豊臣秀吉が家臣家家老胤昌(たねまさ)は嫡子に恵まれず、 養子を取れども何の呪いか皆一様に短命であった。 憂いの続いた胤昌はついに長女が5つに成ろう折、 男子として育てる事に決めた。 世迷い言だと強く止めようにも、その頃の胤昌はまるで狂気に取り憑かれたようで、 耳もくれずを激しく扱(しご)いた。 男として育てられるうち、本人もまたそう強く信じるようになるのは自然な流れだった。 強いられた性にいつしか疑問すら持たず、 静かで凛とした出で立ちとはかけ離れた修羅か鬼かと例えられる数々の武勇は、 胤昌の植え付けてきた狂気の体現そのものであった。 武学ともに秀でたを、秀吉もまた気に入っていた。 だがそこにはある種の同情も禁じ得なかったという。 こと女に目の無い秀吉でさえ、 女という性を奪われ紛うことなき男となってしまったを不憫に思うこともあった。 だがそんな考えすら杞憂だと言わんばかりの武勲を上げてゆく、 恐ろしいまでの才能を持ったは誰よりも男であった。 一匹の孤独な鬼を放っておけるほど、秀吉と胤昌の付き合いは短くはなかった。 ――戦場にひとたび降り立てば、武将の首を掴みて鬼が戻る。 いつしか誰もがを男だと信じ、と同時に嫉妬していた。 それはまやかしの呪術のように蔓延していた。 そんな中、極めて対等に、そしてまた冷静に事を認知していたのが、 刑部少輔 大谷吉継である。 の武才を認め、どう使うべきかを石田三成と語り合うこともしばしばだった。
晴天の下、ホオジロが細い声で美しく鳴いている。 吉継は珍しく、昨夜見た古い夢に想いを馳せていた。 幼少吉継――まだ慶松と呼ばれていた頃。 小川の側で木枝を振り回し、剣術とも言いがたいチャンバラごっこに夢中になっていた。 7つを迎えた少年は、いつも腹が空いていた。 こうでもせねば、食い物のことばかり考えて埒があかぬのだ。 ここは街道を遠く見渡せる。 年端も行かぬ小童は、人の往来をすべて把握している自負が有った。 記憶力は良い。 そのうち手練であろう供を連れた若い女人と、 その人に手を繋がれた小さな娘が遠くに見えた。 刀を差した男は、あの大きな木の下で少し休もうと提案したようで、 小川に水を汲みにきたついでに、慶松に気付いて声を掛けてきた。
慶松は小さな御姫の遊び相手となって、 大して面白くもない里を案内して夢中になって遊んだ。 御姫の笑い声はとても愛らしく、妹とも違うその生き物に、 慶松の小さな胸は熱く揺さぶられた。 冷たい小川に足を浸した時、慶松は気が付いた。 御姫のふくらはぎの内側、蝶の形をした痣に、少年は目を奪われた。
「生まれつきのあざですから、いたくはございませぬ」
慶松は枝を捨て、御姫の手を繋いで丘を駆け上った。 新緑の香りが肺一杯に広がれば、もうすぐ夏が始まる。 丘からは遠くに件の大きな木が見下ろせる。 綺麗な女人は――泣いていた。
我に返った吉継は、気を取り直し用件を述べた。 先の戦で右足を引きずっていた愛馬の様子を訊ねるため、厩を訪れたのだ。 愛馬は吉継の姿を見ると、鼻を鳴らして喜んだ。
駄目になった馬は殺すより他ない。 然りとて、戦友である愛馬に情が通うのは、乗り手である吉継だけではない。 世話役の馬番とて思いは同じなのである。
これが走れるまで面倒を頼むぞ」 「へい」
「良く姿を消すと思えば…」
すっと伸びた背筋で優雅に振り返り一礼した。 もちろんサラシはしっかりと巻かれているが、やはりそこに性への自覚はなかった。 吉継には、それがまた不安に感じられる。 鬼と呼ばれる中性の生き物に、言い知れぬ腹立たしさを覚えた。
実に清々しい太刀筋だ」 「刑部殿――愛馬の具合はいかがですか」 「馬番の世話のお陰で大分善いようだ」
日頃に比べると、どこか元気が無い。
「父が――少し」
ここ最近の胤昌と言えば、以前にも増して夢見る人という風体なのだ。 まるで幽霊然とふらり歩いては、ぶつぶつと独り言を言い、どこか心を病んでいる。 故に公務からそれとなく外され、休養を申し付けられる事も増えた。
