私とあなたを繋ぐものの正体が未だ解らない。

恋、愛、そんな禍々しいものが男女の間を通り過ぎなければ

人は一緒にいられぬというの。

そんものを私は信じない。

信じたらきっと私たちは一緒にいられない。





















稀な事だ。

忍の休暇がかぶる事など、ついぞ無い。

(これはきっと上司からのご褒美なのかもしれない)

ハヤテはまだシーツの海で夢を見ている。

寝汗はかいていないから、きっと善い夢を見ているのであろう。

それもそうだ…だって空はこんなに澄んでいて、

開け放った木枠の窓からは、狂い咲いた桜の花弁が、雪が如く降り注ぐのが見える。

薄桃色の雪はやんわり、さらさらと部屋にまで舞い落ちる。

それは寝息を立てる彼の上にも、甘く降り掛かる。

私はそんな春の一瞬を見て、感じて、ひっそりと笑う。

(生きているとはこういう事だ)

遠慮もなしに、この視線はじっとハヤテを眺めている。

それでも彼は瞼を固く閉じて、平素珍しいくらい健やかな寝息を立てていた。

私は自分の足下に転がっている猫を持ち上げた。

その動物の毛はやわらかく、身体はしなやかで、色は黒檀、目は宝石。

猫はワーっと小さく鳴いた。

(ニャーって鳴かないの?)

春のまどろみに猫はくたくたと為されるままだったので、

従順に言う事をきく二本の長い腕を両手に納めると、

猫の小さな掌を、ひたり、ぺとり、とハヤテの頬に当てた。

昏睡していたそれは、微かに目を瞑り、そして薄く開けた。


「……………おはようございます」


第一声、ハヤテはハヤテらしく律儀に挨拶をした。

生憎ハヤテという人は、物事に動じたり咎めたりするような性質を持ち合わせていない。

死人みたいに色の白い腕を持ち上げ、掌をそっと猫の額に宛てがった。


「……ねこ…」

「さっき拾ったの」

「そうですか……ねこさんおはようございます」


喉を鳴らして満ち足りている猫の身体を少し前屈みにさせて、

私は「おはようございます」と裏声を出した。


「……今何時ですか」

「昼をまわった頃ね」


ハヤテはもそもそと起き上がる。

ぼうとしているが、早朝でもないし今日はとても温暖だから、

開け放った窓から香る風を、すんと肺に吸い込んで、誰にも悟られぬくらい微かに笑った。

私が手の力を抜けば、猫はハヤテの体温の残る場所にまるくなって目を瞑った。

お寝坊さんのために私はとりあえず白湯を注いだ。


「はい、薬」

「どうも、」


飲み下す錠剤は、ハヤテの一部になるのだ。

ハヤテという物体に取り込まれ、循環し、生息する。

そんな事を考えながら、あるいは錠剤に嫉妬しながら、上下する喉元を凝視した。

昨夜、眠りにつく前、最後にハヤテが漏らした言葉は

「明日の朝食はホットケーキ食べたいです」だった。

(お米じゃないなんて。珍しいこともあるものね)

私はその一言が寝ている間も忘れられなくて、そわそわしながらホットケーキを焼く自分を

何度も何度も思い浮かべながら、寝返りを打ってはそっと笑いを堪えていたのだ。

白湯を胃におさめたハヤテの前に登場したのは、山と積まれたホットケーキ。

白い皿、ジャム、温めたはちみつ牛乳、茹でたブロッコリー。


「手でいいですか」

「いいと思うわ」

「いただきます」

「いただきます」


私たちは向かい合ってもそもそと租借を始める。


「……名前、なんですか」


ハヤテはマットレスの上でおはぎのような黒い塊に変身した猫を見ながら言った。


「ハヤテ」

「……まぎらわしく、ないですか」


花弁は部屋へ吹き込んで。


「あなたが死んだら淋しいじゃない」


私は、性悪だ。

だけどもハヤテという人は、伏せた睫毛を責めるような真似は、決してしないから。

ハヤテはコホンと小さく咳払いをした。


「…ではもしが死んだら、」


ハヤテはそっと手を伸ばして、パンケーキを皿にとる。


「私はいったい誰の名前を呼べばいいんですか」


嗚呼私は、とんでもない事を仕掛けてしまったのだと悟った。

これは毒を注ぐような真似だ。

子供じみていて、愚かで、思いやりのない、行為。

方法ならいくらでもあるというのに、

それでもそんなやり方ばかり選んでしまう私は馬鹿だ。

これならなじってやる方がまだマシだろうに!

すると急に、油っぽくなった指先が厭わしく思えてならなかった。

(手で直接なんて食べなければ良かった)

ハヤテがおもむろに、私の手首を優しく拘束し、紙ナフキンで指先を拭った。

それはまるで母親が子に施すそれのように、

自然で、愛しくて、慈しみの込められた行為であった。

(私たちが一緒にいる意味はずっとこうしてここにあったんじゃないの)


「……ハヤテ、」

「はい」

「ごめんね」

。一度しか言わないのでよく聞いてください」


俯く私の頭に、ハヤテは先刻猫に押し当てた少し冷たい掌を優しく添えた。


「私の卑小な人生の中で、こんなにも自分の名を呼んでいて欲しいと願ったのは、あなただけです」


桜、絢爛の季節に、私は猫を拾った。

そして同居人は……。

同居人は、今、この瞬間私の、最愛の人に、なってしまった。


































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桐村京汰へ。

リクエストをほんとうにどうもありがとう!

ポイントを押さえるのが上手なハヤテ希望で書かせて頂きました(笑)

宅様のハヤテに敵うわけがございませぬ。

お粗末様でございます。

20100401 呱々音