その場所は、表の通りからはいくらか奥まった場所にある、

灰色の建物に囲まれた閑散とした路地だった。

突き当りには色の無いフェンスが張り巡らされている。

行き止まりだ。

引きずられて、泣き叫び、犯されながら――思った。

自分を取り逃さぬようにそびえ立つ背の高い針金のフェンスは、

まるでアウシュビッツの強制収容所のようで悍ましいじゃないか。

そしてそれが課題のために再読した『夜と霧』の影響であることも、

頭の中では理解っていた。

色が死んで、何もかもが灰色になる。













「…――いつでも狙える場所に狙撃班が控えている。

 アンダーソンが現れたら表に通じる路地は全てSWATが固める。

 そして俺たちは、全力でを援護する。

 よく解ってると思うが、この手の犯人は追い詰められると、

 相手を殺すか、自分が死ぬかのどちらかを選ぼうとする。

 出来るだけ相手の妄想に合わせて、

 奴がどちらか選択する時間を与えないよう注意を反らせ。

 包囲が済んだらすぐ確保する。

 奴には出来るだけ近づかず、一定の距離を保て。

 それから何があっても絶対に防弾ベストは」

「着ないわ。着て行ったら奴はきっと腹を立てる」


ホッチナーはいつになく厳しい顔でを見据えた。


「――5分後に出発だ」


微笑んで返すことしかできなかった。

今はこれが精一杯だった。













ホッチナーとプレンティス、リードと共に車に乗り込む。

外の世界の喧騒が、不思議と遠ざかるような気がした。

の頭の中には、いくつかの檻があって、

そのひとつがあの灰色の場所だ。

逃げ出したいとは思わない。

だが、身体と心はあの仕打ちを覚えている。

忘れることで乗り越えたふりをしていたに過ぎなかったようだ。


「――アウシュビッツって…言ってたよね」


が驚いて声の主を見やると、

心配そうな表情をしたリードが見守っている。

心の声を聞かれた気がして恥ずかしい気分になった。


「――飛行機で言ってたことね。

 ちょっと大げさだったかなって今は反省してる」


努めて明るく笑おうとしているのが痛いほど伝わって、

リードは居たたまれない気持ちになった。

気丈に振舞ってはいるが、怖くないはずがない。


「…カーディガンがあれば良かったかな」

「――スペンサー?真夏だよ?」


が笑った。

良かった――リードは胸を撫で下ろす。


「ねえリード…DCに帰ったら一緒にアイス食べに行ってくれる?」

「いいよ。どこがいい?」

「…ベン&ジェリーズ」

「僕がおごる」













1ブロック手前で下りて、別段楽しくもない思い出の反芻をしながら

ギルバート・アンダーソンの待つ路地を目指す。

そうして歩きながら自分でも不思議に思ったのは、

今心に湧いた感情が、恐怖よりも怒りの方が強かったことだ。

ストレスからか頭がキリキリと痛む。

足は砂袋を付けたように重く、つま先の感覚はあまり無かった。

正直、義務的に足を運ぶのがやっとだった。

身体の中にしまい込んだ心臓がヒステリックに暴れ出す。

あの夜じっとりと纏わりついて離れなかった嫌な空気が蘇り、

の周りを取り囲む。

無我夢中で足を動かした。

止まったらもう一歩も動けない気がした。

泣き叫びたい気分だった。

忌まわしい場所に足を踏み入れるにつれ、

むかむかとせり上がる吐き気に嫌な汗が背を伝う。



「待ってたよ――



背後からだった。

振り返る間も与えず、男はの顳かみに銃を充てて耳元で囁いた。


「素直に罠にハマってやったんだ。

 7年ぶりだね――少し話をしよう」


そう言いながら、空いている手での服の上を這う。

銃を探り当てるとそれを奪って自分の背に差し込んだ。

アンダーソンは恐怖に引きつるの首筋を見て、

言い知れぬ満足感を覚えて口端を上げた。

思い出を確かめるように髪の香りを吸い込む。


「やっぱりたまらないな――他の女とは違う。

 今すぐ犯して思い出させてやりたいよ」


の表情が見る見るうちに恐怖の色に染まる。

取り乱してはいけない。

そう意識すればするほど、上手に呼吸が出来ない。


「私をファム・ファタールって――呼んでいたのね?」

「ああ。もちろんそう呼ぶに決まっているだろ?

 だってはあの日、俺の運命を変えたんだから。

 覚えてるんだろ?