「その辺りは慣れております。 ですがここの所、ますます正気に陰りが見て取れます。 何か大層気を揉まれることが有るようで…」
だがそれは本当に一瞬のことで、それが何を意味しているのかは解らなかった。 杞憂と言えば杞憂、だが果たしてその正体は…一体――。
「かような事を気にする必要はない」
はようやく表情を弛緩させた。
刑部殿にはつい、話しすぎてしまう。 私の悪い癖です」
例えあのように人目に付かぬ場所でも、 鬱憤の溜まった輩には迂闊としか映らぬ」 「私は男です」 「いいや」 「刑部殿!」 「そなたは女だ」
怒りでわなわなと震えている。
佐吉もそれがしも、そんなお前を当てにしておるのだ。 つまらぬことで見す見すその身を危険に晒すことはない。 ――良いな」
まるで自分が聞き分けの無い子供にでもなったような気がして、 は急に恥ずかしくなった。 目を伏せる。 素直に「はい」と返事をするので精一杯だった。
床に付く前、は毎晩欠かした事の無い書き物をしようと筆を執る。 すると間もなく気怠い足音が廊下に聞こえた。 すぐに父だとわかったので、筆を持ったまま顔を上げる。 声も掛けずに襖を開けられたことに、は違和感を覚えた。
油が勿体のうてかなわん」 「父上――」
父が習慣にせよと言いつけたのではないか。 そこまで出た言葉をはぐっと飲み込んだ。
「全くお前は――いつも人より何かが“足りない”。 出来損ないの偽侍も良い所じゃ…、嗚呼! “足りない”……“足りない”……“足りない”!!!」
灯が闇で震える。 の手から筆が落ちる。 ――“これ”は父上じゃない。正気じゃない。 恐ろしくて声が出ない。 闇に紛れて左から何かが飛んできたが、避けられない。 胤昌の手がのこめかみを強く打ってきたのだ。 文台に頭を強く打って、床に転がる。
抵抗する隙も与えず、頬を殴りつけられる。 耳鳴りがして目がかすむ。 喉を押さえられ、声もうまく出ない。 せめて獣のようにうめくのがやっとだ。 寝間着の隙間から父の手が侵入してくる。 足の付け根に、固いものが押し付けられる。 もがいてみるが、押さえつけられ上手く力が入らない。 あとはがむしゃらに声をあげ、泣きじゃくることしかできなかった。 例えようも無い混乱と、強い痛みがあるだけだった。
――恐ろしい。 全てを否定されたのだ。 そしてことごとく、打ち砕かれ、穢された。 手ぬぐいを噛み、痛みに耐えながら何度も股を洗ったが、 どこまで効果があるのかはわからなかった。 今まで意識せぬようにしてきた場所を、まざまざと眼前に突き付けられた。 一夜にして何もかもが崩れ落ちた。 憎しみが湧く。 耐えられない。 手荒に扱われた容姿の言い訳をする度に、心が死んでゆく音が聞こえる。 背後から音がする度に、は異様に驚き、身体を竦めるようになった。 男の形を保つことが、ままならない。 城はそんなの噂で持ち切りだった。 ――吉継殿には決して会いたくない。 吉継とて、そんなに避けられていることにすぐに気が付く。 声を掛けようにも、怯えるように姿を消してしまうを見つけるのは至難だった。 時置かず、秀吉の耳にもすぐに知れた。 直々に呼び出され、否応なく馳せ参じる事を求められた。
「…は」
は怯えたように目を合わせず、顔を上げた。
「殿下、は思う所ありて、出家することに決めましてございます」 「理由を申せと言っておる」
秀吉は大きく溜息を吐くと、天下人と呼ばれる顔を捨て、 親身にを思うて成長を見守ってきた者の顔になって、の前に歩み寄る。 身を屈め、心配そうに目を覗き込む。 肩に手を当てようとした途端、が大きく身を引いたので、秀吉は静かに目を見開いた。
「ひで…、よ…あ… お…おゆるしください、おゆるし、ください。 面目ござりませぬ、もうしわけござりませぬ…!」
