氏長の2番目妻珠の、歳の離れた妹が、忍城へやってきた。

この珠の齢40にして衰えぬ美貌もさることながら、

の容姿もまた絶世のそれに例えられていた。

胆の据わった毒舌の珠とは少し異なり、

は物腰の穏やかな、おっとりとした女子であった。

風雅の権化とおぼしき出で立ちと、真心を持っていた。

一度伊豆国へ嫁いだものの、すぐに夫に先立たれ、故郷の岩槻城へ戻ってきた。

少し足を伸ばして、姉の様子を見に立ち寄ったところである。

この姉妹の父太田資正は、古風な忠義を重んじながら、

どこか大胆なところのある、胆の据わった武士であった。

珠はこの父に似た。

似るはこの妹へ想いにも言えた。

は資正にとって遅くにできた子である。

目に入れても痛くないほど溺愛している。

それゆえ嫁ぎ先から戻った途端、岩槻におれ、おれぬなら、

せめて珠のもとにおれ、と縋るように命じた。

女盛りの子を持つ親とは、到底思えぬ願いであった。

これには珠も驚いた。

とは言えこの辺り珠も同じで、他の兄たち以上に、

特別に妹を可愛がっているから、妹を呼び寄せた。




この度、珠には少々思惑めいたものがあった。

ゆえにのこの滞在を半年にしてはどうか、と氏長に打診した次第である。

さて、ここでようやく成田長親の名が出てくる。

珠は長親を本丸奥に招くや否や、さっそく水を向けた。


「のう長親殿」

「なんでしょう。奥方」


珠は扇をぱちりと細広げて、口元を隠して妖しく笑う。


「そなた、甲斐のことをどう思っておいでじゃ」

「どう、とは」

「惚れておいでか」

「……答えにくい」


愛おしい、とは思う。

だが御屋形様の実子であり、甲斐は立派な姫である。

故に長親も当然、姫は他国の武将に嫁ぐがものと思うてきた。

甲斐とて心のどこかでは、それをよく諒解っているはずである。


「惚れては、おります。

 が、兄やおじのようなものでしょうなあ…」


それを聞くと、珠は高らかに笑った。


「ほっほっほ。なれば長親殿。

 わが妹、などはいかがじゃ」


このと“でくのぼう”を、いよいよくっ付けてやろうと言うのが本音であった。

義理の娘の甲斐ときたら、でくのぼうに首ったけで、心底惚れ込んで離れようとしない。

珠もあまりの懐きように、微笑ましく思う反面、実は少々の痺れをきらしていた。

の名を聞くと、ふわ、と長親の顔がゆるむ。

するとややあって、自らの頬をぺちり、と叩いた。


「…しかし夫を亡くされたばかり。

 大層沈んでおられるのでは」


珠がまた笑う。


「まさか。あれはそのような玉じゃございませぬ。

 元より、思い入れのある嫁ぎ先ではなかったのですから。

 長親殿に会いたいと、いつもそう申しておりますよ」


珠が氏長のもとへ嫁いできて以来、長親とは稀とは言え、

顔を合わせるようになった。

人から“でくのぼう”と呼ばれる男でさえ、

姫と目が合えば幸福な気持ちで胸がいっぱいになる。

ふうわりと馨る春風のようであると。

人知れず見つめていれば、鼻の下を伸ばしているなといつも丹波と甲斐姫に叱責される。

――楽、なのだ。

姫と長親は、自然、だった。

まるで幼き頃からの輩のように言葉を交わせる。

そのくせ、挨拶でも、視線でも、いつも新鮮な心地よさが在った。

よく肌に馴染む革のように、なめらかで、自然。

が表と奥の間、中庭に降り立って、小鳥に餌などをあげていると、

長親の姿が不思議とそこに在る。

ほてほてとやってきたでくのぼうに、小鳥さえも警戒心を抱かない。

が何も言わず顔を上げ、隣をみやる。

優しいまなざしたちがかち合う。

ただ何も言わず、微笑み合って、が手に持っていた餌を長親の掌にのせてやる。

しばらくすると、たちまち小鳥まみれになる長親を見て、くすくすと笑い合う。

2人でいれば、ささやかな時ばかりが満ちていた。

平素、民の多幸こそ本に願うものの、

