「…………なんでアンタがここにいるのよ」
にっこり笑って「おはようダーリン」と甘い声を出した。 先に言っておこう。 私に恋人はいない。ましてやルームメイトもいない。 だが運の悪い事に――質の悪い幼なじみがいた。 それが今、この瞬間に、私のベッドに潜り込んで寝ているなんて――!
私は自分のために熱い紅茶を淹れ、一週間分のご褒美としてディオールの美顔パックを選択。 ラベンダーにするか少し迷ったがグレープフルーツのアロマを焚いて好きな本を少し読み、 いつものように安息の眠りについた――はずだったのに。 目覚めてみれば隣には幼なじみの“男”が寝ている有様である。 嗚呼!しかも全裸で!――と、普通の女ならここで取り乱して叫び出し、 頬に一発赤い手形を残してやったりするのだろう。 だが、生憎それはさしたる問題ではない。いつもの事だ。 女性の家に上がり込んでいる身分だとしても、 彼は全裸で家の中を歩き回る――そういう男である。
「何を?」 「爽やかな朝を」 「……」 「最低の日曜日だわ」 「…」 「…何よ」 「ごめん」
私は昔から彼のコレに弱い。 子犬のように眉を垂らして、しっとりとつぶらな瞳で見つめながら、甘い声。 なんだかひとりで怒っているのも馬鹿らしくなって来る。 浅く溜息を吐いた時には、私の心は彼を許す事を決めていた。
「つい4時間くらい前かな。 1時間後にはここに着いて、さらにその10分後には君の隣に寝てた」 「イームス。アナタ他に帰る場所はないの?」 「それは恋人ってことかな」 「ええそうよ、恋人。 数ヶ月ぶりに帰って来たかと思えば何?幼馴染みの家に直行?」
――悔しいけど認める。 タータンチェックのボクサーに包まれた彼のヒップが可愛いのは事実だ。
ペキペキとキャップを開封し美味しそうに飲み下した。
ボトルをサイドテーブルに置くと、私に詰め寄るようにしてベッドに深く座った。 スプリングがぎしり、と音を立てる。
なあ…機嫌直してこっち向いてくれよダーリン」
子供扱いされた気分にならないから不思議。
はさっき俺に帰る場所は?って聞いたな――ここだよ」
今までも、そしてこれからも変わらずね。 …だからあんまりいじめないでくれ」
子供の頃はそれが大嫌いだった。 私に備わっていない、何か特別で素晴らしい物を持っている気がして、 嫉妬していたんだと思う。 でも本当は違う――彼の笑みが好きだ。
少しでも魅力的に見えるようにと背伸びして履いた、慣れないピンヒール。 ダンスのステップを踏み損なって、私は足を滑らせフローリングとキス。 彼と友人たちは笑っていた――私はとにかく恥ずかしくて、あわてて外へ飛び出した。 ガレージの横に隠れるように踞って、必死に涙を拭っていると――。 ふと肩に温もりを感じた。 顔を上げるとイームスが心配そうに顔を覗き込んでいた。 ――冷えた肩に掛けられたのが彼のジャケットだった事にようやく気付く。 私が何か言いかける前に、イームスはとても優しく微笑み「帰ろう」と手を差し出してくれた。 イームスにも同様にお目当ての、そして充分脈のある女の子が居た事を私は知っていた。 でもイームスはその彼女をお預けにして、何も言わず私の手を引いた。 ピンヒールを脱がせると、自分の靴を私に履かせて、彼は石畳の上を靴下で歩いた。 今度はぶかぶかの靴で私が転ばないように、ゆっくり。ゆっくりと。
イームスの笑顔が私の中で何か特別な印になっているのは確かだ。 私はずっと彼の事を腐れ縁だとか幼馴染みだとか、世間的な認識で括って、 彼の誠実な心を遠ざけて来たんだ。 あるいは気付かないようにしてきた、とか。きっとそんな所だ。 私の心の中にイームスを異性として受け入れるのは、 青臭くてありきたりで手近でコンパクトな関係になることだとずっと思って来た。 彼には特別で居て欲しい――ずっとずっと、特別で居て欲しい。
イームスにしか囁けない言葉。 イームスにしか浮かべられない笑み。
「ただいま」
まるで10年も20年も逢えなかった恋人に触れるみたいにして、 なにか特別な躊躇いと安堵を浮かべながら――。 イームスにしか与える事の叶わない、 特別なキスをくれた。
イームス先生のオアシスなんだと思いますよ。
帰って来て家族より先に逢いたくなっちゃってる自分に
そろそろ我慢の限界を実感しているイームスのイメージ。
20120503 呱々音
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