この猿めは酸いも甘いも嗜むが、“これ”は違う。 怒りが脳天を貫き、全身を駆け巡る。
が必死に追いかけようとすると、吉継に腕を掴まれた。
は混乱した。
なぜです…なぜ!そのような下劣なことを!」
二本の腕に縛られ、身動きが取れなくなる。
終いだ――、」
わんわんと声をあげ、おそらく一生分の涙を流して、泣いた。
憔悴したに、秀吉は自らそう告げた。 父と家の汚名にならぬよう配慮されたことにただ頭を垂れる。 脇に立ち会ったのは、殊口の堅い吉継と三成だけであった。 一向に顔を上げぬに、秀吉は溜息を吐いた。
――して…これからの話よ。 家を継ぐ者はもうおらぬ。だが受け止めよ。 。お前はもう、の名に囚われずとも良いのじゃ。 この紀之介がな、お前を嫁に迎えたいと、こう申しておる。 ――どうじゃ」
これ以上身体に障っても面白くありませぬ」 「うむ――心得た。 なれば佐吉!行くぞ! ――紀之介。あとは任せたぞ」 「は」
喉の奥がひどく乾いてならぬ。 吉継が溜息を吐く。
殿下は少々事を急いてしまわれたようだ」 「……吉継様。とても正気とは思えませぬ。 かように卑しく穢れた女を娶るなど…」 「殿。 我らはあのような忌み事に囚われ、見失ってはならぬのじゃ。 この吉継はお前に惚れておる。 ただ、それだけだ」
身体が熱を持つ。 恐る恐る、顔を上げる。 男の真っ直ぐな視線に捕まってしまう。 は息も出来ない。
女は首を振る。
だがもし、それがしの自惚れでないのなら。 多少なりともそなたは、この吉継を好いておるはず」 「………ます」
薄い色の頬を、熱いものが落ちる。
は、吉継様を、お慕い申して、おります」
好いた男は誰よりも男くさい仕草でを抱き寄せた。
無理強いはせぬ。 そなたの心の傷が癒えるを待つ」
吉継の胸中に、言い表す事の叶わぬ歓びが湧き立った。
あれは強いられた忌み役。 解けてしまえば牙など元より無かったのだ」 「面目ない――つい嬉しくてな。 わしはにも、紀之介にも、幸せになって欲しい。 ただそれだけじゃ」 「心得ておる」
女の肌から湯気の立ち上る香りがする。
吉継は宣言通り、初夜と言えどもが望まぬ交接は致さぬとかたく誓っている。 覚悟はあった。 が、このように煽られるのは、なかなか酷である。
吉継は目を瞑り、に背を向け苦渋の表情をした。
湯冷めする前にしとねに入れ。 なんじゃ。 それとも…――抱いてほしいか」
声が濡れていた。 偽りではない。 ――不覚。やはり鬼とは強かな生き物であった。
目を視れば誠が見える。 双の珠玉が艶やかに揺れる。 問うまでもなかった。 新妻をかき抱く。 今日日、華奢な躯体を虐め抜いてきた鍛錬を経ち、 少し肉の落ちた薄い身体はまろやかに柔らかく男の胸に馴染んだ。 口を塞ぐ。 身体の下で破裂しそうなほど緊張しているのが解る。 角度を変え、何度も口付けてやる。 次第に舌の侵入を拒めなくなり、熱を含んだ息が交わる。 そのまま首を吸えば、は手で顔を覆った。
「違います、っ」
目が剥がせなかった。 雄はどくりと腫れ、雌の子宮がぎゅ、と疼く。 無意識に手を伸ばす。 その白い手に、男は再び捕まりに行く。 しとねの上で開かれた女体を愛でながら、形良い丸みを丁寧に揉みほぐし始めた。
「――はずかしい、」
視線がかち合い、目が離せない。 肌を這い回る手が腹の上を伝い、武人の指先が足の付け根へと伸ばされる。
それを優しく虐められる時の女の表情が好きなのだ。
「っ、…は、い」
奥歯を噛み締めて耐えている様がいじらしい。
とくと鳴け」
背と足が浮き上がるのは好い証拠だ。
は正しく絶世の花」 「や、おやめくださ、あ」
は知る由もないが、吉継は殊上手いのだ。 ひとたび委ねてしまえば、女は甘き極楽を彷徨うはめになる。 濡れそぼつ場所から顔を上げると、白く光る足を担ぎ上げるようにして、舐め上げた。 するとまるで事切れたかの如く突然、吉継の動きが止まる。
「…――この、蝶の痣」