己の幸せなどほろりとも口にするような男ではない長親が、

姫といると、なぜだかとても幸せなのだと丹波に漏らした。

うっかりであろう。

どこかうだつの上がらない風である、四十男が何を言いだすやら。

丹波にしてみれば惚けているなど情けない、と思う反面、

やっと良い風が吹きはじめた、とも思った。

丹波は一度、用を仰せつかって訪れた伊豆国にて、姫の弓の腕を見た事があった。

姫が、まだ嫁いだばかりの時分であった。

普段は穏やかで、のほほん然とした姫。

それでもやはり“あの”珠の血族である。

矢を引き、的を睨むその姿は、まるで大鷹さながらであった。

弾かれたかと思うほど真っ直ぐ空を切る矢は、

とす、と的の中心に向かって射られている。

さすがの丹波もこれには思わず膝を打ち鳴らしたという。

たちまち、よく見慣れた、あるいはどこかあの友垣である長親を彷彿とさせなくもない、

姫のやんわりとした照れ笑いがそこにはあった。

全容の計り知れない器の影を見たのだ。

それが見たままの白きやわ土がごとき繊細な小器であるのか、

国をも腕の中でたおやかに包み込む大器であるのか、丹波には計りかねる。

一縷、鋭い眼光さえ覗かせるその姫御前を、国(忍領)に迎えられたなら、

どんなにか良いだろうと、漠然と、取り留めも無く思ったこともあった。

――長親と身を固めても良かったろうに。

でくのぼうだが、あれは決して悪い男ではないことを、少なくとも丹波は知っている。

長親という男の、何を考えているかわからない、妙な率直さと、穏やかさを、

丹波はの器量に妙に任せてみたくなったものだ。

まあ、そういう過去もあったから、丹波は長親の間抜けな告白にも、最後は破顔した。


「呆れてものも言えねえや。長親。

 いいかげんその身を固める覚悟を決めやがれ」
















本丸奥の濡れ縁で、姫が月を見ている。

長親が、やはりいつものようにどこか野暮ったく現れる。

姫は橋を渡って、長親のもとへゆっくりやってきた。


「甘い菓子があった」


長親はそう言って、すくうように手を出しだす。

まるで親から褒美にでももらったような風体で、ちんまりと練り菓子が、

長親の掌にひとつずつおさまっていた。


「まあ、愛らしい」

「うん」


長親とは濡れ縁に並んで腰を落とすと、月を見上げながら菓子をちまちま食んだ。


「あの月、まるでこの菓子のよう」


が言うのも無理は無い。

ぽってりと白い、まあるい、練り菓子である。


「甘い」

「甘いな」


が嬉しそうに言う。

長親がほんのりと歓びを込めて同意する。


「長親さま。田植えがありますじゃろ」

「あるね」


もぐもぐ、ちまちまと餡を食む。


「あれに私も連れて行ってくださいませんか」


長親はひょ、と微か、目を見開いた。

いつにも増した間抜け面で、を見たが、驚いた様子でぽかんとしている。


殿、田植えに興味がおありか」

「それはもちろん」


長親の表情がみるみる華やいでゆく。

目を輝かせて、ぬ、と顔をに向かって突き出す。


「連れてゆこう。ぜひ連れてゆこう。

 忍領にも田植え唄などありましてな。

 いや百姓たちが、これまた上手く唄うのだ」


よほど嬉しかったのだろう。

長親は前のめりで、の肩を両手で掴んで、揺すっていた。

もちろんその手からは、菓子がぽろりと抜け落ちている。


「あ」


ころり、と縁に転がった菓子を、長親は慌てた様子で拾い上げる。

がくすくすと無邪気に笑う。

翌日田植えに現れた「でくのぼう」の姿を見た百姓村人たちの口からは、大きな溜息が漏れた。

疫病神がやってきた――と、本気で呆れている。

だが長親の伴った姫君の姿には、興味津々である。

村の子供らに倣って並んで苗を踏み、笑っていた。

ちどりが「お前も手伝え」とでくのぼうを呷るものだから、皆は閉口した。

