|
もちろんいざという時の話は嫌という程してきた。 小さな幸せを積み重ねたからと言って、その先に待っているのは多分地獄だ。 丑嶋の生きる世界には、堅気の世界とは違うルールがある。 それもハイリスク、ハイリターン。 ルールは日々変わり続け、利害も力関係も毎日変化する。
野暮用と称して丑嶋は空港へ迎えに行く。 ちょうど千葉の方面へ集金の用もあった。 を拾ってから行ったが、丑嶋は容赦なく取り立てを完了させた。
「あのババアはゴネてからが長ェ」
関わらない方が良い世界と言われるが、 丑嶋はに対しては聞かれさえすれば仕事や後ろ暗い話をした。 それはある種、フェアな関係を保つ手段だった。 お前は知らなくて良いと言いながら、鞘で居ろと強いるのは、酷という物だ。 丑嶋の悪行に絶望して離れていくことも、ある意味では人間関係の《ふるい》だった。 今まで機会はたくさんあったのに、は離れて行かなかった。
丑嶋は目を見開いて、止まっている。 は硬直する丑嶋の大きな手を握って、引っ張った。
厚みのある深いエンジン音だけが、車内に響く。 の表情は穏やかだった。 名も知らぬ小さな児童公園には、立派な桜が咲いていた。 2人は自然と手を繋いで歩いた。 他には誰もいなかった。 桜を見上げながら、が呟く。
「私、なんでこんな大切なこと、ずっと忘れてたんだろう」 「さァな。思い出したんだから別にイイだろ」
記憶の引き出しのどこかに仕舞われていた大切な記憶。 そう――ずっと小さかった頃だ。 小学校4年の春だった。 桜吹雪の下、ベンチに座って何か楽しそうに話している男の子がいた。 母親はそれをまた楽しそうに聞いている。 あれは――ピアノの稽古帰りだった。 はピアノが嫌で嫌で仕方がなくって、泣いていた。 というより、教師との相性が悪くて、嫌な思いをしたのだ。 ぴしりと手を叩かれた。 赤くなってひりひりした手を押さえながら、とにかくは泣いていた。 男の子はに気が付いた。 母親も息子の視線を追って、に気が付いた。
とぼとぼ歩く女の子を追いかけて、手を捕まえて、引き止める。
も来いよ。母ちゃんの作ったみたらし団子、美味いぞ」
丑嶋に手を引かれ、桜の海をかき分けるように、迷いなく進んで行く。 なぜだかとても逞しくて、力強かった。 霞んでしまいそうなくらい柔らかく微笑む丑嶋の母親が、 大きな粒の3つ刺さったみたらし団子をくれた。 3人でベンチに座って、桜を見上げながら、みたらし団子を食べた――。
丑嶋はを胸に抱き寄せる。
すっごくありがたかったぁ。 桜の下のかおちゃんママ、とっても綺麗でさ」
でもそれは黒に吸い込まれて、またすぐ消えてしまう。
「ン?」 「かおちゃんママのおだんご、もっかい食べたかったね」
桜の雪が降り雪ぐ。 コンビニのみたらし団子を、手を繋いで食べた。 桜を見上げながら、同じ思い出を反芻しながら。 2人で生きて行く未来があるのかは、正直解らない。 でも、には解っていた。 丑嶋は本当はものすごく、自分の家族が欲しいのだ。 それを守って行く難しさを知っているから、 迂闊に手を出さないよう自分を律して生きてきたのだ。 闇に生きている以上、大切なモノを増やすには、それ相応の覚悟と代償が必要なのだ。 丑嶋という男はきっと、自分のモノを守ろうとするだろう。 いつかの未来に、2人の間に小さな丑嶋馨と小さなが居たら。 口にするにはあまりにも酷に思えたが、そう遠くはないのかもしれない。 あるいは、もしかしたら一生、そんなことは無いのかもしれない。 人は独りじゃ生きていけない。 何があっても構わない。 他の誰かを愛するなんて考えられない。 住む世界に折り合いがつかずとも。 望む未来は、きっと、同じ。 |
―――――――――――――――――
桜の花と、思い出。
20151118 呱々音
Leonard Cohen - ‘Nevermind’
キリンジ - ‘それもきっとしあわせ’
大事な思い出って人によって覚えている場所が違うよねって思います。
本当にふとした時に、幼いころの大切なことを思い出したり。
お粗末様でした。