病院の職員たちの餞別で、は愛らしい

青いギンガムチェックのワンピースをプレゼントされた。

それを着てクレインに手を引かれ、は檻の外へと連れ出された。

唯一島に架かる冷たい色をした橋を渡り

――はゴッサムシティの喧騒へと姿を消した。
















もちろん、事前に市政からの視察は入った。

児童相談所の職員による、里親の手続きの一環である。

仮にもクレインは医師だし、2年をかけて刷り込んだ周囲からの評価は高い。

それに割合から言って、こういう案件にはほとんどの場合、

若い女性が派遣される事も見越していた。

派遣された職員が女性だった場合、クレインには尚好都合だった。

誠実で慈愛深い、理想的な父親像を語った後、

彼のちょっとした目線の動きだけで、

女性職員は頬を染めて、をよそにクレインに夢中になるからである。

更に言うなら。

もし仮に男の職員が来たとしても、

かの有名なこのゴッサムシティのソーシャルワーカーとくれば、

金さえ掴ませれば万事上手く運ぶように出来ている。

障害は皆無だった。

結果クレインの予想通り、正義感に溢れた若い女性職員は

彼の演技にふたつの意味で心を打たれたのだった。

こうしたクレインの策略のおかけで、

は晴れてアーカム精神病院を出る事が叶ったのだった。
















ゴッサムシティの格差を丁度半分にスライスしたとして、

クレインはどちらかと言えば裕福な方だった。

職業のせいもあった。

とは言え、セレブレティの暮らす地区にはほど遠い、

所得もそこそこの弁護士や公務員が好んで暮らす地区に

彼の住むアパートメントはあった。

ここならば、スラム街のように一晩中夜泣きする赤ん坊の泣き声や、

男女の痴話の怒鳴り声とも無縁でいられるというのが最上の特典だった。

そう広くもないこの家に、人ひとり増えるという意識は実のところあまり無かった。


(金のかかるペットを一匹飼うような感覚、と言うべきか)


初め、は玄関に佇み、キョロキョロと辺りを見渡していた。

クレインが鍵を皿の上に置いたり、コートを脱いだりするのを

物珍しそうに観察しているようだった。

結局、痺れを切らしたクレインに呼ばれて、ようやく奥へ来る始末である。

とりあえずダイニングテーブルに座らせ、

買い置きしてあったグレープジュースを出してやった。

平素クレインはあまりそれを飲む事は無いのだが、自分も同じ物を飲んだ。

沈黙は――否めない。

は喋らない。

だがクレインにとって沈黙は決して悪い条件では無かった。

おしゃべりの相手が欲しい訳では無い。

どんな関係も、一定の沈黙を共有する事の方がよっぽど有益では無いのか。

観察するようにを盗み見る。

の持参したなけなしの手荷物は、

少しばかりの衣類とボロボロのぬいぐるみだけ。


「…色々買い足しに行かないとな」


おいで、と口に出した訳ではないが、

が察する事に長けている事をクレインは知っている。

だから席を立った彼の後を、は当たり前のように着いて来た。

そこの扉だけ、なぜか不自然に白く塗られていた。

開け放たれた扉の向こうには、子供用のベッドがひとつ。

壁紙は――の好きだと告げていた色だった。

絵に描いたような見事な子供部屋が目の前に広がっていた。

もちろんこれもクレインがソーシャルワーカーを納得させるために

打った芝居の一部だった。


「ここがお前の部屋だ。好きに使え。

 向かいが私の書斎――入るときは、必ずノックをしろ。

 私の寝室はリビングの隣。バスルームは――その隣だ」


はこくん、と頷いた。


「――荷物を置いて、支度ができたらリビングに来い。

 明るいうちに必要な物を買いに行くんだ」
















新しい生活に必要な物を買い込んで家に辿り着くと、

は疲れきってうとうとやり出した。

それでもなんとか眠気を遠ざけようと、必死に堪えている様だった。

ソファに座り、床の一点を見つめ、拳でスカートを握りしめていた。


(許可を与えなければ寝れない、か)