結局大きく尻餅をつき、泥まみれである。

この長親、田植えどころかなんの役にも立たぬ男である。


「あれ、長親さま」


たへえとが手を伸ばす。

するとやはり年功者、たへえは長親程度の男の、機微に気が付いた。


「いやあ、まったく、面目ない」


の瞳を見つめて手を借りるでくのぼうの眦は、にわかに、ふうわりと、

特別な愛しさをはらんで、笑っていた。

そこへ馬を駆る正木丹波が現れる。

不吉な知らせを持って。










       ・  ・  ・








戦に、なった。

三成たっての一大決起であるところの水攻めに、

浮城と呼ばれた忍城下の村畠は、無惨に飲み込まれた。

士族に関係なく、城代長親は村人たちを本丸へと迎え入れた。

百姓たちは激怒した。

田を駄目にされたからだ。

長親も激怒していた。

小舟で流れ着いたのは――。

敵方に降ったはずの権平と嫁のすが、そして、長親に懐きすぎていた赤子の、

り吉までもが死骸となって。

――許さぬ。


「わしは悪人になる」


そう言い放った長親の声は、あの丹波が震え上がるほど冷たく、残忍なものだった。

長親に呼ばれ仕度を手伝ったのは、だった。

とて戦場にて相見えることは叶わずとも、その兵士たちの妻や子らを守るように、

毅然と裏の指揮をとり、得意の弓を傍らから離さなかった。

そんなも、り吉らの死を知って、その瞳にあらぬ怒りの火が見て取れた。

もちろんそれは一瞬めらりと燃え上がる炎であったが、

長親にはよく諒解っていた。

この女の秘めたる闘志と、心中に飼う猛虎の正体に気付いていた。

は押し黙っていたが、長親に直垂を纏わせながら、ようやく口を開いた。


「……田楽踊りですか」

「うん」


(死ぬ気…、なのですね)

聞けなかった。

だが、この男はそのつもりで、挑むのだろう。

には長親のその気持ちが痛いほどよくわかった。


「……ご無事で、お戻りなさいませ」


そう口にするのが精一杯の餞であることを、そっと言の葉に託すように、

は長親の頼り無さげな背に頬を当てながら、つぶやいた。
















長親が討たれた。

だが、それも全ては策の上のことであったらしいと、丹波たちも気が付いた。

幸い的がずれたため、命は助かったが、一旦は深く眠りについた。

甲斐はあからさまに動揺していたが、長親が目を覚ますまで、

意地でも離れぬ様子で、高潔な愚者を睨みつけていた。

丹波はふと、ひとり足りないことに気が付く。

視線を彷徨わせれば、襖から長親を見つめているを見つけた。

姫は長親の隣に舞い込んでくると、そう思っていたのだが、反して、

踵を返すと負傷の長親を背に、歩き出した。

丹波が思わず廊下に飛び出し、声を掛ける。


「どうしてだ」


呼ばれは立ち止まる。


「――代わりをせねばなりますまい」


振り返った姫の表情は、凍てついた孤高の覚悟に覆われていた。

丹波はぞくりと駆け上がる、決して言葉にならぬ興奮めいたものの存在を感じ、見蕩れた。


「長親さまが臥した今、百姓どもを諌められるとしたら、

 それは“わし”じゃろうよ」


――ああ、行かねばならぬのか。

村の年寄に愛されるあの靭負さえもが、そろそろ音を上げる頃合いだろう。

我らの慕うのぼう様を討たれた弔い合戦だと息巻く百姓どもは、

もう手の着けられぬ有様なのだ。

――覚悟しておられたのだ。

は俯いた。


「なに…、勝手に暴れださぬよう、時間を稼ぐだけです。

 ――丹波さま。あとを頼みます」


そう言って小さく頭を垂れたの姿を見て、丹波は胸が痛んだ。

誰よりも後ろ髪を引かれる想いであったろうに。
















それからどれほど経った頃か、日の眩しさに目を覚ました長親は、

いてて、と漏らしながら、実に呑気に


「城の皆は無事か」


ぬけぬけと聞いた。

(何言ってやがる)