ふくらはぎの内側、蝶の形をした生まれつきの痣。
昔、若い女人に連れられ立ち寄った里の事を。 共に暇をつぶせと頼まれた小童がおったはず」
そんな姿を今まで見た事はなかった。 あの半身と見紛うほどの仲である、三成とて無いだろう。 そんなとて零れ落ちそうなほど目を見開いて、瞳の奥を熱く震わせて応えた。
「ああ――ああ、そうじゃ…!」
「面目ない――。 あの時、供の男に御姫の名は聞くなと言われておった…」 「ええ、ええ、覚えておりますとも、」
「産みの母です――あの日命を絶ちました」
慶松と名乗る少年と遊んだ幼女は、 生まれて初めて出来た友達が嬉しくてたまらなかったのだ。 だがそんな幸せな日が一変した。 隣の里山の渓谷にて母は小太刀で自害し、泣き叫ぶはあの男に抱えられ、 父だと言う男の元へ連れて来られたのだ。 ――侍女の子だったのだ。 何と言う事は無い。 母が死ねば、に家督を継がせると狂気で脅したのだ。 そうして新しい父と義母に、幼子は性を奪われた。
「も、慶松さまと同じ想いでございました」
暫時、ただ肌を合わせ抱きしめ合った。 愛を語らんとする言の葉を、普く吸い取るように。
「…慶松さま、」
月の光が真実の輪郭を露わにする。
蒼白い光を浴びた御姫は、ただただ殊更に美しかった。
心を病んだ胤昌を喪い、ある日ぱたりと男の世界を離れたが、 大谷吉継が妻となったと聞き及んだ家臣達は、 皆どこか厳しいことを口にしながらも、内心胸を撫で下ろしていた。 ――ようやくこのまやかしが解ける。 吉継は思った。 かくも見事なまでに蔓延っていた呪いが。 の身体は、すぐにこの吉継の味を覚えた。 夜ごと睦んで新しき事を教え込む。 従順だが一筋縄ではいかぬ者同士、しとねに飽きる日など到底来ないように思う。 正家が下世話なことを訊いてくるが、話してやるつもりは毛頭なかった。 桜の季節を楽しむように、三成と茶席を交え屋敷に戻ると、 がどこか淋しそうに猫と戯れていた。
「ああ」
腑抜けた寝顔が愛らしかった。 が吉継の手をそっと握る。
「戦が恋しいか」 「…はい」
否、見透かしていて欲しかった。 今まで足りなかった女としての仕事は、 もちろん決して容易く覚えられるものでもないのだが、 どうも軽く感じられて何かが足りない。 書物を読んでいられるのは有り難かったが、 内容が戦術に関するものばかりなので、吉継以外はあまり良い顔をしない。 吉継が握り返した手を引いて歩き出す。
「来い」
に投げて寄越した。
お前ほどの腕を持つ手練はそう居らぬ。学ぶ事も多かろう」 「ですが」 「良いと申しておる。早う襷を掛けい」
しばらく鍛錬を断っていたため、お世辞にも全盛期の腕とは言えぬが、 刀を交えるうちにいつしかは瑞々しさを取り戻していった。 時に武士は会話をするより剣で語るが早いときがある。 吉継も心が躍った。 どちらともなく笑い声があがった。 汗を拭いながら縁側に腰掛けると、頃合いを見計らったように侍女が茶を出してくれた。
「かたじけのうございます」
構わん。鍛錬は続けよ」 「宜しいのですか」 「当然であろう。 そなたの武勲は言わずと知れた唯一無二の才。 取り上げてしまうには、あまりにも惜しい。 はらしく居れば良い」
これ以上、受け入れて頂けるなど。 なんと器の大きなお方であろう。
はらり、はらりと落ちる桜を愛でながら、この瞬間の尊さを何に例うべきか。 人が極まる時、未だこの言葉のみ。
ちょい変態を希望、どうも映画版のぼうの大谷吉継です。
男くさいくせに裁量が細やか。尻も大変良いですね。
ゆくゆくは性癖がなんとなく個性的な2人だと良いな…と思って書きました。
いずれ三成と「吉継あるある」みたいな話もなんだか良い気がします。女子か。
お粗末様でございました。
20160217 呱々音
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