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時同じくして――運命を大きく左右する事件が起こる。 クレインの様子の微細な変化に、は気付いていた。 ここの所、の前で平静を装ってはいても、 ふと遠くを見つめてフッと笑う彼の目の奥には、 残忍な緊張を楽しんでいるようなクレインの本性が盛んにギラついていた。 確かに彼は残酷な人間だが――ここまでの姿はも今まで見た事が無い。 の胸中に小さな不安の影が忍び込む――。 ある日曜日、リビングで読書をするクレインの隣で、 が勉強に勤しんでいると、訪問を告げるベルが鳴った。 普段ならばソーシャルワーカーくらいである。 つまりこの家では――それはとても珍しい事だった。 クレインは訝し気に訪問者の顔を確認しようと薄く扉を開ける。 すると彼は微か目を見開き、一瞬にして身体を強張らせた。 しかしそれと同時に、どこか異様なこの状況を 楽しんでいるかのような危うい印象をは受けた。
背が高く、体つきも立派な紳士が立っていた。 上品な黒いスーツを着て、後ろにはもう1人スーツの男を連れている。 連れの男は彼の友人というよりは従者と言った雰囲気だった。 紳士はとても深い、落ち着いた声音で挨拶を述べた。
部屋の奥に立ちすくむの姿を、興味深気に伺っているのだ。 はまるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。 呼吸すら覚束ない。
まさか貴方の方からいらっしゃるとは――、 私の方こそ、ご足労頂く形になってしまって――心苦しい限りですよ」
しかし紳士は誰にもバレた事のなかったそのやり取りを あっさりと見破り、口を割った。
ビリビリして、息苦しい。 ――《スケアクロウ》が欲しかった。 ソファに置いてあるそれを、振り返って腕に抱きしめる事すら出来ない。 この異様なまでの緊迫感――。 クレインが紳士を家の中へ招き入れる。 連れの男はやはり付き人なのか、玄関で待機していた。 クレインは極度の緊張に晒されたを見て、内心で舌打ちをした。 紳士はを見据えている。 はなんとか恐怖を振り払って紳士の目を見た。 すると紳士は膝を折り、その長身を縮め、自己紹介を述べた。
今日はお父さんとビジネスの話があって来たんだよ」
どこか感情が読み取れない。
「いいえ――血は繋がってません。 だが私の従順なペットだ」 「――信用出来るのか?」 「もちろん――私が保証します。 それに、」
はもはや限界だった。
《口外》する心配はまず無いでしょう」
では、ミスター・デュカード――あちらへどうぞ。 ――お前は自分の部屋へ戻れ」
今更恐怖が込み上げ、涙が止まらない。 スケアクロウにその涙が染み込む。 ――聞いてはならない話が始まる。 少しでも動いて聞き耳を立てよう物なら、きっとすぐ悟られる。 は無力にも、デュカードがこの家から 一秒でも早く出て行ってくれる事を願うより他無かった。
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はあれからずっと時計を睨み続けている。 ――ちょうど1時間が経ったまさにその時。 扉越しに声がした。 デュカードだ。
効果は薄いから問題ない。 私たちは帰ったと彼に伝えてくれ。 ――いいね」
デュカードたちはこの家を出て行った。 はまず自分の部屋の扉を少し開け、それから恐る恐る辺りを見渡す。 大丈夫だ。 デュカードたちの気配はしない。 は弾かれたように慌てて部屋を飛び出した。 無駄な行為かもしれない――でも、玄関の鍵を閉めなくてはと思った。 手足が震えて少しもたつく。もどかしい。 そしてとにかく無我夢中でリビングを目指した。 ソファの上には――、クレインが――! 駆け寄る。 だが、意識はない。 は必死でクレインの身体を揺すぶった。 涙が止まらない。
クレインは短いうめき声を上げた。 深い昏睡の淵から這い上がるように、クレインは重たそうに瞼を上げた。 彼の朧げな瞳に映ったのは――涙で顔をぐしゃぐしゃにしたの姿だった。 クレインは必死に意識を手繰り寄せる。 腕を持ち上げる。ひどく重たい。 そうしての頬にそっと触れる。濡れている。
そのまま横たわるクレインの胸に顔を埋める。 シャツを握りしめ、肩を震わせて――泣いていた。
起き上がれるようになると、クレインはの差し出したコップの水を飲み干し、 まるで反芻するかのように――先刻のやりとりを克明に口にした。
彼の組織が齎さんとしている世界の混乱の事。 科学、医学、錬金術の事。 そして――ヒマラヤの《青い花》の事。
彼はそれを何百倍にも薄めて、私に焚いてみせたんだ」
彼らの計画の手始めは、見せしめとして まずこの腐りきったゴッサムシティの混乱だと言う。 そこで目をつけられたのが――ジョナサン・クレインという訳だ。 今はまだ一階の精神科医という身分ではあったが、あと数年もすれば、 巨大なアーカム精神病院の舵取りを任されるであろう事は明白だった。 彼らは決してそれを見落とさなかった。 クレインの心の歪みは、ラーズ・アル・グールの甘言に蠱惑されていた。
とは言え、物事にはなんでも準備って物が必要になる。 彼は…私の返事を待っているんだ」
毎日見ているはずのグリーンの瞳は――涙に濡れて一際輝いて見えた。 ――美しい。 だが、ひどく不安げだ。 クレインは表情を取り去り、言った。
お前を私の弱みだと勘違いする馬鹿な輩が、 これから大勢出てくるって意味だ。 ああそうかそうだったな、 どんな目に遭っても良いと。 お前は確か私にそう誓ったんだったか? ペット、モルモット、実験体――。 いいかお前は私の所有物なんだ。 私は自分の所有物が傷つけられたり破壊されたりするのを見るのは とても、不愉快だ。――好まない。……望まない」
これは 愚かで 歪曲し 病みきった 不健全な――。 への、愛だった。
想像通りの――甘く優しい崇高な、涙に濡れた声。
わたし 先生を 愛してる」
彼は腕に閉じ込めた。 初めてだった。 未熟な存在だ。 だがしかし、驚くべき事に、 そこには毅然とした意志と魂が宿っている。 これは子供のフリをした悪魔の世迷い言なのか――、 はたまた純真な天使の罪深き懺悔の告白なのか――。
思いをとげずには居られない性分なのだ。 痛い程に。狂う程に。
あの日からずっと――聞こえていたのだ。 ぎこちなく力を込め、華奢な身体を抱きしめた。 背中に這う小さな手の存在を感じて、彼は更に力を込める。 クレインの身体がソファの上に転がった。 折り重なるように、彼の心臓の音を確かめるように、 はそっとクレインの胸に耳を当てた。 あとは虚ろに――まかせるままに――。 胸に縋り付くの豊かな髪を一束掴んで、指にからめる。 はうっとりと目を閉じる。 長い睫毛が微かに震える。
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デュカードは愛する者を失う悲しみを
クレインに与えるか否かで揺れてました。
それはまあ今回は有耶無耶になったんですが
クレインはなんとなくそれを察してます。
だから本能的にうちのペットって連呼してみる。
取り乱さない演技が上手いので感心しちゃうレベル。
…でもペットが喋ったのでびっくりしちゃう←
20110325 呱々音
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