聞かれた丹波は呆れた様子で、心中ののしり、腹さえ立っていた。

甲斐姫などはへらへらと笑う長親に馬乗りになり、

わめきながら長親の首を締め上げてゆすった。

止めに入った丹波と和泉でさえ赤子のように躱され、

まるで太刀打ちできぬほど、剛腕の甲斐姫であった。

方や。

靭負は、さっさとを探しに行った。

甲斐姫を諌められるのも、だけである。

はたへえらと膝を突き合わせて、どうにか一時的にでも、

彼らの納めどころを見つけたらしい。

百姓たちから、突けば吹き出しそうな怒りの影は見て取れたが、

靭負は構わずの腕を引いた。


「起きましたよ。あなたの大切なひと」


さも大したことのなさそうな口ぶりで、けろりと宣う靭負に、一同ざわ、と猛る。

靭負の一言に、が震えている。

動こうとしないので、靭負は姫を容赦なくずるずると引きずってみたが、

漬物石がごときである。


「んもおォ〜。だから大丈夫ですって。

 ぴんぴんしてますよ。あの人。

 っていうか早く行かないと。

 そろそろ甲斐姫に絞め殺されちゃいますよ」


は疾風のごとく走り出していた。

靭負はふふん、と鼻を鳴らすと、その背に向かって

「素直が一番ですよ」と言ってにっこり笑った。

部屋の前で足を止め、ひとつ深い息を吐くと、静かに襖を滑らせた。

とは言え、中は騒がしかったのだが。

が現れると、水を打ったように、騒ぎはおさまった。

甲斐姫は納得しがたいようだが、丹波らが部屋を出てゆく。

珠さえ立ち上がり「あなたも行きますよ」と無言で促している。

甲斐はひとまず長親とを残し、荒っぽく出て行った。

の、武者乙女のような装束が、泥に汚れていた。


「甲斐姫顔負けの姿じゃな」


長親がそっと笑う。

はみるみる縮むようにして、長親の枕元に膝をついた。

今にも泣き出しそうな顔である。


「…大丈夫さ。もう怖くない」


長親が穏やかに諭すと、は弾かれたように泣き出した。


「よしや…、よしや、」


ゆるゆると伸ばされる長親の手が、の頭を優しく撫でる。

その手が今度は、実に心もとなく彷徨ったかと思えば、

どこにそんな力があるのやら、今度は力強く、の手首を掴み、たぐり寄せた。

無言の要求に応えるように、は身体を横たえた。

長親がめくりあげた布団の端に滑り込む。

いてて、と間抜けな声をあげながら、それでも長親は、

片腕でを包むと、懐に出来る限りに抱き寄せて、呟いた。


「そなたが無事で良かった…」


長親の襟元を握りしめる手に、ぎゅうと力がこもる。

ふたりはもう何も言わず、2匹の小さな兄妹猫のように、しばし眠った。
















北条が墜ち、成田家も関白の旨を受け入れた。

負けたのだ。

と同時に、敵将三成にとっても、これはある意味で完敗であった。

見上げた男どもであったと、坂東武者の気高き猛攻を真っ向から受けた者の心中には、

いっそ気持ちのよいほどまでの敗北感を与えた。

それこそが成田長親という、得体の知れぬ男の持つ「将器」なのであった。

とてつもない勢いで支配を広げる関白によって、

みるみるうちに他の城が堕ちる中、唯一堕ちなかったのが、この忍城である。

こうして、この頼りないふざけた長親という男の戦が終わった。


「皆、縁があればまた会おう」


長親のその言葉にて、士分のほとんどは、召し放たれた。
















烏珠の空に、弓月がのぼる。

白い光がしんしんと落つる。

この数日の昼夜を問わぬ騒がしさと、松明や火薬の匂いも、

少しは洗われたようで、再び静寂の影を感じられた。

軽い湯浴びで垢を落としてさっぱりとした長親は、

何を考えているのか読み取れぬ表情で、やはりぼんやりと月をながめていた。

去る者がいる以上、日が暮れてからも、どことなく騒がしかったのだが、

とっぷりと落ちてしまえば一日の労を癒す時間である。


「まだ大役が残っておりますな」


だった。

そばへ寄ると、片腕を吊った長親を、労りを込めて無言で見つめた。

長親は、大丈夫だ、とでも言うように見つめ返す。


「長親さま……甲斐姫の願いを叶えてさしあげなさいませ」


長親は目を見開いた。


「同じ男に惚れたもの同士。

 姫の気持ちは痛いほど良く解ります。

 叶わぬとおっしゃるは、酷というものです」


同じ女である。

甲斐が、関白秀吉の側室として迎えられることに同意したのは、他でもない長親だ。

不憫であるとか、もしそんな言い方をすれば、

あの娘は髪を逆立てて憤怒するやもしれぬ。

だが、惚れた相手に抱かれるは女子の至上の歓びである。

そのたった一夜の思い出があれば、女は強く行きてゆけるのだ。

長親が何か言いかけたが、は遮るように首を振った。


「一夜限りの月の光があれば、道には迷わぬものです」


無事の方の手が、の頬を撫ぜる。

はほんのりと伝わる熱を味わうように、瞳を閉じた。
















「長親さまのもとへ、お行きなさいませ」


が甲斐にそう告げると、姫は嵐のように走り出した。

