書き綴るのは困難だ。

彼女との出会いを、私がどう表現しようが、どれも輝きに欠けるし適切には程遠い。

だがしかし、確実に言えることは、

あの出会いはこの世のすべての幸福の集約と言っても過言ではないし、

私の人生のクライマックスだった。

決して誰にも侵されることのない権利を勝ち得るためなら、

私は喜んで愛のしもべになろうと思った。

らしくない話?――最もだ。

私は科学者で、研究者だ。

だが残念なことに科学者や研究者は大概、ロマンチストな生き物だ。































私のように人生の輝かしい時にハンディを追った人間は、

外傷よりも精神的な面で立ち直ることがとても困難だ。

右腕を失ったという事実を受け入れるのは、容易なことではない――。

さらに長年ともに研究に取り組んできたリチャード・パーカーが疾走してからと言うもの、

私の生活はすさみ、とても誇れるようなものではなかった。

妻は献身的に支えてくれようとしたが、なぜか私は拒み続けた。

それでも5年が経つ頃には、妻は子供を身ごもった。

これをきっかけに――私たち夫婦はどちらもそう考えた。

妻の努力のおかげで、息子は心優しく賢い子に育った。

私が子育ての歓びに心の底から打ち込めていれば、救いの道も在り得ただろうが、

愛してはいたし可愛いとも思うが、どうしても育てるという行為に抵抗を覚え、

魅力を感じなくなっていた。

それでなくとも、まともに研究結果も出せない私が、見本たる父をかたるなど――。

私には耐えられなかった。

失った片腕を取り戻したい――その願いだけで私はなんとかオズコープ社に通い続け、

がむしゃらに研究に打ち込み、より一層家庭を顧みなくなった。

私はもともと夫や父親には向いていない質なのだ。

努めて「父親らしく」在ろうとしてきたくらいだから、

リチャード・パーカーのように自然に子供を愛し、

父親らしく振舞える人間を心底羨ましく思ったものだ。

だが犠牲の甲斐あってと言うべきか、時の流れとともに研究成果が世に認められ始め、

私はハペトロジーの権威として名を馳せ、

オズコープ社が誇る優秀な科学者という評価を手に入れた。

15年前、リチャードと私が発表した研究結果は、

学会でも社内でも極めて異端的と見なされ

“マッド・サイエンティスト”と呼ばれて追いやられた。笑い者にもなった。

私にしてみれば、肩身の狭い思いを強いられてきたとても長い15年だった。

やっと苦労が報われた――妻が離婚の申し出をしてきたのは、そう思った矢先の出来事だった。

不謹慎にも、打ち明けられた瞬間の私はなにも感じなかった。

哀しみも、同情も、怒りも存在しなかった。

愛していたのかさえ、もうはっきりとは思い出せなくなっていた。

ただ妻には深く感謝していた。

妻には私に捧げてくれた時間を取り戻す権利があると、心密かに思ってきたからだ。

もうすぐ8歳になる息子のことだけは、さすがの私でも気にかかったが、

妻は息子のためにも円満な距離のとり方を提案してくれた。

私が研究だけではとても食べていけない時から、

妻には家族を支えられるほど充分な稼ぎがあったし、

いわゆるセレブ御用達の弁護士として、私などよりはるかに成功していた。

多くの離婚問題を請け負ってきた彼女は――彼女には慰謝料を請求する権利も

充分すぎるほどあったはずなのに――そんな別れ方を望まないと言って放棄した。

私と妻はこの件に関しては、何より息子を中心に考えることでは同意見で、

一週間ごとに互いの家を行き来させることにした。

とは言え、ふたりとも忙しい身の上だから、その方が都合が良かったせいもある。

新築したばかりの真新しい家から妻は出てゆき、

職場にほど近い五番街のマンションへ移って行った。

人のいなくなった家で私が最初に感じたのは安堵だった。

妻がいようが、子供ができようが、私は自分がずっと孤独を感じて生きてきたのだと知った。

そしてそんな自分を恥じ、失った右腕を抱えて泣いた。

この腕を受け入れては拒みを繰り返す。

私に残されたものは、やはり研究しかないのだ。

私が欲しいものは、平穏な家庭ではない。

――成果がほしい。結果がほしい。腕がほしい。

置いて行かれることには慣れている。

無いはずの腕がうずいて、私は言い知れぬ罪悪感に駆られていた。































息子がいる週は、朝食を食べさせ身支度をしっかりと整えてやる。

昼食は私の手作りで――もちろん簡単なものだが――息子はこれを思いの外、喜んでくれる。

スクールバスに乗せるまでが朝の仕事だ。

仕事中はシッターに任せ、帰宅すると宿題をみてやる。

この生活スタイルは存外早く定着したように思う。

ひとりで眠れる子だし、頭も悪くない。

自慢というより、尊敬すべき存在とでも言うべきか――、

