然るべき時に、出会ったのだと思った。

焼け爛れた塊と化した"かつて人であったモノ"を

こんなにも愛しく思い、そして強く慕っている。

彼は自分を"理念"だと言って譲らないが、

いいえ、貴方は"人"だわ。

それだけは真実。











教鞭を取る大学教授のように、少し大げさな口調に身振りを付けて、

Vは今日の戦利品を、私の前に広げて見せた。

「美しの乙女にはこの品を献上しよう…」

そう言ってネイビーブルーの、ヴェルヴェット生地を差し出した。

「…すごい!最高級品のヴェルエット…!ヴィー…本当に貰っても?」

毎回の事ながら、些か戸惑い、失礼だと解っていても、

彼の心配りにおずおずと無粋な返事を返してしまう。

「君が喜んでくれるのならば」

Vは優しい口調で、そう一言だけ漏らした。

喜ばない訳が無い!思わずヴェルベット生地を手で撫で付けて見る。

「…ジャケットにして、って言ってるわ」

「ほう」

「早速パターンを引いてそれから……ああ!楽しみが増えちゃったわ」

「それは良かった」

「ありがとう、ヴィー」

彼の首に腕を回して、子供の様に、しっかりと抱きつく。

何度やっても、少々戸惑いがちなVに、ふっと笑ってしまうのだけど。

そもそも本当の所を言うと、私は御礼だと理由を付けて、

結局はVに抱きつきたいだけなのだけれど…

紳士の鏡の様な仮面の男は、私の腰に手を回す事さえ、最後まで戸惑う。

でも最後を越えると、Vの温かな手は、本当に大切な物扱うその仕草のように、

そっと私を包み込んでくれるのだ。

(ホラ。確かに"人"なのに―…うそつき)

内心だけで、ほんのりそう告げる。

寄り添っているこの時こそが、より一層貴方を愛しく思う…。

私は取りとめも無く、ポツポツと話し出す。

「…今日ね、」

「うん?」

「五番街の花屋で真っ白なユリを見つけたの…」

「あの角の花屋だね」

「ええ…あんまり綺麗だったから買っちゃった…ヴィーの部屋に生けておいたわ」

「では、今夜は良い夢が見られそうだ。ああ、ありがとう、

そう言って、そっと私の頭を撫でてくれる。

その撫で方は…哀しい位にそれはそれは、愛しそうに。

嬉しいはずなのに、うっすら涙が滲みそうになってしまったから、

力任せにVの胸に頭を埋めて、思いっきり彼の香りを吸って、肺を満たした。







「グッドモーニング・ミス・

あの花柄のエプロンを着けて、ルンルンと台所に立つVの姿は、

やめて欲しいくらい私のお気に入りだった。

「グッドモーニング・ミスター・ヴィー」

ここに来てすぐの頃、朝、下着みたいな格好で歩いていたら、

Vは見かねて、私の肩にガウンを掛けて来た。

それ以来、朝はその高価な物のように見えるガウンを羽織って挨拶をする。

「明日は私が朝食を作るわね」

「それは光栄だ。楽しみにしているよ」

特に決めたわけではないのだが、大体交代で朝食を用意する。

マフィンを焼いたりもするし、そうでなかったりもする。

朝食は二人、向かい合って…ではない。

仲良く背中合わせだ。

イスの背をくっつけて、もちろん楽しい会話を交えながら摂る。

彼の仮面の下を、知らない訳ではない。

でも彼がそれを望まないのなら、食べるときくらい、

愛しい声を背中越しに楽しむのも、悪くは無いでしょう?