その晩は、ことさら長く感じたものだ。

辛くはない。

ただ、でくのぼうと呼ばれる長親は、どんな風に女を抱くのか。

はたまらず己の身体を抱きしめた。






翌朝の、まだ朝靄が立ちこめる早くに、甲斐はの部屋へやってきた。

案の定、はうたた寝をしている程度で、眠ってはいなかった。

声をひそめて甲斐が言う。


「あいつはわしを抱かなかった」


腕も使えぬしのう、と付け加える。

が訝しげに首を傾げる。


「だからわしが“抱いてやった”」


はしばし絶句していたが、次の瞬間、声をあげて大笑していた。

笑いすぎたものだから、目尻から涙の粒さえ落ちてきた。


「さすが甲斐よ、なんと、まあ、大の男が、女子に」


押し倒され、馬乗りにされ、されるがままに、

男を知らぬ柔らかな股に竿を食われる長親の顔が浮かんだ。

するとまた笑いが襲う。

ひい、ひい、と息も絶え絶えに、は涙を拭った。


「甲斐。やりましたなあ」

「うん。ありがとうな。殿」


なまめかしい腰つきに、翻弄されろと命じるような圧倒的な容色を持つ姫は、

喘ぐ長親に訊いた。


が好きか。長親」


玉のような汗が豊かな胸を伝い、長親の腹に落ちる。

そんな甲斐の最後の願いをかなえてやりながら、長親は言ったという。


「わしはあの人を喪うのが怖い。

 そういう相手とは、もう二度と出会えないだろう」
















昼下がり、相変わらず、ふらり、のそり、と歩く長親を見つけて、

は思わず笑ってしまった。


「よれよれじゃあございませんか」


くすくすと笑われる。

が、長親はそういうことには慣れている。

その声の主がだと知れると、今にも泣き出しそうな情けない声を出して縋り付いた。


「食われた…」

「それも贅沢というもの」

「命までとられるかと」


どっどと胸が打つのか、顔を青くしながら、冷や汗をかき、

長親は自らの心の臓をなだめるように手を当てた。


「……自惚れがすぎるかもしれませんが、」


心臓にあてられた手に、その柔らかな掌をそっと重ねる。


「ありがとうございます……長親さま」


いつの間にか、長親の表情は変わっていた。

凛とした、精悍な顔つきであった。

が気付くより早く、その唇を奪われていた。

――あたたかい。

そう思った。

腰から蕩けるような感覚がした。

それをも想定していると言わんばかりか、背に腕が回され、引き寄せられている。

唇をはなさない。

身体と身体が密着する。


「あ痛っ」


傷に当てこすりでもしたのだろう。

ぎゃあ、と短い潰れ声をあげた長親の姿を見て、ふたりは声を合わせて笑った。

げらげらと笑う。

空気もへったくれもない、そんなおかしさが、長親らしくて憎めないのだ。

阿呆のように笑い転げて、長親は優しく微笑みながら、真剣な声で言った。


。ゆこう」


まただ。

長親の中で眠る、正体のわからぬ聖獣が動き出す。

得体の知れぬ色香が匂い立つ。

だが次の瞬間には、何も考えていないような、

読み取れない表情に変わっていたりもする。

丹波あたりはこれをどこか嫌いながら、好んでいる。

長親が手を差し伸べる。

つたない手を取り合って、ふたりはふらりふらりと歩いてゆく。







褥の上で、長親はを悩ましく責め立てた。

甲斐の話とはまるで違うではないか。

こんなはずでは、と口にしたくなるほど、

は翻弄され、何度も絶頂を迎えさせられた。

労るような手付きで、けれども甘く、あおり続ける。

とても怪我をしている男とは思えぬ。

向かい合い、腕を交わし合い、尻を突き出し、ありとあらゆる角度で突かれた。

――ここまでとは。

骨抜きに、されるがままに、時たま囁かれる愛の言葉にその身を焦がしながら、

この日ようやく、は好いた男のものとなった。







御屋形氏長が忍城本丸に戻ると、長親はを伴い、夫婦となる許可を求めた。

の二度目の嫁ぎ先にはなるのだが、長親には過ぎたるほど、

良く出来た好い妻となるであろう。

氏長の愛して止まぬ妻、珠の思惑通りになったわけである。

もう使い物にならぬやもしれぬと言われた腕も、

大事には至らず皆の胸を撫で下ろさせた。

相変わらずの調子で、まさかあの戦の大将をやってのけた男とは、到底誰も信じていない。

臣下として動いた丹波や和泉、靭負でさえ、そんなことなどもう忘れているであろう。

それほど面影も無く、長親という男は、もとの姿に戻っていた。

忍城を開城した成田家は、

この後、会津へと渡ることが決まっていた。










































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果てしなく映画。と、ちょっと原作。

小鳥とか金魚とか、放っておけば一日中でも見ていられるような夫婦が書きたくて。

でも丹波が急かすから仕方なく長親は動く、みたいな。

御読みくださりありがとうございました。

20160515 呱々音