熱く誘うような官能的な女の吐息。

また一方では、男の声に合わせて小刻みに短く震える小さな個体。

シャーロックの指は従順に服を這い、確信的に開いた隙間に滑りこむ。

もまた、同じように可憐な指を眼前に向かって差し伸べる。

2人はそれぞれ、黒く固いそれの…

携帯電話の液晶画面を見つめた。




「………君たちはいったい何なんだ!!!」




ジョンが金切り声を上げるのも無理はない。

彼らはしばし、顔を真っ赤にしたジョンを見つめたものの、

性懲りもなく再び目線を小さな液晶へ戻す。

シャーロックの携帯電話にはアイリーン・アドラーから、

の携帯電話にはジェームズ・モリアーティからメールが入ったからだ。

この両者は因縁の敵でこそあれ、決して[知人]などではない。

ましてやモリアーティなどはいつその悪意が満ちて、

牙と爪を剥き襲ってくるか解ったものではない。

シャーロックにとって最も忌々しい敵であるのは言うまでもない。

だからといってアイリーンが安全だとはこれっぽちも言えない。

あの天性の女王様は魔性の化身で、頭も良いキレ者だ。

一度ならず二度までも自分の死を偽造し、

マイクロフトとジョンは――というかシャーロック以外の人間は

すっかりその茶番に騙されていた。

いや――今思えばも「彼女が死ぬわけがない」ときっぱり言い切っていたか。

そして短いメールを送り続け、日々シャーロックを誘惑しているという訳だ。

シャーロックは何を思ったか携帯電話を睨みつけたまま自室へこもってしまった。

彼の奇行は今に始まったことではない。

が携帯電話を放り投げる。

もちろん優秀なクッションがそれをしっかりと受け止めた。

崩れるようにソファに沈むと、は悩ましい溜息を吐いた。

ジョンは自分の好奇心を隠すように咳払いをすると、

心配そうに聞いてやる。


「……お兄さん何て?」

「だから“お兄さん”じゃないって!」

「わかったごめん、そうだな…違う」


初めての携帯にモリアーティからメールが入ったのは、

あのプール事件のすぐ後だったらしい。

――今思えばものすごい度胸と向こう見ずである。

聖バーソロミュー病院に呼び出されたは、

その誘いに乗り、単身モリアーティへ面会に行ったのだった。

奴の望み通りその場でDNA鑑定を依頼したらしい。

結果はもちろん[2人には血の繋がりがある]と出たが、

モリアーティの力と計画性を大前提に据えるは、

念頭からこの茶番と結果は偽造に決まっていると露ほども信じていなかった。

結局シャーロックとジョンは、噂を小耳に挟んだモリーから

後日こっそり呼び出され「ジムとのDNA鑑定結果」の存在を教えられたのだった。

もちろんモリーにとってモリアーティは

「実はゲイだったIT部門の元彼」に過ぎないし、

はモリーが思いを寄せる探偵に雇われた言わば恨みを持たない恋敵である。

しかしそんな彼らの噂が、

どこからともなく部門の枠を越えてモリーの耳に入ったのだとしたら、

それはもう完全にモリアーティが意図的に仕向けた回りくどい[アピール]でしかない。

もちろんモリーはそんな事知る由もないが。

そのDNA鑑定事件の後も、モリアーティからの呼び出しとラブコールは止むことはなかった。

の携帯には不定期にメールが入り続けている。


「…で?モリアーティはなんだって?」

「写真…」

「ん?」


背に挟んでいたユニオンジャックのクッションを引っ張りだすと、

ぬいぐるみのように胸に抱きしめてぼそりと零す。


「私と兄妹写真が撮りたいんですって」


は煩わしそうに盛大に溜息を吐いた。

するとそこへ部屋からシャーロックが飛び出してきた。

しかしその表情は険しく心は明らかにここに在らず。

シャーロックがコートに手を伸ばしたのを見て、ジョンは思わず問いかけた。


「出かけるのか?これから?」

「ああ」


気もそぞろである。

大した情報も提供しないまま、シャーロックは足早に家を出ていった。

ジョンは肩をすくめる。


「なあこんなとき何て言えばいいと思う」

「“クソったれ”」


ジョンとは声を上げて笑った。

するとは幾分か気が晴れたようで、夕飯を作ると言って台所へ立った。

ジョンは中断していたブログの執筆作業に戻りながら思う。

の態度を見る限り、彼女には彼が出ていった理由に察しが付いているようだ――と。

事務的にタイピングを続けながら、背後のへ声を掛ける。


「――君が嫌ならもう行かない方がいい」

「……別に嫌じゃないわ」


ジョンは険しい顔でPCを閉じると席を立ち、

の肩をその手でしっかりと掴んで、彼女の目を正面から見据えた。


「じゃあなんで泣いてるんだ」


瞳を赤くして、声も無く、ただ静かに喉の奥で、耐え忍ぶように――。


「……アイリーン」

「なんであの女の名前が出てくるんだ…?」

「シャーロックが会いに行ったのは…アイリーン」


彼女からのメールは日常茶飯事だったが、

会いに行ったなんて話は耳にしたことがなかった。

もちろん実際にはどうかは知らないが、

そもそもアイリーンが今ロンドンに戻ってくるのは

あまりにもリスクが高すぎるのではないだろうか。

そうまでして戻ってきた理由など検討も付かないが、ジョンは辛抱強く質問を続けた。


「たれ込んだのはモリアーティか?」

「……」

「信じる必要がどこにある。

 奴は君をからかって楽しんでるだけなんだよ」

「でもアイリーンの存在は無視できない」

「ああ。だがあれは手に入らないから惹かれあってるんだ。

 危険なゲームに付き合ってくれる相手と同じだ。

 あれはギャンブルだよ」


ジョンの真っ直ぐな言葉から逃げるように、は涙に濡れた目をそっと伏せた。


「シャーロックの同情や献身なんか私はいらない。

 彼がアイリーンに惹かれているなら、

 私はそれを受け入れて見守らなくちゃ」


雨だれは星屑のように粒となって零れ落ちて足元を小さく濡らす。

痛ましい姿を見ればジョンにだって解った。

この子は心の底からシャーロックを慕っているのだ。

――可哀そうに。

ジョンは手近にあったキッチンペーパーを2、3枚破いてに手渡してやった。

ゴワゴワとしたそれを受け取ると、はおかしそうに笑った。


「これ、鼻をかむのには向かないわね」

「そこのキッチンタオルよりはマシかと思って」


2人は声をあげて笑った。

本当にこの子は良い子で、素敵な女性だ――ジョンはそう思った。

血の繋がりこそ無いが、ジョンにとっては妹も同然である。

がいついかなる時も努めて気丈に振舞っているのを知っている。

ジョンは悪戯っぽく微笑み、受話器を手にとった。


「ピザで良かったかな?」


するとはエプロンを脱ぎながらしみじみと頷いて見せた。


「ええありがとう。正直もう作りたく無い気分だったの」


血の繋がらない兄は、血の繋がらない妹の心をよく理解していた。

冷蔵庫に貼り付けてあるデリバリーの番号をプッシュし、

受話器に耳をつけながら、ジョンは優しく言った。


「大丈夫だ。シャーロックは必ず君の元へ帰ってくるよ」



































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シャーロックの着信音はアイリーンのセクシーな吐息。

さんの着信音はモリアーティの「ハァイ」←

20120801 呱々音