 あんなに最高な瞬間が今まであったか?

 君は俺の下で7回も犯された。

 犯せば犯すほど――君の魂が肉体の中で死んでいくのが

 …たまらなかったなあ」


背筋が凍るようだった。

涙が頬を落ちてゆく。


があの日の出来事を忘れないように

 こうして事件を用意してやったんだよ。

 さあお祝いだ――7周年おめでとう」

「アンダーソン!FBIだ!銃を下ろせ!」


ホッチナーが鋭い声で一喝する。

無数に用意された銃口が一斉に向けられる。


「銃を下ろしてをこちらへ開放するんだ!」


闇を照らしだすライトで少し眩しかったが、

はホッチナーの後ろにリードの姿を見つけて、

この恐怖がいくらか薄らいだような気がした。


「――ひとつ確認しておきたいんだが、

 俺にはまだ、やるべき作業がある」


背後から抱きしめるようにぴたりとを引き寄せて、

銃口は首に充てられている。

これでは狙撃班も手が出せない。

アンダーソンの声が怖ろしいほど冷たくなり、

怒声を張り上げた。


「スペンサー・リード!――ここへ来い!」


その場にいた全員に緊張が走った。

状況は極めて良くない。

だが従うより他ないことは明白だった。

指示に背けば確実に誰かが死ぬ。

リードはゆっくり銃を仕舞いながら慎重に足を滑らせ、

の前まで進み出る。

リードの背後ではBAUの仲間たちが

今にも食いかからんばかりに銃を構えている。

アンダーソンは憎々しげに吐き出した。


「直接身体に教えてやったのに、

 ニューヨークを離れればすぐこれだ。

 一生男を加え込めなくしてやるよ。

 ――よく見ろ。目を逸らすな――逸らすな!

 そうだ――そのまましっかりとスペンサーの目を見ながら、

 彼にさよならの挨拶を言うんだ」


銃口の意識はの首筋から離れ掛かっている。

さよならを言ったら最後、リードは撃たれる――死んでしまう。

そうか――写真だ。

壁一面の写真の群れに、不自然に飾られた盗撮写真。

彼は最初から、の目の前でリードを消すつもりだったのか――。

はもうとっくに心を決めていた。

リードは彼女のしようとしている事を悟り、戦慄する。


「…――さ、」

「駄目だよ、」


いままで感じていた恐怖は嘘のように去り、

頭は冴え渡り、心は穏やかだった。

なぜならファム・ファタールは――男を破滅へと導く女の事だから。



「…さようなら――そうでしょ?ギルバート!このゲス野郎」



全身全霊の力で、アンダーソンの銃を掴み、

人の居ない方へ――は自分の方に銃口を引き寄せた。

錯乱したアンダーソンは振り払おうとして発砲。

銃弾はの脇腹を打ち抜き、

アンダーソンはホッチナーによって狙撃された。

ぐらりと倒れるの身体に、

リードは反射的に手を伸ばしていた。

こうなることを予想していたから動けたんだと思うと

自分が許せなかった。

ホッチナーが救命士を叫ぶ。

夥しい量の温かい血が、彼女の身体の外へと逃げてゆく。

は声もなく、リードの姿を必死に探していた。

彼の目を見つけると、安堵したように瞬きをした。


「――よか…っ、た」

「っ駄目だ――こんなの駄目だ…駄目だ!駄目だよ!

 まだ君に伝えなきゃいけないことがたくさん残ってるんだから!」


は口の端で微かに笑った。

リードは泣いていた。

待機していた救命士が駆け寄る。

リードは押しのけられ、ただただ無力に傍観することしか許されなかった。

担架に乗せられ、ERへ運ばれる。

リードは救急車に乗り込もうとしたが、ロッシとモーガンがそれを止めた。


「お前は残れ。ホッチ!付いていけ!急げ!」

「っ少し落ち着けってリード!

 ちゃんと連れてってやるから!」


リードは自分の手にべったりと纏わりついた

の血を見つめた。

ロッシは断固とした口調できっぱりと言った。


「スペンサー。お前のせいじゃない」

「――ええ……わかってます」


モーガンは項垂れるリードの肩を叩くと

ニューヨークの夜空に吸い込まれぬよう、

けたたましく鳴り響くサイレンに少しでも追いつくため

全速力で車を疾走らせた。



































next


















―――――――――――――――――

つづき執筆中

20120717 呱々音