あの頃───!

そうあの頃が一番幸せだった!

燦然と咲き誇る冬薔薇の香のように、一縷にきらめく、素晴らしい瞬間を、

私は───私たちは謳歌していたのだ。

運命という糸に絡めとられ、操られ、決して逃げる事などかなわない。

私たちの宿命は決まっていた。

生まれ落ちたときからずっと。

記憶など持たないうちから、定められていた。

物心ついたときから、彼は“死”で、私は“闇”だった。







“死”の化身であるその子は“トート”と呼ばれていた。

その死を包むように存在する“闇”は、“”と呼ばれた。

ふたりはいつも一緒だった。







ほの暗い世界に、たったふたりきりだった。

互いが己の片割であり、心の伴侶であり、最愛だった。

死と闇は寄り添い、どちらかが欠けても成り立たない。

闇の中に死は在り、死の先に闇があった。

はその肉体の豊かな胸の中に、広い宇宙と同等の“命”を抱いていた。

人間の数だけ、の胸の闇に、光がともっていた。

それはまるで凍える星々のように、儚くきらめき、美しかった。

トートは幼いころから、が胸に抱くこの星々が大好きだった。

物心つく頃には、ひどく心焦がれるようになり、それは死の存在理由そのものとなった。

の抱く幾千万もの星々の中から、彼は選び取り、運命を説き、

人間というちっぽけな存在に命の終焉を与え弄んだ。





の白い胸の更に奥に眠るそれらを取り出す行為は、

いつしかふたりの肉体が交わることで遂げられていた。

高揚と興奮に浮かされながら、いつからそうしていたかわからなくなるほどに、

死と闇の熱に激しく溺れた。

───彼らは知らなかったのだ。

トートとは、互いの存在を唯一無二と信じていた。

それは何があっても揺るがない真実であったが、だが、しかし、それは───。

ただならぬ関係───真実はかくも残酷であった。

なんという悲劇。

彼女に微笑みかけてくれたはずの笑顔を奪い、自由さえも燃やし尽くし、

愛しい者どもを殲滅する運命は、知る由もなくずっとずっと遠い昔からの約束だったのだ。

嗚呼。

仲睦まじく愛し合う死と闇の出生の発端は───同じ存在の腹から産まれたことだった。

なんという悲劇。

なんという喜劇。

トートは動揺と言い知れぬ怒りに青褪め震えた。

最愛を、奪われた。

耐えかねた死は、やり場のない憎しみと呪いをへ向けた。

は虐げられ、責められ、背筋も凍るほどの美貌までもが、

死を司る帝王を脅かす魔性の毒だと罵られた。

あんなにも愛し合った日々は遠い過去になってしまった。

それでも死は闇を、絶対に離しはしない。


「───なぜだかわかるか?」


その長い指で、の髪をひとふさ手繰ると、そっと唇をあてがう。

無知でいられた頃が、身を焦がし尽くされるほど懐かしいのは確かなのだ。

とて、できることなら何も知らず、

ただトートと夢中で愛を交わしていた頃に戻りたかった。

だがそれは叶わない。

抱けない片割れを、引き寄せたり、突き放したりしながら、

死の苦しみはどんどん増してゆく。

自分の運命を狂わせた姿も知らない産み親の身代わりとして、飼い殺すだろう。

闇の力を禁じ、愛す代わりに呪うのだ。

死がなければ闇も無く、闇が無ければ死も存在しないのだから。







闇はいつしか死の目を盗んで、彼女の中で息づく星々と会話するようになった。

そうすることでいつしかどうしようもない孤独が

ほんの少し慰められることに気がついたからだ。

ある日、いつものように気配を胸に投じて、

人の命をまとって輝く星々と対話を試みていると、

光らない星があることに気がついた。

星は弱っているわけでも、命を失ったわけでもないようだった。

