彼は私が海の側から離れられないのを知っていた。

だから呼びつけたり、強要したり、そういう事はしなかった。

彼は私にたった一度だけ「付いて来てくれ」と頼んだことがあった。

けれども私は「できない」と応えた。

以来、彼と私の世界は交わることはなくなった。

私は海から離れられない。













平均すると月に1、2度メールが届く。

全く来ない月もある。

だが彼は私のことを決して忘れてはくれない。

それが解っているからこそ、私から何かを訴える必要はなかった。

普通の一般家庭の父親が、大黒柱として会社に通うのと同じことだ。

多くの人は違うというけれど、少なくとも私はそう考えることにしていた。

――《職業》とはそういうものだ。

ずっとずっと、この12年――正確に言えば20年以上。

彼は文字通り疾走り続けた。音速で。

風を切って。追い抜いて。追い抜かれて――。

それにいつも空腹だった。

身体を鍛え、体型を維持することが何より求められていたから。

彼には長い目で付き合える、心身の支えとなり寄り添う存在が必要だったが、

その役目は私には到底無理だった。

この海を離れることは、人生を投げ出すことに思えたから。

私はこのポートスティーブンスの海と、祖父と、イルカとの絆を選んだ。

いわゆる観光客を対象にした野生イルカと戯れるツアーではなく、祖父は50年間毎日、

ケガなどで海に帰れなくなったイルカを野生へ返すためのリハビリや、世話を見て来た。

ひとり息子と妻を嵐で亡くし、手元に残ったのは孫娘の私だけだった。

私の母は私を産んですぐ家を出て行ってしまった。

祖父は一度だけ母のことを話してくれた。

「彼女は海が好きになれなかっただけだ」と、言った。

私は幼心に「だとしたら仮に母がいたとしても

彼女とは上手くやっていけなかっただろう」と思った。

オーストラリアの海は美しく、ゴールドコーストなどは特に人気が高い。

それよりもっとシドニーの方に下ると、ポートスティーブンスの海がある。

イルカとの絆しか信じていなかった私は9歳の頃、幼い恋をした。

それはとても運命的だった。

だから彼も私もその思い出に心惹かれながらここまで来てしまったのだろう。

クイーンビーアンからの家族旅行でポートスティーブンスの海を訪れた彼は、

私より2つ年上のひどく背のひょろ長い少年で、

つまらないことで祖父と喧嘩をし、いじけて家を飛び出した少女の、

ひとりぼっちの貝殻集めを手伝ってくれた。

女の子の遊びには違いなかったのに、きっと彼も暇を持て余して退屈していたのだろう。

おかげですっかり機嫌を取り戻した私は、お礼にイルカを見せると言った。

孫がうちに人を連れて来たのは初めてだと言って祖父は大喜びで、

祖父に作れる精一杯のご馳走であるミートソーススパゲティを

小さな客人にたくさん振る舞った。

私たちはたった半日で幼い恋人同士になり、

日が暮れて彼が両親と滞在しているホテルに戻るまで、手を繋いで歩いた。

彼は私に住所を聞き「必ず手紙を書くから」と言ってキスをした。

以来、小さなふたりは手紙を交わし続けた。

何年も、何十年も。

そのうちメールという手段に変わった。たまには電話もした。

いつしか彼が地元の新聞で取り上げられ、メディアに露出するようになり、

英国に渡ると告げられた。

私は彼が渡英する日も、イルカの世話をしていた。

それでも彼が故郷のクイーンビーアンに帰ってくる時は、

出来る限り足を伸ばしてポートスティーヴンスに寄ってくれた。

好調でも不調でも、彼の態度は変わらなかった。

努めてそう振舞っていたのかもしれないが、

少なくとも私にはここにいる時の彼は、とても自然体に思えた。

その頃には私はひとつの節目を終え、イルカたちの研究のために海獣医の資格を得ていた。

いつしかイルカは守るべき対象であると同時に、新たな研究の対象にもなった。

いつだって新鮮な喜びをくれるイルカたちを、私は子供の頃以上に心から愛していた。

そんなささやかな想いを、彼は無碍にもせずいつでもよく聞いてくれた。

彼も忙しい日々に合間を縫い、まるで自分の家族の様子を見に帰るかのように、

イルカを見に立ち寄るようになった。

大きな円形場のプールでリハビリに励むイルカを愛おしげに撫でて、

無邪気に笑う彼を見るのが、私の幸せだった。

でも彼の本当の世界は別にある。もっと外の世界に。

また彼は、絶対に私の《この》世界を否定しない。何があっても。決して。

だからこそ。

彼がF1という世界にまた一歩近づき、大きな決断を迫られたあの時、

縋るように一度だけ聞かれた。


、一緒にイギリスに来てくれないか」


