我が領地にも、春が訪れる。

もともとこの地は春の象徴であった。

うっとりとした温かな光が、くまなくからだの隅々に行き届き、

静かに沸き上がる活力の恩恵を感じ取る。

野歩きでもしよう――珍しくそんなことを思って、《小さな春の詠い手》を探す。

だが《小さな春の詠い手》はおろか、侍女すら見当たらない。

よもやと思い屋敷の門兵に問えば、やはり考えることは同じようで

侍女の手を引いて緑野へ花を摘みに行ったという。


「供を連れて行かれますか」

「よい」


気怠げにそう返せばそれ以上の言葉は必要ないだろう。

おおかた予想した通り、屋敷脇の小道を少し下ったところ、

城内の泉から流れ続く小さな小川側の緑野に、

小さな頭(かぶり)を見つけて思わず微かに口端をあげる。

侍女は畏まって黙礼したが、私が手を振り人払いの合図を与えると、

《小さな春の詠い手》を残し素直に屋敷へ戻って行った。

これでようやっと2人きりになれたわけだ。

にわかに気が緩むのを感じる。



名を呼べば《小さな春の詠い手》は弾かれたようにこちらを振り返り、

子犬のように駆け寄って来る。

行儀が悪いと怒る相手もいないのを良いことに、私の衣をしっかりと掴み、

たぐりよせるように抱きついて見せる。

私は素直に幼い淑女の目線に応えるように膝を折り、芝の上に腰を下ろす。


「スランドゥイルさまにさしあげる」


そう言って小さな楓ほどの手で一生懸命に編んだであろう、

春の野花の冠を私の頭にそっと戴いた。

頭上より降り注ぐ、青くみずみずしい馨りが鼻をくすぐる。

聡明なフクロウの羽根のように、白と黒を織りなして、

まだら髪の少女は花咲くように微笑んだ。

私を見つめる、そのいつも深い紫を帯びた艶やかな瞳の最奥から語りかける。

「あなたが好きだ」と。

満ち足りて、自然と笑みがこぼれる。


「ありがとう。愛しい愛しい私だけの春の姫よ」

「……おねだりをしても?」

「もちろん」


侍女が聞いたら卒倒することだろう。

はそれをよく理解していて、こうして2人だけのときのみ許される台詞を使った。


「おひざにのせてくださいますか」


私はその小さな少女をたやすく抱き上げると、膝に乗せてやった。

こわい夢を見た日など、今でもよくしてやることだったが、

「弱い」「強くなれ」と叱咤が付くものだから、すっかりは萎縮していた。

あたたかな木漏れ日が降り注ぐ。

甘えすがるをそっと護るように抱き寄せる。

まどろむようにうっとりと、瞳を閉じる。

腕に感じる、小さな命の温度は、この手で産まれたばかりの赤子を抱いたときより変わらず、

あの日の誓いを何度でも熱く燃え上がらせる。


「――

「はい」


ふっくらと丸みを帯びた幼子の顔が、私を見上げる。


「私がお前についきついことを言うのは、お前を愛しているからなのだよ。

 きっとこれからもお前に、強くなれと願うだろうが、もう正直に言ってしまおうか。

 私はお前が幸せならば、他になにもいらぬのだよ」

「おさけもほうせきも?」

「ふむ――痛い所を突く」


は眩しい笑顔で笑う。


はぜんぶわかっておりますわ。

 あんしんなさって、スランドゥイルさま」

「――母親が欲しいか……


まだら髪にそっと指を差し入れてやる。


「“ごけっこん、おめでとうございます”」

「侍女にそう言えと言われたか」


思わず笑い声が漏れてしまったが、は笑ってはいなかった。


「……その方はわたくしをすきになってくれるかしら、」


己の髪を呪わしげに握りしめて、俯いてしまった姫君に、努めて優しい声音で諭す。


「好くに決まっておる。

 《小さな春の詠い手》《幻》《まだら髪》それらすべて奇跡の象徴を、

 この国のエルフは愛すのだ――お前は私の民から愛される」


小さな顎をすくい取れども、宝石の瞳はこちらを見ない。


「わたくしはスランドゥイルさまにあいしていただければ、

 それだけでしあわせ。

 ……奥方さまをおむかしても、をかわらずあいしてくださいますか」

「永久に誓おう」


甘えすがる春を腕いっぱいに優しく抱きしめれば、この心は何度でも蘇る。

あたたかい。

麗らかな春よ。春の光よ。

それはとても優しく、尊く、この孤独を慰める――。















エルフの夢は記憶を視せ、時に未来を魅せる。

驚いたように見開いた目に映ったのは、夢の中で抱きしめたまだら髪の少女。

だが夢と異なり、それは美しく艶やかに熟した乙女の姿となっていた。

心配そうに私を見下ろし、優しげな手付きで額から頬をそっと撫ぜる。


「お目覚めになられましたのね。珍しく、とても深く眠っておられましたわ」


彼女が月のように微笑み首を傾げると、白と黒の輝く髪が細い肩をさらさらと零れ落ちる。

私は安らぎを求めての腕を引き、まろやかに馨しい乙女の身体を抱き寄せた。

彼女は従順にそれを受け入れる。

やわらかく私に吸い付く白亜の肌をかき抱き、

寝台に散らばるまだらの髪に金糸が混じり見事にきらめく。

怖ず怖ずと這い上がる彼女の小さな掌を背に感じ、私は良い知れぬ満足感を覚えた。

ただ腕を絡め合って、あの頃と変わらず、この娘を愛している。


「お前の夢を見ていた。

 春の花冠を編み、私の頭に戴くのだ。

 私はを膝に乗せ、お前は私に永久の愛を求める」

「子供の戯言を、あなたはいつだって笑わずに聞きとめてくださった」


あの時と変わらぬ紫に輝く黒い瞳が、捕まえてほしいと乞うように私を見つめる。

鼻先が触れ合い、互いの唇を捧げれば、五感を酔わせる甘い痺れが背筋をかけ上る。

これほど強烈に惹かれる相手を私は識らない。

愛しさの形は年輪のように育まれた。

葡萄酒で酔えども、宝飾を揃えても、この腕の中で熱く震える命の美しさには叶うまい。

私を何よりも酔わせ、悦ばせ、癒す《小さな春の詠い手》よ――。


「スランドゥイル様のお側にいられることこそ、わたくしの至上の幸せです」


まだらの髪は朝と夜を織り成すヴェールのように私の脅えと孤独を慰める。

助けた私が誰よりも解っている。

未来永劫、この頭上に春を与え賜う、我が幻よ。

お前を決して、失ってなるものか。

そのためならば、私はどんな手をも厭わない。



















★::::★::::★::::★::::★

「軌跡」の続きのお話。
嫁さんもらう寸前だからレゴラスおらん。
もう!スランドゥイル様のえっち!

20140811 呱々音