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アルバート・ナラコットは明らかに戸惑っていた。 だが不信感というよりは、早く話を聞きたいという感じだった。 それでも青年の印象は、優しいまなざしをした、まっすぐなものだった。
彼女は婚約者の・」 「はじめまして、ミスター・ナラコット」
スチュワートは微笑んだ。
どうか突然の訪問を許して欲しい」 「構いません。 おふたりはどちらからいらしたんですか?」 「ロンドンだ。 じつは人づてにマーチン少佐の話を聞いてね。 君とジョーイの奇跡の話だ」 「マーチン少佐には僕もジョーイもものすごくお世話になったんです」
部屋のすみに立っていた主人と奥方も、少しずつ親しみを持ってくれていることが伝わってきた。
君の馬を預かったジェームズ・ニコルズ少尉は――私の大親友でね。 十代の頃からの付き合いだ。 私の馬トップソーンとジョーイも、それはそれは仲が良かった。 軍で一番の馬たちは、いつもいっしょにいた。 ――だが奇襲に備えていたドイツ軍にまんまと一杯食わされてしまってね。 ニコルズは命を落とし、私は部下とともに捕虜として捕まってしまった」
――トップソーンはと私の大切なわが子のような馬なのだ。 アルバート。君ならきっとわかってくれると思うが、 私はいまでもトップソーンを夢に見る」
僕もジョーイを見送ったとき、そうでした。 もちろんニコルズ少尉のおっしゃったことを信じていました。 ですが少尉は死んでしまったと、パーキンス軍曹から手紙が届いた。 同封されたスケッチブックにはジョーイのスケッチが何枚も入っていました。 あなたならきっとご存知のはず」 「ああ。ああ。もちろんだとも。 あいつは毎晩ジョーイの傍らで、話しかけながらスケッチをしていた。 フランスへ渡る前に、君に贈るといって油絵も一枚描いていた」
絵とスケッチを眺めると、は口元を抑えながら涙を流した。
ジェームズはかけがえのない友でした。私の兄代わりだった。 そんな彼が手紙をくれたのです――ジョーイという素晴らしい馬に巡り会えたと。 彼のトップソーンとも仲が良いと喜んでるようすでした」
思わず頬をゆるめたり、切ない顔をしたりした。
「君が許してくれるのならば、ぜひそうさせて欲しい」
今にも柵を飛び越えんばかりだったので、 スチュワートは自分の愛馬をなだめるのと同じように、 首を優しく叩き、耳の後ろを撫でてやった。
元気そうだ――本当に…本当に」
スチュワートは頬や耳の後ろを撫で続けてやった。 自然と涙が溢れた。 あの頃の右も左も解らぬ若駒ではない。 ジョーイは苦労を重ねた馬だ。戦場を生き抜いた馬だ。 だが今は実に幸せそうだ。 ジョーイのおだやかな眼差しが、 じれったい速さでしか進めないスチュワートの背を押しているような気さえした。
あなたのことはニコルズ大尉とスチュワート少佐からずっと聞いていたのよ。 私は。よろしくね」
会うまえから心が通じていたような気さえした。 考えるように黙り込んでいたアルバートが、口を開く。
黒く大きな馬ではありませんか」
慎重に頷く。
寛大な馬で、面倒見がいい」
ご存知かもしれませんがジョーイも例外じゃない。 僕たちは皆でお金を出しあって、ジョーイを落札しようと必死でした。 だけどジョーイを落札したのは、あるひとりのおじいさんでした。 彼はジョーイともう一頭の馬を買い取るために、 はるばるフランスの地まで来たと言いました。 この馬たちとは古い馴染みだとも言いました。 おじいさんはそのもう一頭のことを “素晴らしい馬、輝くばかりの黒馬”と僕に教えてくれました」 「ああ、その馬だ。間違いない。 その馬こそが私たちの大切なトップソーンだ」
思ったとおりだ」