答えを知っていても、確かめずにはいられないのが人という生き物だから。


「私は行けない」


私が首を振ったときの、彼の淋しそうな瞳を忘れたことはない。


「だけど、いつもあなたのことを思ってる。

 マークならきっと人生を一緒に歩んでくれる素敵な人を見つけるはず」

「それが君なら良かった」

「私もそう思うわ」


それから間もなく彼が多くの一流チームでキャリアを積み始めるのと同じ頃、

匿名の寄付が毎年必ず届くようになる。

私も年老いた祖父も、その寄付が誰から送られたものか知りながら、決して口にはしなかった。

彼の出たレースは一度たりとも見逃したことはなかった。

うず高く積まれて行くビデオテープやDVDはすべて、私がせっせと撮り貯めた彼の記録。

だがある時、母国で開催されるグランプリのチケットを差し出して祖父は命じた。


「いいから彼に会ってこい。もう意地を張るな。

 マークが地元で走るときくらい、彼の好意に甘えてやったらいい。

 彼はお前に見てほしいのさ。だからこうして毎年チケットを送ってくる」


地元の英雄の活躍を期待し、胸に興奮を讃えた観客たちで溢れかえるサーキット。

当たり前だが、今までテレビ越しに見て来たものとはまるで違った。

きらびやかな人々に混じって、指示されるまま立派なパスを首から下げるのは少し緊張した。

金色の豊かな髪を高い位置で縛ったチームの女性スタッフが、

丁寧にホスピタリティやパドック・クラブを案内してくれた。

彼の名前のプレートがはめられた部屋をノックすると、

はじかれたように部屋の主は顔を出し、お互い年甲斐もなく抱きついて

彼は私を何度もくるくる回すので、見知らぬ色んな人に笑われた。

幸先が良いと言って喜ぶ彼に、初めて連れて行ってもらったピットガレージは、

奇妙な緊張感が漂っていた。

チームラジオのついたヘッドホンを渡され、

私は身体の中心で狂ったように暴れる小さな心臓が、

喉の奥から飛び出しそうなほど緊張しながら、

飼い主を待つ小さなテリアのようにひたすらレースを見守った。

こんな衝撃的な興奮に晒されたことは、後にも先にも思い出せない。

それ程までに、初めてのショックというものは印象深いということだ。

まばゆい世界にものすごい速さで吸い込まれて行く彼を見るのは少し淋しかった。

と同時に、彼が私の仕事に敬意を払い続けるのと同じように、

私も彼の仕事に対して今まで以上に尊敬の念を覚えた。

そしてとても誇らしかった。







更に濃く、もどかしい数年が流れた。

チャンピオンを抱え、コンストラクターズタイトルを独占するチームならではの

とてつもなく厚い壁がそこにはあった。

彼から電話が掛かってくる頻度も、以前に比べて多くなった。

空いた時間を使って、彼がポートスティーヴンスに訪れることも増え、

夜のプールでイルカに額をくっ付け静かに泣いていたことも、私は知っている。

食いしばった歯の隙間から漏れる辛い嗚咽を、何度も聞かなかったことにしてきた。

だから彼が人知れず考えていたひとつの《決断》を、真っ先に私に打ち明けたとき、

私はただ彼の広い肩を抱き寄せ「それでいい。間違っていない」と繰り返した。

彼が引退を決めた最後の1年を、私はいつしか自分のことのように錯覚していた。

いまこうして初めて、彼と私の世界がにわかに混じり合う。

とても皮肉なことだった。

オーストラリアの真夏はまるで夢のように去り、冬の寒さに埋もれ始める頃、

ジーンとアランと名付けたイルカたちが無事群れに戻って行った。

その通日後、あんなに元気だった祖父はひっそりと息を引き取った。

私はこの広い世界にひとりぼっちになってしまった。

冬を越し、春が来る。

外の世界では秋が巡り、彼の長い1年が終わる。

終わりは新たな始まりだ。

彼は脇目も振らず違うステージに向けて走り続ける。

私は新たに1匹、ナイルという名のイルカを海に帰した。












ある朝目覚めてバルコニーに目をやると、見慣れた人影がこちらに背を向けて立っていた。

眩しく輝く海をずっと見つめていたらしい。

背後に私の気配を感じたろうに、それでも彼は振り向かなかった。

ただポケットに差し込んでいた右手をそっと後ろにして、

私の掌が自ら捕まりにくるのを待っていた。

バルコニーの張り板が太陽の熱を受けて気持ちがよいことを知っていたから、

私は裸足のまま彼の背に向かって歩き出した。

捕まりにいったその大きな手の中は、昔から何も変わらない、

ただとても優しく寛大で、温かかった。


「おじいさんが亡くなったこと、なんで黙ってた」


彼の大きなサングラスの隙間から、一筋の涙が零れ落ちていた。


