏡を外し、それを頭に被って鏡を見た。


「…いいだろう。なかなか上出来だ」


はほっとしたように、微笑みを向ける。

それを見て――日曜日の午後の悪魔が、クレインの耳元で甘言を囁く。

クレインは指を伸ばし、のツインテールに止まる柔らかなリボンを引いた。

サテンのそれはいとも簡単にほどけて床に落ちる。

豊かな髪を束ねていたゴムもまた同じように引かれ、肩や背に髪が頽れる。

その行為を、は抵抗する素振りも見せず、ただ従順に受け入れる。

首筋に、頬に、乾いた麻袋の感触が伝わる。

はうっとりと瞼を閉じる。

《スケアクロウ》は《ドロシー》に言った。


「――犬を買ってやろう。《トト》――だったか?

 《ドロシー》には必要だろ」


《スケアクロウ》からマスクを取ってやる。

《ドロシー》の身体からつぎつぎと洋服が取り去られる。

の躯を這いまわる彼の指は優しく穏やかで、その指は執拗に下腹部を行き交う。

だがクレインは小さな芽に口吻けをする事はあっても、決してその場所には触れなかった。

肉体の関係に至らない遊戯――。

だがその行為にも確実に限界が迫っていることもまた事実であった。

無垢な少女の、目まぐるしいまでの躯の変化に、クレインは気付いていた。

確信的な動きを見せぬ崇拝の愛撫さえも、

の閉じた場所を湿らせるには充分足りるという事である。

刻一刻と成熟へ向かう幼気な躯を抱きしめて、尚もクレインの胸中は訴えていた。

未だその刻では無い――と。

















映画の中のトトは小さく勇敢なケアーン・テリアだったが、

学校帰りに立ち寄ったペットショップで売られていたアイリッシュ・テリアを、

は一目で気に入ってしまった。

綺麗な赤毛のアイリッシュ・テリアはもう随分と可愛い盛りを過ぎてしまっていたため、

おそらく店員も持て余しているのだろう――角に追いやられるようにして、売られていた。

その黒く濡れた瞳は誠実であり、を見つめて静かに躍動していた。

若く余りある力を檻の外で発揮することを強く望む者の目――。

媚びる目ではない、役に立ってみせるという誓いの目――。

(お前も私と…お揃いなのね)

