帰宅する前にトレーニングルームで一汗流していこう――。

数ある愛車のうちのお気に入りの一台のハンドルを軽やかに切って、気の向くままに。

通い慣れた場所には、同僚で良きライバルでもあるタイガー、バーナビーそしてブルーローズがいた。

どうやら――3人で組まされたユニットのダンス練習に来たようだが――。

レッスン前にウォーミングアップがてらこのフロアに来たのだとブルーローズは言った。

おしゃべりと軽いスキンシップもそこそこに、今日はランニングマシーンに打ち込もうと決める。

好きな音楽を聞きながら、軽快に走り続けて2時間程経った頃――。

スタジオに消えたはずのブルーローズが戻って来て、こちらに向かって手を振っていた。


「ファイヤーエンブレムー!お客さんよー!」


そう言ったブルーローズの後ろには――良く見知った顔があった。

だ。

一見すると年齢不詳のその容姿は、いつだって洗練されていて完璧だ。

実に控えめに身にまとっている品の良いアイテムは全て、

その辺の女にはとても買えないような高価な代物。


「あらやだ。ちょっとアンタなんでアタシがここにいるって解ったの」


全身を落ちてゆく汗をタオルで拭いながら、驚きも露に言ってやった。


「だってなかなか帰って来ないんだもん。寄り道したのかなあって思って。

 もしもの時にって預かってた入館証、役に立っちゃった。

 ええと――カリーナさん?ご案内してくださってどうもありがとうございました。

 ご休憩中だったのに――ごめんなさいね」


ブルーローズはのとびきりの微笑みに若干頬を染めると

「あ…いいのよ!どういたしまして!」と言った。

そして肘でネイサンの脇腹を打つ。


(ちょっとファイヤー!あの可愛い子だれ!あんたの何!)

(ったくうるさいわねえ!アタシの――血の繋がらない妹みたいなもんよ)

(ゲイだと思ってたのに…!)

(うっさいわねえ…だから!あれは、い・も・う・と!)


ネイサンはくるりとに向き直すと、にこりと笑ってブルーローズを紹介した。


にも話してたでしょ、この子が同僚のブルーローズ。

 ――ブルーローズ、よ」

「え!?」

「やっぱり…!カリーナさん、ブルーローズだったんですね!

 本当にお綺麗ですね――いつもネイサンがお世話になってます」

「っ…そんな、こちらこそ!」


いつだってそう。

男も女も関係無い――の笑顔に誰だってノックアウトされる。

潜在的に人々を魅了して止まない、正体不明の魅力。


「あ、あの…っ!私もいつもさんのコラム、拝見してます!ファンなんです」

「まあ…!とっても光栄だわ――!嬉しい…ありがとう!」


は多数の連載を持つ売れっ子のコラムニスト。

シュテルンビルトで女性たちが手にする新聞や雑誌には必ずと言って良い程、

の執筆したコラムが掲載されている。

ティーンからミセスまで幅広い層から支持されている記事には、

いつだって女性が背筋を伸ばして颯爽と、

活き活きと生きていくために必要なことが書かれているのだ。

とブルーローズはすっかり意気投合したようで、

今度ランチをしようという話にまで発展していた。

ブルーローズがレッスンに戻って、トレーニングルームにはネイサンとだけが取り残された。


「お散歩がてら歩いて来たの。お腹すいちゃった」

「わかってるわよ――シャワーくらい浴びさせてよね?」

「もちろん。その間にレストラン、予約入れとくね」


少し早めのディナーは和食のレストランで、食後は二人でフェイシャルエステとワックスへ直行。

その足で行きつけのネイルサロンへ寄り道。

閉店間際のブティックで新作アイテムを物色し、

気になった物はフィッティングルームで軽くファッションショー。

と居ると、笑い声は終始絶えない。

黒曜石が如くキラリと光るクレジットカードでお支払いを済ませて、

トランクに荷物を詰め込みながらネイサンは上機嫌だった。


「アンタってほんとセンスが良いわ。まさかあの洋服があんなに化けるなんてね!