「言えば悲しみが増すから」


私は愚かにも、彼がこんな風に祖父のために泣いてくれるとは思ってもみなかった。

まるで自分の家族を失ったように。

祖父の存在が、彼の人生にとても大きな意味を与えていたことを知った。


「――でも、そうじゃなかった。

 マークには、言うべきだったのよね。ごめんなさい」

「君が辛かったはずだ」

「辛かったわ」


何にも勝る喜びの影に潜む辛さと、苦渋と、孤独――。

それでも人生は容赦なく続いて行くことを、私たちは学んだのだから。


「僕はを連れて行く。

 君が嫌がってもね。おじいさんと約束した。君をひとりにしないって」

「そんなの勝手だわ」


私が戸惑いに眉根を寄せてみせても、彼は決して引き下がらなかった。


「1年――それだけでもいい。にとっては、まず試すことが肝心だから。

 ポートスティーヴンスは素晴らしいところだよ。

 でも、世界を見ることは決して罪じゃない。

 もっとずっと心地のいい形があるかもしれない。

 おじいさんはそうあってほしいと僕にいつも言っていた。

 だから僕は新しく始まる次の世界に、君を連れて行く。

 でもそれらは唐突なサプライズに見えても、同じ線の上で起こることなんだよ。

 物事はすべて繋がっているんだ。

 まだ、ただの子供だったと僕が出会って、

 こんな歳になるまで縁が切れないことも含めてね。

 君は僕の一番の親友で、家族で、他の何とも比べられない、

 かけがえのない人なんだから」


涙が止まらなかった。

朝日を受けてキラキラと乱反射する海の光が、

目にチカチカと刺さったせいなら良かったのに。


「わたし、付いて行ってもきっと、マークのようには振る舞えないわ」

「必要ない。がしたいことを、したいようにすればいい」


彼の手が確信を持って、私の手を力強く握りしめる。

他の誰でもない、彼にしか与えられない安堵をもたらす力だ。


「……スイスの山にも登れるかしら」

「僕がトレーニングするよ」


鼻で笑われるかと思ったのに、彼は愛しげに微笑んでいた。


「一歩踏み出すことが、こんなに怖いことだなんて知らなかった」

「そりゃそうさ。

 僕らはこんなに長い付き合いなのに、

 2人でじっくり何かをするのは初めてなんだから」


彼も私も、こうして背負うものに、なにか一つの区切りが重なる時を

ずっと待っていたのかもしれない。

そんな気がした。

今まで抱えた荷物は、責任を持って届けきったのだから。

次に背負う荷を選ぶときくらい、2人で肩を並べて選んでもよいのではないか。

違う世界に生きながら、同じ靴を履くこともできるし、同じものを見ることもできる。

それが人生という私の美しい海であり、彼のサーキットなのだと思った。

彼が私に見せたかった《外の世界》がどんなものなのか。

祖父を喪った今、彼が何が言いたいのかもよく理解る。

この土地に縛られることと、自ら選んで戻ってくることは違うのだ。

――彼や祖父は、私からそれらを奪いたかったんじゃない。

同じものを違った角度から眺める喜びを、私に教えたいだけなのだ。

それを理解するのに、こんなにも時間が掛かってしまうだなんて。


「マーク、ごめんなさい。多分わたし、あなたを少し誤解してた」


彼は私を見つめ微笑み、やんわりと首を振った。


「僕も同じだ。

 心が軽くなって、ようやく気が付いた」


彼は顔を寄せると、祝福するように頬にキスを落とす。


「変わらないものがここにはたくさんある。

 おじいさんとが、守り続けたからだ。

 いつだってそれが僕を励ましてくれた」









私は彼が世界のどんなところへ行って、どんな栄光を得ようとも、

例えば仮に、自分の立っている場所が解らなくなってしまったとしても、

いつまでも彼の帰り着く家となることを誓おう。

それは彼をどんな世界からも守り、たった一晩だけでも安息の眠りが得られる場所。

――あなたとわたしは、違う人間。

だからこそ、こんなにも強く、惹かれ合う。




















































―――――――――――――――――

新シーズン始まりますが、彼がもういないだなんて信じられず。

なんとはなしに持て余したこの気持ちをぶちまけてしまいました。すんません。

希望としてはイギリス・サウサンプトンの海洋研究所とかハワイとか

オーストラリアの地元の海とかを飛び回っていたらいいのに、くらいの。

好きな曲聞きながら書きましたので、タイトルはまんま。

書き終えて罪悪感てんこ盛りですが…通常運転ということで…

はあ〜…マーク…。

20140303 呱々音