知っている物を、もし見てしまっても、Vは決して怒ったりしないけれど、

もしかしたら、その行為によって、彼を悲しませているかもしれないと考えたら

取り立てて用も無いのに、仮面を外せだなんて言う事さえ、全く無意味に思えてきた。





二人で昼食の片づけを済ませてから、Vは読書に、私は裁縫に耽っていた。

昨日貰ったヴェルヴェットを、スーツにしてやらなくちゃならない。

黙々と作業をしていると、Vが開け放たれたドアを、わざとコツコツと叩いた。

どうやら夢中になりすぎて、あっという間に紅茶の時間になってしまった様だ。

「どうも私たちは夢中になると食事を忘れる気があるようだ」

その言い方だと、Vも読書に夢中になりすぎた…のだろう。

運ばれたアッサムとスコーンを口にしながら、止められない作業を続ける。

彼はやれやれと言った様子で、小さく笑って、

しばらく作業を見守ってから、部屋を出て行った。

部屋には紅茶の湯気と、ミシンの音だけが漂っていた。





「……出来た!」

あれから丁度二日後の午後に、シャドウギャラリーに歓喜の声が響き渡った。

どれどれどんな物が出来上がったのか、とVが私の部屋に向かおうとする前に、

完成品を見て欲しくて、部屋から飛び出した。

「ヴィー見て!これ…アナタに」

そういって差し出した、出来上がったばかりの、ネイビーブルーのジャケットは、

ヴェルヴェット独特の光沢を湛えて、Vに着られるのを待っているようだった。

驚いた状態のまま、ただ無言でジャケットを見つめて固まっているV…

「…もしかして………気に入らなかった?」

不安になって問いかけると、ハッと思い出したようにVが高らかに声を上げた。

「いや見事!これは素晴らしい…!!私の為、然るべくして作られた最高の一品…!」

つまりは喜んでもらえたようで。

「何という洗練されたライン…!おお!裏地はダークグレーだね!?」

こうなると止まるところを知らず、子供の様にはしゃぎ続ける。

「まさに最上の贅沢にも優る、紳士を着る、という愉しみに最適だ!」

「どうぞ、着てみて」

ニッコリと笑って、再度ジャケットを差し出す。

鼻歌でも聞えてきそうな様子で、彼は真新しい袖に腕を通す。

姿見に向かって、襟を正したり、ゆっくりと一周回って、背中を見たりしていた。

「毎回の事ながら…には全く驚かされる。

 服とは、こんなにもぴったりと誂えられる物なのか、とね」

世辞句に近い表現とは解っていても、思わず顔が熱を持つのが解る。

そんな姿を見て、Vが胸に手を当てて「ありがとう」と、丁寧に頭を下げる。

「いや、私は本当に嬉しい贈り物をしてもらった…。しかし…」

 本来君のためにプレゼントしたのだよ、この絶品は」

Vはそう言って、ヴェルヴェットを撫でて見せた。

「ああそれなら。心配ないわ、私も自分にドレスを誂えたから…」

最も、ドレスという程の物ではないけれど、と付け加えた。

しかし彼の好奇心を大層刺激してしまったらしく、

着て見せて欲しい、と哀願されてしまった。

断る理由も無いので、今夜のディナーで着て見せるから、と約束した。







二人で作ったフレンチ、テーブルマナーに則って、規則正しく並べた食器。

背中越しに食べようとしたら、向かい合って食べて欲しい、とVが言った。

「君の顔を見ていたいからね」

気にしないで食べて、と手で即される。

こういう時は、彼は食事に手をつけず、私が食べるのを見て、

食べ終わる頃に、絶妙のタイミングで、次のコースの皿を持ってくるのだ。

もちろんお喋りにも花が咲く。

大概、すべて食べ終わる前に、私のほうが我慢できなくなって、

マナー違反して席を立ち、Vの手を引いてしまう。

「食べてからでも時間は逃げないよ」

と呆れられてしまうのだけれど、

「ディナーだって逃げないわ」

なんて返してしまう。

そうしてVの手を引いて、シャドウギャラリーには欠かせない、

あのジュークボックスの前に連れて行く。

大好きな曲をかけて、明かりの落ちたフロアで、そっとダンスを踊る。

キャンドルの灯りで、闇にふんわりと映る二人の影。

曲に合わせて、小さく穏やかに揺れては、

デザートまで待てないこの気持ちが、まさに満たされている瞬間だと実感してしまう。

「……、君は綺麗だ…。そしてそのドレスも本当に良く似合っている」

「アナタが選んでくれた素材が良かったのよ」

「私の目が利くという事かな?」

「そうね…いつだってヴィーは、私を見てくれているもの」

曲調が変わって、シャドウギャラリーで、

文字通り自分達の身体も、闇に溶けてしまうのでは…と思った。

彼の仮面を両手でそっと包んで、自分から口付けをしようとしたその時…

「待ってくれ。さあ、目を閉じて」

まどろみの中で、言われた通りに、瞳に瞼を被せる。

耳だけが彼をキャッチしていた。

すると、唇に、温かな体温が、確かに触れてきた。

この瞬間が、一番好きだった。

触れた部分が熱くなる、こんなにも優しく愛しいキス。

カラン、とマスクの落ちる音が聞えたと思えば、Vの両手が、私の顔を包み込む。

「ねえ…ヴィー…蝋燭を消して?」

「…解ったよ」

フッいう音と共に、何本ものキャンドルの灯りは、吹き消された。

遠くのテーブルで、真実の象徴みたいに、1本だけ揺れているキャンドルの明かりは、

流石にここまでは届かない。

「アナタに会えるのは、ここ…シャドウギャラリーだけでしょう?それって最高。充分だわ…」

闇の中が、逆に心落ち着いてしまう存在だから…曖昧なシルエットに、そっと抱きつく。

ジュークボックスのメロディーだけが、闇に行き渡っていく。

「私は"人"では無い…。…しかし、」

「……」

…君と触れ合っている時だけは、

 自分が"人"であって良い様な気持ちに襲われるのだ…」

「……嬉しい」

「例えるなら私は、おそらく亡霊よりも呪われた存在だというのに…可笑しな話だ…」

「可笑しくなんか無いわ。アナタは存在するし、名前もある。"V"という名前が」

「……」

「私にとって…アナタのすべてが真実よ」





そう、華奢な私を、大切に包んで?

小難しい事、もう言いっこ無し、今夜のラストダンスを踊りましょう…?

アナタと真実を奏でる様に―…

この闇の中に浮かぶ"影の画廊"で―…。





その晩、Vに優しく頭を撫でられながら、私はうっとりと眠りに堕ちた。

ユリの甘い香りが、肺に沁みた。


















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取りとめも無いですが、Vの日常って
なんだか想像していて激しく楽しいですよね。
いきなりそこにあったのではなくて、
復習者独特の、時間をかけて…っていうところがリアル。

20061212 狐々音