結局は飽きる事なくずっとそこにいて、まだ名前も持たないアイリッシュ・テリアと

目と目の会話を楽しんでいた。

クレインは仕事を終えると、から届いていたメールを見て、

閉店間際のペットショップへ立ち寄った。


「――ずっといたのか?」

「うん。この子、私と同じなの。

 役に立つって言ってるわ――“パパ”」


店員は熱心なの姿になかばうんざりしていたようだが、

クレインがチェックを要求すると、それは取るに足らないことなり、

買手が付かずに困っていたそれが売れる事に満悦の笑顔を浮かべていた。

アイリッシュ・テリアはにリードを引かれ、誇らし気に胸を張り、尻尾を振っている。

クレインの手には犬を飼うにあたって、とりあえず必要な物が一式抱えられていた。


「お前――犬なんか飼ったことないだろう」


すでに犬と打ち解けた様子のを物珍しそうに見ながら、クレインは聞いた。


「先生はあるの?」

「…ずっと昔の話だ。育てたって言えるレベルじゃない、ガキだったからな。

 ――あの家も両親も心底嫌いだったが…犬はまあ――嫌いではなかった」

「友達だったの?」

「そんな大層な物じゃないが――…、

 ――おいお前、」


クレインは目を細め、犬に向かって厳しい口調で忠告した。


「ベッドには乗るなよ」















無名のアイリッシュ・テリアは《ドロシー》から《トト》という名前を与えられた。


トトは慎ましく忠実で、それでも大人しさの裏に脈々と受け継がれている牧羊犬としての本能、

そして勇敢さを湛えた生粋のテリアだった。

の努力の甲斐あって、躾は行き届き、よく懐いた。

それに愛くるしい赤毛の動物は、決してベッドの上に上ろうとはしなかった。

クレインは気を良くして、に与えたのと同じように、

トトにも小さなスペースを与えてやった。

リビングのコーナーにゲージで区切られたその場所に、トトは大喜びして見せた。






新しい家族が増えたことに比例するようにして、

クレインの帰りは少しずつ遅くなっていった。

そして帰ってくると忙しなく書斎に籠り、

眠る時は何かを発散するように、を手荒に抱く事が増えた。

ある晩、の首筋に赤い痕を付けて、そこでクレインは我に返った。

それはたった今、厳粛に保たれていたルールの一線を超えてしまった事による物。

ルールはとクレインの間で持たれたものではない。

クレインが自ら引いた一本の危うい境界線――を崇拝するための境界だった。

彼の顔色が変わった事に、はすぐに気がついた。


「…デュカードの誘いを受けたのね」


は彼が過ちと認める咎めをあえて無視し、その向こうにある真実を確かめる。

クレインは微かに動揺したが、この少女に隠しておけない事は既に承知していた。


「ああ――もちろん受けた。彼は私の技術を欲しているからな。

 私はこの街が――奴らが苦しむ様を見届ける事を許されたんだ。

 愚かで何の役にも立たない、無様に死ぬべき、不必要な人間どもの殲滅をな。

 ――この街にはどうでもいい人間しか存在しない」


クレインはの小さな胸に顔を埋めて、吐き捨てるように言った。


「…――お前は別だ」


するとベッド脇で大人しく寝ていたトトがわん、と吠えた。

クレインはうんざりと顔を上げると「ああわかってるお前もだ」と目を回した。





















   *


   *


   *























ディカードの心にはどうにも気にかかる事があった。

それは曖昧模糊とした物から、日に日に形を持った物へと近づいていく。

最初は細く小さな針で引っ掻いたのような瑕であったはずだ。

だがしかし、これを利用しない手は無い――今はそう確信していた。

それは計画に直接関わる事ではない。

ただひどく興味をそそられる事ではあった。

酔狂と言われればそれまでだが――試してみるのも決して無駄ではないだろう。






影の同盟の精鋭は、秘密裏にゴッサムを訪問し、最後のリサーチを終えた。

ヒマラヤに戻ろうという直前で、デュカードは寄りたい所があると打ち明け、

護衛を一人連れ、数年前一度だけ訪れたアパートメントを目指した。
















は平素より早く、夕食の支度をしていた。

少し時間のかかるレシピに挑戦しようと食材を並べていると、訪問客を告げるベルが鳴った。

大人しいトトが珍しく歯を剥き出しにして低く唸っている。

は一瞬でその訪問者が誰かを確信した――背筋に寒気が走る。

…しっかりしなきゃ、駄目)

再びベルが鳴り響き、は硬直していた足を走らせ、覗き穴を確認した。

やはり――。

錠を外し扉を開けるとそこには――ヘンリー・デュカードが立っていた。

彼は相変わらず長身で、そしてどこまでも紳士の出で立ちをしていた。


「やあ、久しぶりだね」

「――お久しぶりです…デュカードさん」

「ますます綺麗になって――クレインもさぞ鼻が高いだろうな」

「父――…いいえ……私になにか、御用が」


デュカードはそのの察しの良さに、良い知れぬ満足感を得て微笑んだ。


「君は頭がいい。――中へ入っても良いかな」











以前程の緊張感は与えられなかった。

を怯えさせても何も良い事は無いし、これから穏やかに話を始めるには、

デュカードの威圧は不必要だった。

トトはデュカードと目が合った瞬間、吠える事を止めた。

大人しくゲージに収まって、が器用に紅茶を入れるのを見ている。


「ありがとう。ダージリンが一番好きだ」

「良かった…アールグレイと迷いました」


そう言って、は初めてデュカードに向かって微笑みを向けていた。

まだ幾ばくかの緊張あるのは事実だが、それでも手足も顔の筋肉も、震える事なくちゃんと動く。


「焼き菓子はお好きですか」

「ああ好きだが――今はお茶だけで結構だ。

 ――君にひとつ提案がある」


相変わらず、この紳士の瞳の奥は読み取れない。

その目でまっすぐに見据えられ、穏やかな声は厳粛に話し始めた。


「前回会ったときから、君に興味が湧いてね。

 生い立ちについて色々調べさせてもらった。

 ――君の過去をクレインは?」

「…知り…ません」

「――なるほど」


の顔から血の気が失せてゆく。


「…正直、私もよく…思い出せない…ので」

「君の恐怖はなんだ」


この紳士の前で、ごまかしは利かない。

真実を答える事しか許されていないのだ。

クレインの家であれ、今この空間は、あくまでもデュカードが支配しているのだから――。


「…先生の、いない世界――ジョナサンが、消えてしまうこと、」


デュカードはから目線を反らさない。


「では君の愛するクレインに、果たして君が護れるのか。

 彼には知識はあっても、力は無い。

 私はが護られるばかりで満足できる人間だとは到底思えない。

 人が暴力によって追い込まれた状況で、心の救いは何の役にも立たない。

 これは物理的な問題の話だ――クレインが死にかけたらどうする?

 誰が彼を護る?今の君に、彼が護れるのか?」


は心の無い人形のように、大きな目を見開いて、デュカードを見た。

逃げ場所を無くした涙が、大きな粒となってエメラルドの瞳から零れ落ちる。


「死なせないわ。絶対に。どんな事をしてでも、ジョナサンは死なせない」


顔を歪めて苦痛に耐える姿は、デュカードの目にすらデカダンの妖精のように映った。


――私とヒマラヤへ来い。

 真の意味で強くなりたいのなら自分自身の恐怖と向き合え。

 クレインを護るための“強さ”を教えよう」



































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はい!連載再始動!動き出しました〜!

これも一重に5周年企画リクエストにで催促をして下さった

ともみ様のおかげでございます!

いずれ書かなくてはなあと思いつつ、

脳内でもんもんとこねくり回していたネタを、

文章化する機会を頂けて、本当に感謝しております。

いつもありがとうございます!


喋れるようになった夢子の呼び方レパートリーとしては。

世間体に関わる公の場所では「パパ」

二人での日常会話では「先生」

感情が高ぶったりプライベートな状況では「ジョナサン」

こんなイメージです。

さて。なんかデュカードが出て来ました。

本編にうまく絡めていけるよう、が、が、が、頑張ります(必死)

クレインが手荒に抱くっていうのは言葉がドSすぎて夢子を泣かせたり、

変な場所であられもない事をされたり…とかでしょうね。

崇拝してるので直接的なものは無いですが、いじめて、間接的に嬲るのが好き。

あーだめだなほんと。

しつこいようですが、クレインはペット飼うの下手です。

これから上手くなっていく…んでしょうね。

20110718 呱々音