もうすぐデリバリーの中華が到着する――が、

クレインは小さく溜息を吐いて言った。


「――起こすから。そこで少し休め」


少々めんどくさそうに言い放ったくせに、

なぜかブランケットを取りに行っている自分が、

様無いと哀れに思って自嘲したい気分だった。

ブランケット片手に戻ると、クッションに小さな頭を預け、

一定の寝息を立てるの姿があった。

相変わらず良くわからないボロ布の塊みたいな

ぬいぐるみを胸に抱きしめて。

クレインはもうひとつ溜息を吐いた。

そしてどこか納得いかないこの気持ちを怪訝に思いながら、

彼女の肢体の上に、ブランケットを掛けてやった。
















目をこする。

リビングの明かりは、オレンジ色をした洒落た照明以外、全て落ちていた。

は自分が「寝て良い」と言われてソファに横になった事をぼんやり思い出す。


(――ごはん、)


柔軟剤の匂いがたっぷりと染み付いた毛布にそっと口を埋める。


(先生と同じにおいだ)


もそもそと起き上がり、リビングを見渡すが、

やはりクレインの姿は見当たらない。

言いつけられた通り、彼の部屋の扉を控えめにノックした。

奥からどうぞ、という声が聞こえたので、はおずおずと扉を開けた。

彼の書斎は――本という本で溢れていた。

しかしそれらは全て整然と、区別され、

彼の性格を模したように潔癖的に収蔵されていた。


「ああ――起きたか」


クレインは目線も上げずにそう告げる。

そして区切りの良い所で文字を追うのを止め、

手元の書類を置くと、眼鏡を置いて背伸びをした。


「――夕飯だ」


は驚いた。

自分を待っていてくれたのかもしれない。

いや、そうじゃないのかもしれない。

でも――。

クレインはそんなにおかまい無しで、

デリバリーを温めなおすためにキッチンへ行ってしまった。

はぬいぐるみをソファの上に寝かせてやると、

デリバリーの箸を見つけてクレインと、自分の場所にそっと並べた。


「ほら――好きな物を食べろ」


食欲をそそる良い匂いと共に、二人はささやかな晩餐にありついた。
















食事の片付けが済むと、はソファに待たせていたぬいぐるみへ駆け寄り

さも大切そうに腕に収めた。

クレインが聞いた。


「――いつも抱いてるそれ、一体何なんだ?」


は興味を持たれた事が嬉しかったのか、そっと眼前にさし出した。

少し屈んで目を細めて見る。

ボロボロで――あまり良くわからないが――。


「――《スケアクロウ》?」


少女は大きく頷いた。

クレインは訝し気に聞いた。


「…なぜカカシなんだ?」


はクレインの手をそっと握ると、自分の部屋に連れて行った。

彼女は必死に鞄の底をあさり、何かを引っぱり出す。

それはそのぬいぐるみよりもっと古い――なにかの雑誌の切り抜きのようだ。

とても丁寧にたたまれている。

おそらくにとって大切であろうそのボロ紙を、彼女は慎重に開いて見せた。

それは――。


「――《オズの魔法使い》か」


クレインの一言に、は笑った。

彼女が笑う事はとても珍しい事だったから、

クレインの内心は少しの驚嘆を訴える。


「…古い映画だ。

 まさかお前がこんな物知ってるなんて。

 ――母親か?」


は首を振った。


「――おばあさんか」


今度は頷く。


(私はこの子について本当に何も知らないんだな。

 まあ――興味も無いが)


