|
“ロンドン市民 戦慄 ブラックウッド 復活”
が居ても立っても居られず部屋を飛び出すのと、 カワードの使者が手紙を寄越したのは、ほぼ同時だった。 己の興奮と行動を見透かされているようで、 は少しの恥ずかしさを覚える。 手紙は要点をまとめた短いものだった。
皆が寝静まった頃、迎えに上がります”
カワードは短く挨拶を述べた後は、もう一言も無駄な口を聞かなかった。 カーテンの隙間から闇を纏う景色をぼんやりと眺めている。 舞い上がる――などと言うのは、想いの通じあった恋人たちにしか適用されない。 の心は、乱れに乱れていた。 ブラックウッドに会う事は自分がこの上なく望んだことだが、 だからと言って彼のあの鋭い目を前にして、 果たして何を告げ、何を望むというのか。 今思えば、おそらく会話すらままならぬ気がする。 共通の罪を持ち得るだけで、彼が情愛ゆえに自分を愛しているとは全く思わなかった。 彼はこの関係を必然だと謳っていた。 そう――はきっと、それ以外のなにものでもない――。
ブラックウッドを密かに匿っている屋敷――、 カワード家の所有する、ロンドン郊外の空家だった。 カワードは懐から取り出した鍵で中に入ると、玄関にある椅子にを座らせ、 自分が呼ぶまでここで待つようにと言いつけた。 カワードは更に奥の部屋へと姿を消した。 辺りを見渡す――薄汚れた家――しばらく人の手は加わっていないようだ。 それでも造りはしっかりしていて、調度品も年代物で揃っている。 高鳴る胸に手をあて、呼吸を整えようと必死に瞼を閉じる。 半刻ほど経った頃――奥の部屋の扉が開く気配がした。 弾かれたように顔を上げると、カワードが手招きをする。 怖ず怖ずと足を進め――ついに奥の部屋に、身体を滑り込ませると――。
玄関の扉が重く大きな音を立てて閉ざされる。 は世界の隅に取り残されたような錯覚を覚えた。 ――美しい死霊と対面している。 立ち尽くすにブラックウッドは背を向けて言った。
カワードが去り際に“お前”の名を出した。 連れて帰れと言ったら、このザマだ。 今すぐ出ていけ――カワードの馬車に乗せてもらえ」 「……嫌、です」 「“お前”の意見は聞いていない」
言うことを聞かぬ子供に、最後の忠告をしてやると言わんばかりだった。 頬を抑えつけられる。圧迫された喉も苦しい。
あまり私を失望させんでくれ」
思わず膝を着く。 酸素を求めて必死に息を吸った。
「……」 「…――お慕いしております」 「…興味本位で私に近づくことが、どれほど怖ろしいか、 身体に直接教えてやろう」
そこには――ありとあらゆる闇の魔術が集約されていた。 壁にはナイフで削られた文字、チョークの跡、血痕、動物の磔、 床には魔方陣…そして蝋燭――。 マホガニーの机に上には、分厚く古めかしい書物と、 数多の実験道具が所狭しと並べられていた。 ブラックウッドは躊躇いも無くそれらを押し退ける。 実験器具のガラスが割れる音がけたたましく響く。 そして立派なテーブルはを犯すための台座へと姿を変えたのだった。 力に任せてねじ伏せられ、身動きが叶わぬようにと拘束された瞬間、 は確かな恐怖を感じた。 あとはもう――言葉にして思い返すのも悍ましいほど――。 ブラックウッドは容赦なく魔術を用い、の身体を嬲り、辱めた。 前戯も口吻も無かった。
そう解釈するより他は無かった。 ブラックウッドの制裁から解放された自分の身体は、 生きているにも関わらず、まるで死体のようだと思った。 夜明け前、再び訪ねて来たカワードに後始末を託すと、 ブラックウッドは自室に篭り、固く扉を閉ざしてしまった。 カワードは何も言わず、痛めつけられたの身体をローブで包んでやると、 抱えるようにして馬車へ連れ帰った。 馬車の中にはあの口の固いメイドが待っていて、 誰も何も、一言も喋らず、の小さな傷を手当し、 走り続ける馬車の中で、最低限の身形を整えさせ、 邸の前まで送り届けた。 心許ない足取りで馬車から降りたは、ぎこちなくカワードを振り返る。 カワードも窓越しに彼女を見遣り、憐憫を含んだ声で述べた。
あの方の言いつけ通り、貴女を連れ帰っていれば――」
愚かさの、代償…なのです」
――どうかあの方を…ブラックウッド卿を――頼みます」
闇の魔術に傅いた修道会、そしてブラックウッドに賛同した議員たちは、 その謀略を咎められ、身を拘束された。 建設中のあの巨大な橋から宙吊りに晒され、 野望を果たせぬまま命を落としたブラックウッドの死体は、 今度こそ蘇ることは無かった。 |
20120525 呱々音
―――――――――――――――――