は眠るときカーテンを引かない。

朝日の眩しさに促されるまま目覚めたいからだ。

彼は違った。

分厚い遮光カーテンを慎重にも2枚しっかりと引いて、

快適な睡眠環境が無ければ駄目だった。

その上さらに頭まで布団にくるまって、さながらそれは彼を一定時間、

確実に守ってくれる繭のようだと彼女は予てから思っていた。

だから彼らはあまり同じ部屋では眠らない。

日照時間の少ない土地に育つ北欧人にとって、日光は何よりも大切だと。

――そう考えていたのだけれど。

少なくとも彼にはあまり適用されないのかもしれない。

健全な朝の太陽よりは、午後の穏やかな太陽、

そしてそれよりは日暮れの物悲しくも人の心を熱く打ちふるう太陽の方が似合う。

――それでも夜に勝るものはないが。

彼のオーダーする部屋は必ずそのホテルで一番高い部屋で、

バーレーンのようなリゾート地のホテルにおいては、概ねプライベートキッチンがある。

はいくら最高級と言われても、かしこまった王族を持て成すような迎賓的なスイートより、

バルコニーやキッチンが整った“住む”のに適したホテル部屋の方が好きだった。

そういうホテルに誘うと、がとても喜ぶのを彼は知っていた。

だからの意見を聞きもしないで、航空チケットをいつもより1枚余分に手配し、

そのことをフライト直前に知らされようが、彼女は慣れたものだった。

動じることなく荷造りをして、彼が差し出すチケットを受け取り、

その飛行機内で一番良い席に乗り込むだけだ。

ひと昔前なら苦情の申し立ては空港へ移動する車の中だった。

だがそのうち、その一連のやりとりが全く必要ないことに気がついた。

――信じないというのは、疲れるだけだ。

やかましくまくしたてても空気を悪くするだけなのだから。

彼は彼女のそういう飲み込みの早さが好きだった。
















は今日も太陽の光で目を覚ました。

一瞬、自宅の部屋とも錯覚したが、すぐに思い直し、大きく伸びをする。

ホテルのベッドは快適で、申し分なかった。

ガウンを羽織ってキッチンへ行くと、中央に設えられた大理石の調理テーブルに目をやり、

やはりいつものように置いてあった1枚のメモを確認する。

マークの指示が書いてあるからだ。

が同行するときは、ほとんどこういう《形式》になっている。

彼がの隣にいるのは本当に“一瞬”だから。

できるだけ介入をせずに済ませようというマークの提案だった。

まず兎にも角にも、彼が目覚めてから夜眠るまで常に口にすることになる

――多いときには7リットルにも及ぶ――マーク特製ドリンクの

最初の1000mlを、が用意する。

テレビはつけない。

メイヤー・ホーソーンやマット・ダスクの音楽が、少なくとも3曲あれば良い。

(カリウム、マグネシウム、カルシウム、ビタミン……)

マークによって細かに決められたレシピこそが、

彼の理想的なパフォーマンスをサポートする“スペシャルドリンク”となる。

それが済むと、今度は彼女のレシピの出番だった。

冷蔵庫から取り出したケールを素早くぬるま湯にくぐらせ、

常温のバナナと無加糖のドライフルーツを少し。

それらを硬水と一緒にミキサーにかける。

小さなグラスに注いで、残りはもう必要ないのでの朝食になる。

お気に入りの曲が終わる頃、はまるで暗室のような彼の寝室に向かう。

ノックは必要ないから、ただ出来るだけ静かに扉を開けて、

ほんの少しだけカーテンをずらし、彼の肩をそっと揺り動かしながら顔を覗き込む。


「すてきな朝よ。起きて」


それだけで起きないことも重々承知である。


「起きてちょうだい――キミ」


彼女が名前を呼ぶと、なぜか必ず彼は瞼をぴくりと動かす。

深い眠りの奥底から返事をするように。

昔からそうだった。

彼女にとって彼はとても遠い存在なのに、彼にとって彼女は近い存在。

早起きな彼女、朝は遅い彼。

まるで野ネズミのように目立たず行動する彼女と、どこへ行っても燦然と注目を集める彼。

相反する性質だと言うのは火を見るより明かなのに、彼はの人生から消えることは無い。

理屈では説明できない。

少なくとも彼と彼女にとって幼馴染みとはそういうものだった。


「今日もたくさんの人があなたを待ってる」

「……好きじゃない言葉だ」


薄い唇がもごもごと動いて反発する。


「そうね。でも効果はあったみたい」

「――


今度は瞼が薄く持ち上がり、ふたつの蒼い瞳が甘ったるく潤って彼女を見つめて捕まえる。


「名前、呼んで」


は彼の瞳を見つめたまま、何千回、何万回呼んできたその名を、口の中で転がした。


「……キミ」

「うん」

「キミ」


彼が身体を浮かし、彼女の唇には柔らかな感触が伝わる。

金色の睫毛が左頬をくすぐる。

胸には、言い表すことの決して叶わぬ安堵が波紋のように広がり、

彼女は甘んじて瞳を閉じた。
















特製ドリンクを飲みながら、彼は朝の身支度に取りかかる。

の作ったスムージーをウォッカのように一気に煽るのは彼の癖だ。

シャワーを浴びて、髭を剃って、またドリンクを飲む。

は真っ白なソファの上で足を組み、ただ彼を見守る。

マークのメモにあった時間を彼に伝え、5分前だと忠告する。

彼はスニーカーの紐を結びながらそこでいくつか会話する。


「今日は、来る?」

「ううん。買い物に行こうと思う」

「じゃあそれ終わったら、来て」

「なぜ」


は自分を守るように反射的に腕を組んだ。

光り輝く真っ赤なフォーミュラカーに乗る彼を見るのは好きだし、

なめらかに続く芸術的な形をしたサーキットはとても美しいものだと思う。

だが好奇の目が集まる場所は彼女がこの世で一番嫌いな場所だった。


「だって、」


彼は大きなサングラスを掛けながら、事も無げに言う。


「君の誕生日だ」


ツバのまっすぐな帽子を被り、サングラスで武装した彼は、

もうただの幼馴染みではない気がして、その度には何度だって心を無闇に乱されるのだ。

部屋の呼び鈴が鳴る。

が裸足でドアに駆け寄り、覗き穴を確認すると、やはり。マークだ。

マークが来たことを伝えようと振り返ると、彼はもう背後に立っていた。

彼女の小さな手がチェーンロックを外そうとするのを、

覆い被さるように大きな手がやんわりと代わる。

だが彼は確実に、彼女の耳元に伝言を残した。


「待ってるから」


閉じるドアの隙間からマークが手を振ってくれたのに、

はあまり上手く手を振り返せなかった。

――いつだってそうだ。

彼は決して、彼女に「いってきます」とは言わないのだ。




















































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Happy Birthday!!ナオさん!!

愛を込めて!

20140226 呱々音