養護施設に居た時はおろか、アーカム精神病院に居たときも、

の出生については何も解っていなかった。

それは彼女が誰にも心を開かず、言葉を発しないせいもあったが、

孤児の生い立ちを知ったからといって手を尽くそうとするほど

献身的で情熱的な人物が誰ひとり居なかったと言う事を意味している。

だからなぜが喋れないかも――実のところよく解らないままだった。

年季の入った薄い紙の上で、うら若きジュディ・ガーランド演じるドロシーが

かかし、ブリキ男、ライオン、犬――旅の仲間に囲まれてクレインに笑いかけている。

クレインが用意しておいたベッド脇のサイドテーブルの

小さな引き出しを開けてやると、

は宝物を大切に折り畳んで、そこへそっと収めた。


「――バスルームの使い方を教える。

 入ったら今日はもう休め――明日はコーヒーの煎れ方を教えてやろう」





























さして大きな問題も無く、3日が過ぎた。

は思った以上に手がかからないし、

クレインの生活を侵害するような真似は絶対にしなかった。

彼が書斎に居る時は、存在すら忘れる程静かにしている。

半信半疑で教えたコーヒーの煎れ方はなかなか上々で、

クレインのためにコーヒーを煎れるのがの朝の仕事になった。

ブラックコーヒーを啜りながら新聞を読むクレインの隣で、

は牛乳と蜂蜜でたっぷり薄めたコーヒーを飲んだ。

もちろんクレインには昼間は仕事があるから、

しばらくは適当な遊び道具を買い与えておいた。

クレヨンと画用紙の減りは早かったが、

それ以外はあまり使っていない様だった。

彼は早々に見切りをつけ別の手段として『オズの魔法使い』のDVDを渡した。

するとは今まで見た事がない程嬉々として、明らかに興奮していた。


「今まで観た事は?」


の短い人差し指が「1度だけ」と語っていた。

とにかく――クレインの与えた《おもちゃ》は効果絶大だった。




4日目の朝、の顔色がどこか優れない事にクレインは気付いた。

の煎れたコーヒーを飲み、病院へ出勤して、

彼が好む病みきった患者達を看ている最中も、

何とはなしにの事が気にかかっていた。


(――様子がおかしい)


そんなクレインの思考を遮るように、診察時間の終了を告げるベルが鳴る。

彼はどこか落ち着かぬ様子で足早にアーカムを後にした。

冷凍のチキンと缶詰のキャンベルスープを温めて、

ふたりはいつも通り静かな晩餐を済ませた。

食事が終わると当たり前のようにスケアクロウを連れて

はバスルームへ向かった。

そこまで観察していたが、特に変わった様子は見受けない。

風呂上がりも余計な事はせずさっさと寝室へ向かったの姿を見て――、

クレインはある考えに至った。


そうして真夜中――。

クレインは読み物を伏せると、眼鏡を外し、小さく溜息を吐いた。

先刻の自分の考えを確かめるために書斎を出ると、

の部屋の扉をそっと開けた。

ああ――やはり。


「――眠れてなかったのか」


突然背後から聞こえたクレインの声に、の小さな身体が飛び跳ねた。

ボロボロのスケアクロウを必死に抱きしめて、

ベッドに座って泣いていた。

実際、病院にいる時は、眠る事を恐れていた。

だからこそ寝付くまでのクレインの付き添いが必須となっていた。

病院を出てクレインと同じ環境にいれば、

少しは不安も薄らぐと思っていたが――。


(――甘かった)


は「ごめんなさい」の形に口を動かして慌てて布団に潜ろうとする。

クレインは反射的にの腕を掴んで制していた。

は信じられないと言った表情で、掴まれた部分を見つめていた。


「――来い」


結局――はクレインのベッドで眠る事となった。

彼は隣の体温を醜悪に思う。




そう――今までなら。



強請られるまま義務的に女を抱いた夜でさえ、溺れた体温を忌々しく思う。

事が終われば用無しと言わんばかりに、アパートの下にタクシーを呼びつけ、

真夜中だろうが夜明けだろうがお構い無しに家から追い出して来た。

だが――。

自分にぴったりと身体を這わせる無防備なこの存在には、

そういう類いの感情は不思議なくらい沸いて来なかった。

…思い起こせばこのボロボロのスケアクロウですら、汚いとは思わない。


(潔癖のニーズに応えてみせる少女、か。

 ――面白い)



































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多分アーカム病院での2年間ですら

はクレイン先生にべったり生活だったんじゃないかなあと。

クレインは本来、他人の尻拭い系は嫌いでしょうね。子供も嫌い。

達観して生きているというか。

それにアーカムの患者を実験体扱いする反面、根本的には軽蔑している。

あとうちのクレインは女を馬鹿にしてます。ビッチって思ってる←

20110325 呱々音