ただ“光らない”のだ。

はそれが、なぜだかひどく気になった。

そんな星を見つけたのは初めてだった。

話かけてみたい、と思った。

は一層深く自分の胸の闇に意識を沈めてゆく。






そこにいたのは───。

まるで闇と同化するように光らずうずくまっている、黒い星。

ほかのどの星とも違う、異質な星。

は黒い星に寄り添って、声を掛けた。


「あなたは、だあれ?」


光らない星は、震えている。

怯えているのだろう。

はそっと震える黒星をだきしめた。


「大丈夫よ。もう、怖いことなんて無いわ。

 わたしが守ってあげる」


星は、震えることをやめた。

ぽろぽろと墨のような雫をこぼして泣いていた。

安心したのか、うっすらその命の輪郭が手に伝わる。

黒い命は───星は、まだ小さな子供だった。


「わたしは。あなたを守る、闇よ。

 黒い星の子ども、あなたのお名前は?」


星はもわもわと動き、ほんのりと熱を持った。


「…僕はルイジ」









こうしてはルイジ・ルキーニに出会った。

どちらも孤独だった。

は最愛のトートに拒絶され、だが執拗に監視されていた。

闇を捨てるほどの勇気が、死には無かったのだ。

愛していた分、闇を呪うことが、今のトートには必要だった。

だから闇は、この胸で眠る臆病で寂しがりやのどれとも違う黒い星を、

心の拠り所にしてかわいがった。

夜が深け、闇が訪れれば、ルキーニの夢の中で会えた。

慰め、かわいがり、抱きしめ、なんでも話を聞いた。


「愛しているわ。わたしの愛しいお星さま」


ルキーニの生い立ちは本当に孤独に満ちていた。

貧しく、親に身捨てられ、10に満たない頃から低賃金で、朝から晩まで働いた。

耐えられたのは、毎夜夢の中で会える存在がいたからだ。

闇はあたたかく、眠っているときには心を満たし、自由だった。




「そういうことか!!!」




突然、は意識を引き戻される。

(しまった───…!)

そう思った時にはもう遅かった。

トートはの腕を凄まじい力で捻りあげ、瞑想の闇から引きずり戻した。

咄嗟の出来事に、はまだその腕に光らない黒い星を抱いていた。

死は怒りに頬を引き攣らせ、怒号を浴びせる。


「お前はどこまで俺を侮辱すれば満足するんだ!!!」


闇は強く突き飛ばされながらも、黒い星を胸に抱きしめて守った。

もちろんそんな姿がトートの気に触らないわけがない。


「なんだその醜らしい汚物は」

「汚物じゃないわ。わたしの大切な星よ」

「星───だと?それが?ハハハハ!」

「他にはないの。特別なの」

「黙れ!光らぬ星など俺は認めない。そんなもの、星とは呼ばない」

「やめて!!!」


トートがの手から星を奪い取る。

光らない真っ黒な星を、は見たこともない形相で取り戻そうと立ち向かってくる。

トートはをいとも容易く押し倒し、組み敷く。

星にも見えない無様なそれをじっと見つめている。


「星よ。姿を見せろ。さもないとお前を殺し、も死ぬぞ」







黒い星は───人間の姿を現した。

蒼白の顔面は、立派な青年の面持ちをしている。

トートは一瞬動きを止めたが、自分の思いつきに破顔した。

耳を澄ませるようにすると、闇の心の声が以心伝心と聞こえる。

動揺して、心を閉せなくなっている証拠だ。


「───いいだろう。きっと面白いことになる。

 ああ───ルキーニ。お前の望みはなんだ?」

「わ───わたしは、」


ルキーニは一生懸命に喉を震わせ、なんとか声を出した。


と一緒になりたい」


死は───トートは、狂ったように笑った。

この愚かな男はわかっていないのだ。

といっしょ?

それは死から闇を奪うということか?