は涙を隠すようにジョーイの首にそっとすがりついた。 温かい。 きっと何度もトップソーンを支えたであろう温もりだ。
救護馬車の馬として活躍していたようです。 その間、ドイツ軍に家の厩を貸して、馬の世話をしたのがおじいさんと、 孫娘のエミリーという女の子だったそうです。 エミリーの両親と兄は戦争で命を落とし、 おじいさんとふたりで暮らしていた。 ドイツの連隊が移動するとき、彼らはエミリーに2頭の馬を残してくれました。 エミリーは本当によく馬たちの面倒を見て、可愛がっていた。 とても仲が良かったと言っていました。 ですがある時、違う連隊のドイツ兵に馬を取り上げられてしまったんです。 いつか必ず返してくれと言ってやったそうです。 けれどエミリーは身体が弱く、 馬たちの帰りを切望したまま息を引き取ってしまった。 おじいさんはエミリーとの約束を守るため、 必死にジョーイとトップソーンを探し回っていました。 そして僕から馬を競り落とした。 でも僕とジョーイの話を知ったおじいさんは、 彼はジョーイとエミリーのためにと、僕に馬を譲ってくれました。 ――いくつかの条件付きで」 「その条件というのは…」 「ジョーイを、エミリーが愛したように常に愛すること。 命ある限り面倒をみること。 そしてなにより、エミリーのことをみんなに話すこと。 一緒に暮らしていたとき、どんなによくエミリーが、 ジョーイと大きな黒馬の世話をしたか」
いつまでも生きていてくれることを願っていました。 自分は何年もしないうちに死んでしまうから。 エミリーのことを覚えてくれている人がいなくなってしまう。 あの子を忘れずにいてくれる家族は自分ひとりしかいないから。 誰も読まない墓石に名前が残るだけなんて悲しすぎるって。 おじいさんは僕とジョーイに、エミリーの生きた証を託しました。 故郷の友達に、エミリーのことを話して伝えてやってほしいと。 さもないと、あの子がこの世にいなかったことになってしまう。 エミリーが永遠に生き続けられるようにって」
ジョーイの瞳にすら、哀しく輝くものがあった。 その少女が自分のことを顧みず、2頭を一生懸命に世話したおかげで、 少なくともジョーイは――そしてトップソーンもあるところまでは確実に――、 生き延びることが出来たのだ。 見ず知らずの土地で心細さに寄り添う馬たちに、優しさを向けてくれたエミリー。 スチュワートは涙しながら、何度も頷いた。
ジョーイ。お前は本当に皆から愛されているんだな。 そしてトップソーンも愛されていた――とても素敵な女の子にね。 そうだな、ジョーイ」
少なくともには、いまは受け入れる気持ちのほうが優っていた。 彼女は静かに言った。
あなた――トップソーンを看取ってくれたのね」
ジョーイは首を下に垂れ、耳を寝かせてを見つめた。 戦火を駆け抜けた馬は泣いていた。 は涙を拭い、温かく微笑む。 ジョーイの顔を包むと、鼻筋にそっとキスを落とした。
あなたのおかげよジョーイ。ありがとう。 本当にありがとう」
小さいが良い街だった。 ナラコット家の奥方から晩餐の席に招かれ、 彼らはいつしか互いにまるで家族のような親しみを覚えていた。 これもジョーイとトップソーン、そしてニコルズが繋ぎ止めてくれた縁に違いない。 ともあれ、ニコルズの人となりをナラコット家の人々に説明するのは、 なぜかとても楽しいことだった。 そのうちに話題はとスチュワートの馴れ初めの話にまで発展した。
にはまだ打ち明けたことは無いのですが、 私は常々、彼女の家で式を挙げたいと思っているんです。 ニコルズの愛馬もいますから。ぜひ見届けて欲しい」
もちろんご両親も。どうでしょう。ご迷惑でなければぜひ」
主人と奥方は愉快そうに笑っていた。
お誘いには大変感謝していますよ。 だが私たちまで家を空けるわけにはいかんのだ。 なに。ロンドンまで行って、夫婦水入らず楽しんでくるといい」