 店員の顔見た?あんなに驚いてんのアタシ初めて見たわ!」

「あら。私は発想をちょっと切り替えただけだわ」


得意げな鼻先をちょっと小突いて笑ってやる。


「その“ちょっと”がスゴいんのがアンタの才能よ」


は更にわざとらしく鼻を鳴らしてみせて、また笑い合う。

車に乗り込んで、夜の街を海沿いに。

少し遠回りして郊外の大豪邸――シーモア邸へと到着する。

ネイサンが初めてに出会ったのは、株主を集めたパーティーの席での事だった。

大きな会場内、優雅な出で立ちのが殿方から放っておかれる事も無く――。

パートナーを連れていない事も手伝って、はお酒に酔って見境を無くした男性に絡まれていた。

は――男性恐怖症だった。

仕事での最低限のやり取り、大人として多少の愛想笑いくらいは出来るが、

個人的に交流を持ったり、好意を受け取る事は不可能に近かった。

お酒に酔ってるとは言えこちらにも相手にも立場と言うものがあるから、

あからさまに嫌悪を訴えることも少々躊躇われた。

何よりそうしたくても――既に本能的に肉体が拒み、そして怯えて、硬直し始めている。

抵抗しようにもはほどなく泣きそうで、よもや歳甲斐も無く叫びそうになった――まさにその時。

勇ましくも可憐に登場したのがヘリオスエナジーのオーナーことネイサン・シーモア、その人だった。

男の腕を軽々とねじ上げると、耳元で一言「そのへんにしとけよ」とドスの聞いた声で忠告。

酔いも醒めたと慌てて退散する男。

立ち尽くすに鮮やかな深紅のハンケチーフを差し出して、ネイサンはニッコリと笑った。


「あら綺麗な子!あんなクズ男にアンタみたいな可愛い子もったいないわ。

 それに――スーツが最悪。ホントなによアレ!」


「下品なピンク!」「下品なピンク、」


きょとんと顔を見合わせて、弾かれたように大笑いした。

怯えていたの気持ちが、みるみるうちに回復していく――不思議な人、はそんな風に思った。


「自己紹介がまだだったわね。アタシはネイサン・シーモア」

「私は、

「あらやだ!私アンタのコラム大っ好きなのよおー!いっつも読んでるぅ。

 女の目線ってヤツよね。媚びてないけど辛辣すぎないっていうか、お上品っていうか…

 でも的を得てるっていうの?言葉のチョイスもお洒落よねえ!感心しちゃうわっ。

 ――こんなに素敵なお嬢さんが書いてたのね、なるほどね!納得だわ!」


ネイサンの褒めちぎりに、は自分の頬が火照っていくのを感じた。


(ああそうか…この人は――きっと“女性”なんだ)


それから芽生えた男と女の友情は、親友そのものの付き合いだった。

まさに気の合う――ちょっと合いすぎるくらいの居心地の良さ。

ネイサンへの信頼も去ることながら、に対するネイサンの溺愛っぷりもすごかった。

気がつけばは、週の半分をシーモア邸で過ごすようになっている――半同居状態である。

ゲストルームはすっかり専用の部屋になりつつある。

そのくせどちらも働く“女性”らしく、仕事の領域は絶対に浸食し合わない。

結局今夜も、ディナー、エステ、ショッピングと楽しみ、心地よい疲労を背負いつつ、

パジャマに着替えて大きくてふかふかのソファが鎮座するリビングで、

ナチョスとポップコーンでカウチポテトをしながら深夜の映画鑑賞会と洒落込んでいた。

クッションを一カ所に集めて、そこに仰向け寝そべるのがネイサンのお気に入り。

そしてそのネイサンの鍛え抜かれた胸板に、頭を預けてうつ伏せになるのがのお気に入り。

はたかた見たら――円満なカップルそのものである。

はネイサンに頭を預けながら、メガネをかけて、無心にモノクロ映画を見ている。

――それは中世を舞台にしたロマンスで、華やかな主演女優が眩い衣装を身にまとい、

愛と恋について心揺れ、苦悩し、そして成長してゆく映画だった。

ネイサンはシャンパンを一口飲むと、愛し気にの髪を摘んで撫でてやった。


「――今日もお互い、この短い時間でよく遊んだわねぇ」

「ネイサンと居るとすっごく楽しいんだもん」


はネイサンの瞳を見つめて、満ち足りた笑顔で笑う。

こんなに近い位置にいるのに、自分を不安にさせない素敵な人。


「っ、…――アンタ……仮にもアタシが男だって解ってる?」

「解ってるよ。何度も言ってるよね」


飼主に撫でてもらう猫のように胸に縋って、頬をすり寄せ、幸せそうに甘える


「ネイサンだいすき」


彼はとびきりのハグと、の柔らかな頬に軽やかなキスをひとつ落としてやった。


「くすぐったいよ」


彼女は愛らしい笑顔でクスクスと笑って見せる――まるであどけない子供みたいに。


(あーあー…この子ったら…可愛い反応してくれんじゃないの、ホント、)


「ダーリン…罪な子ね」


























★::::★::::★::::★::::★

曖昧模糊な関係がいいです。

どっちも気付いてないのか、本気でそう思い込んでるのか。

ネイサンの男気と母性の為せるブルジョワ関係。

このブラックカード・ペアめ(笑)

20110919 呱々音