闇に惚れたか。

人間ごときが、笑わせる。


「良かろう。では、ルキーニ。今日からお前の運命は俺に従うのだ。

 一番忠実な俺の側近となって、

 俺を支えなければならない。

 死の手先となり、死の意志によって動くがいい。

 そうして、すべて完璧にやり遂げることができたなら、

 お前が最愛の闇と添い遂げることを許可してやろう」











ルキーニはトートの僕となった。

その忠誠心はすさまじく、トートもの最愛となったルキーニを、戒め、

配下に置き目に掛けてやることで、を苦しめた。

死の許可なくルキーニと会えなくなったは、毎日トートにその様子を聞いた。

トートにとってはおもしろくないが、人質を使うことでが従順に振る舞うことには満足していた。

そう───死は、と瓜二つ、まるで生き写しの容姿を持つ、

呪われた運命の一族の美貌の乙女、エリザベートに出会ってしまったのだ。

図らずも禁忌の愛に苦しんでいるのは、

死だけではないという事実が、彼をより満たし慰めた。

ルキーニを苦しみによって歓喜させ、興奮のうちに追いつめることで、

に復讐していた。

ほくそ笑むトートの腕に縋って、は泣いていた。


「トート、これ以上彼を苦しめないで」

「お前がそうやって懇願するのは、なかなか好い」


そう言って───をそっと抱きしめた。

は驚きに目を見開いた。

ああ───。

あの頃と同じ、抱きしめ方だ。

懐かしい、あの、幸せだった頃の───。

すべての悪夢や絶望から、お互いを守り合って、愛おしさに手を取り、

頬をくっ付けて同じものでいられた死と闇の愛の日々。


「トー、ト」

「…がエリザベートだったらよかったんだ」


は彼の背に手を添え、抱きしめ返した。

死と闇は、ずっと苦しんでいたのだ。

今も尚、無条件で愛している。


「私たちは、いっしょに苦しんでいるのね」

「誰にも渡さない」

「私も渡す気はないわ」


トートの腕に一層力がこめられる。


「そんなにあの出来損ないの星がいいか」

「いいわ。大切なの。あの人、とても孤独なの。

 あなたと同じくらい、愛しているわ。

 ───トートもそうでしょう?」


そっと顔を覗き込む。

死を司る黄泉の帝王は、少しいじけたような、恥ずかしそうな表情で、頷いた。


「エリザベートが迷い込んできた時、これが運命だとわかった」


は優しく微笑んだ。


「それでいいのよ、トート。

 これで私は、あなたのための闇でいられる」


闇は封じていた力を一気に解放した。

愛しい死と星のため、闇が悪夢のオペラを上演しよう。

とてつもない闇がまたたくまに広がっていく。

その闇がもしも本気を出せば、死をも凌駕する。

トートは悦びに震え、笑っている。


「ああ───!愛する人を今こそ迎えに行こう!」


悪夢に苛まれる皇帝。

死は闇のもたらす悪夢の中に降臨し、呪いと宿命の言葉を投げかけながら、

絶対的な声でルキーニの名を呼んだ。




「ルキーニ!早く取りに来い」




名を呼ばれた従順な僕は、待ち焦がれた渇望の瞬間に飛びつく。

ナイフのように研ぎ澄まされたヤスリが、その手で怪しく光っていた。

やることはわかっていた!





「偉大なる───愛のため!」


























この尋問はあれから100年間続いている。

100年間───毎日、毎日、あの愛しい人の記憶をなぞる。

ルキーニは眠れない。

のことを、愛を、想い出すことで、かろうじて正気を保っている。

この愛は不滅。

この愛は死なない。

この愛は、誰にも消せはしない。

あの方の言う通りにした。

自分はとても上手くやったはずだ。

だからいつか必ず救いの手は差し伸べられるはずだと信じている。

どうか早く!

この哀れな星にも、本当の“死”を───!


















闇の彼方へ───。

安らげる場所へ───。

一刻も早く、向かわなくては。

待っている。あのひとが、待っている。


















ルキーニの意識が戻った時には、そこはもう闇だった。

の姿を求めて、必死に名を叫び、探し回った。

──!



「落ち着け、ルキーニ」



振り向くとトートが立っていた。



「トート、閣下、」




「よくやった」




死は星に“赦し”を与えた。

光を持たない彷徨える星は、闇の世界を生き、

足枷を付けられたちっぽけな人間の世から解放された。

死は初めて、その手をルキーニの眼前に差し伸べた。


「随分と長く待たせてしまった」

「この時を…ずっと待ち侘びて、おりました」


ルキーニは泣き崩れた。


「お前は俺との約束を見事にやり遂げた。

 その代償として罰も受けた。

 ───望む場所へ連れて行こう」


手を取ると、吸い込まれるように闇が消えた。

真っ白な世界だ。

落ち着かない───だが、すべてが真っ白だ。

見たことのない世界。


「お前たちを祝福しよう」


ルキーニを見つめるトートの表情は満たされていた。

そうか、ここが───黄泉の世界なのだ。

ルキーニの眦から涙が伝う。




「ルイジ!!!」

…!!!」




闇も星も真っ白な衣に身を包んで、すべてが眩しくてあたたかい。

今までルキーニは、ずっと抱きしめ、守られてきた。

だがもう、違う。

ルキーニはその逞しい腕にの身体を力強く掻き抱く。

やっと会えた。

もう、二度と離してなるものか。

闇も死も、こんなにもあたたかい。

愛に満ちている。

恐る必要はないものなのだ。

星は闇に口付け、今度こそその成し遂げた想いを打ち明けた。






「Un grande amore.」








































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書き掛けだったお話をひっぱりだし、加筆修正の後、あげさせていただきました。

読む方の脳内でどの閣下になるのか、どのルキーニになるのか、楽しみがありますよね。

ところで「ルイジ」の愛称は「ジジ」なんだそうです。かわいいね。

ぜひ呼んであげてください。

20221110 呱々音