「ええ。悲しいことに終戦以来うちの厩はすっかり寂しくなってしまって。 今もそのままよ――でも、それがどうかして?」
「ああもちろんだ。ぜひともそうしてくれ」
アルバートはゾーイという馬を出してとスチュワートを宿屋まで送ってくれた。
どうか良い夜を。おやすみなさい」
スチュワートはワインのボトルとグラスを抱えて部屋に戻ってきた。 フランス産だった。 ふたりはグラスを掲げると、トップソーンとニコルズ、そしてエミリーのために乾杯した。 スチュワートはワインを飲み干すと、感慨深げに言う。
――さすが君だよ。 ジョーイはすべてを受け入れ、前へ進んでいた。 ジェームズもトップソーンも…エミリーと同じだ。 私たちの心のなかでこんなにも鮮明に生きている」
だがもう大丈夫だ。 今も昔も変わらず、私はいつだって君が欲しくてたまらない。 私がこんなにまで愛を傾けられる女性は、生涯にたったひとりだけだ。 戻ったら式の話をしよう。 きっと素晴らしい結婚式になる。 君を愛しているよ――心から」
スチュワートは今一度、ジョーイの首を撫でながら言った。
私たちは――お互いに大切な友達を亡くしてしまったんだな。 でもお前を見習うよ。 お前は友を忘れず、強く生きている。 ジョーイ、私たちは戦争を生き抜いた盟友だ。 ありがとう、ジョーイ。君は本当に勇敢な馬だ」
太陽の香りがした。
そうすれば彼女の物語は続いていくもの。人々の心の中で。 同じように、ジェームズとトップソーンのこともね。 あなたが大好きよジョーイ。 ありがとう…アルバート、そしてジョーイ。 招待状を送るわね」
そうして馬と乗り手はデヴォンの美しい景色に溶けて消えていった。 もうスチュワートの目に、哀しみの影はなかった。 宿るのは親友と愛馬との思い出と、尊敬、そしてへのひたむきな愛だけだった。
ヘアフィールドの邸の庭で、馬たちのための広大な土地を背景に、 ジェイミー・スチュワートと・の結婚式が執り行われた。 純白のドレスに身を包んだ花嫁の頭上には、 かつて彼女の母が纏ったマリアヴェールと形見のパールのティアラが輝いていた。 花嫁と花婿の脇には、ワイズとイブリンが付き添いとしてそれぞれ立ち、 たくさんの人々に祝福されながら、ふたりは誓いのくちづけを交わした。 アルバートとメイジー、そしてジョーイは、一番良い席でそれを見届けた。 式にはチャーリー・ウェイバリー中尉も参列してくれた。 花嫁のブーケを受け取ったのは、アリス・ニコルズで、 おそらく未来の夫はロバートだった。 とスチュワートは、昨日今日知り合った仲ではない。 十年以上の時を経ても尚、愛は深まり、互いを心底慈しむ。 見つめ合っては幸せそうに笑うふたりを、 ジェームズ・ニコルズとトップソーンが祝福しないわけがなかった。 失った哀しみは、愛する者の隣でしか癒せない。 そして、すべての命に意味がある。 さんざしの花が咲き乱れる季節のことだった。
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ソーンのブーケだといいかも。
トップソーンと、スチュワート少佐の話がどうしても書きたくて。
彼らの間にある強かな友情の絆を少しでも感じていただければ幸いです。
この後ワイズとイヴリンの間にトップソーンの弟が生まれるといいなあなんて。
スチュワート夫妻に娘が生まれたら「エミリー」と名付けて欲しいです。
生き続けるエミリー。
ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございました。
ご感想などいただけるとそれはもう喜びます。
20121127 呱々音
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