親の問題に巻き込まれたこの子には申し訳ないという気持ちが、私に父親らしさを与えていた。

ある朝、私が息子の要望でパンケーキを作っているとき、一本の電話が掛かって来た。

息子が慣れた調子で私の右肩に携帯電話をはさむ。

口の動きだけで「誰?」と聞くと、息子は恥ずかしそうに「おばあちゃんから」と言った。

私は器用にパンケーキを皿に盛りつけながら、

声の調子を意識して電話の向こうの母親に朝の挨拶を述べた。

話は予想通り、離婚後の孫の心配と、クリスマス休暇の予定云々。

母が忙しい朝に電話をかけてくるのはいつものことだったから、

私はもうとっくに諦めて咎めたりしなくなっていた。

あいにく25日は帰れそうにない。

オズコープで資金集めのパーティーがあるから、とだけ伝えた。

私の意志なんか関係なく、出席が義務であることくらい母にだって解るはずだ。

幸いその週、息子は妻が預かる予定になっていたし、

正直実家に帰らなくて済むのなら、私は何度だってパーティーに参加したい気分だった。

 





























オズコープ社には大規模な式典やパーティーを催すことの出来るフロアがある。

この最先端の建物には社のすべての力を注いてあると言っても過言ではないだろう。

そんな仕掛けと技術を散りばめたパーティー会場で、

私は株主や出席者たちの取りたくもない機嫌を取り、

あるいは同じように名を馳せた旧友の自慢話と握手を交わし、

少し温くなったシャンパンを機械的に口に運び続けた。

――実家へ帰るのもひどいが、こちらも充分ひどいものだ。

声を掛けられて愛想のよい笑みを意識して振り返ると、

研究チーム人事担当のエレノアが同じように愛想のよい笑みを返してきたが、

私などより何倍も魅力的な笑顔だった。

エレノアは人当たりの良さに定評がある。

しっかりめかしこんだ彼女は、私に事務的な話をしてもいいかと許可を求め、

私はもちろん喜んでと言ってシャンパンを口に運んだ。


「先日お話していた新しいアシスタントの件ですが」


ちょうど後任アシスタントの募集を掛けようとしていた私のもとに、

イギリス時代以来の信頼している人物リチャード・ナイトから、人材の推薦があった。

私は2,3簡単な質問をしただけで

――それも専門と人柄というざっくりとしたものだったが――

顔も知らないという人物の採用を決めたのだった。

もちろん推薦した張本人であるリチャードは、

履歴書のファイルを送るから答えはそれからでも構わないと言っていたが、

彼が満足している人物なら私に不満はないだろうと確信していたし、

人事のエレノアにでも送っておいてくれと伝えて、

後のことはすっかりエレノアに任せてしまったのだった。

だから私はてっきり、そのアシスタントがいつから勤務だとか、

そういう事に関しての報告かと思った。

しかしエレノアは得意の笑みでやんわりと言った。


「実はナイト氏に固く口止めされていて、お伝えできなかったことがあるんです」

「全く…そんなことだろうと思ったよ――彼らしい」


悪戯好きの友人というのも考えものだな、と私は苦笑した。


「それで――後任のミズ・が今夜パーティーにいらしてるんです。

 と言っても、私も先ほど挨拶したばかりですが。

 でもきっと気に入りますよ。保証します」


エレノアがちょうどフロアの反対側のバーカウンターの影から、

人ごみをかき分けるようにして連れてきたその女性を見たとき、

リチャードやエレノアが言っていた言葉の意味がはっきりと理解できた。

――時が止まってしまった。

それはとても怖ろしいことのはずなのに、私にとっては

朝露の一滴のごとく甘やいだキスのように幸福と歓びに満ちた、永遠の一瞬に思えた。

決して派手ではなく、だが非常に整った美しい顔立ち。慎ましやかで品の良い唇。

すっぽりと覆われた柔らかなドレスからするりと伸びる腕は月のようにしなやかで、

こちらに向かって微笑む彼女はまさに可憐としか言いようがなかった。


「はじめまして、ドクター・コナーズ。

 です。ドクター・ナイトからいつもあなたのお話を聞いていました。

 お会いできるなんて夢のようです」


私たちは見つめあったまま、しっかりと左手で握手を結び、

なんとか咄嗟に微笑むことで場をつないだ。


「――あいにくだが、会えただけじゃすまないよ。

 君はここで働くことになっているんだからね。

 私のアシスタントだ。かわいそうに」


するとエレノアとは声を出して笑った。


「ではドクター・コナーズ。私は失礼します。

 ミズ・のエスコートはお任せしますね」


エレノアは愉快しそうに軽く目配せをよこすと、

一頭の優雅なクロヒョウのように私たちの視界から消えてしまった。

は彼女の目配せには気付いていないようで、

か細い指先でシャンパングラスを掲げると、私のグラスにそっと打ち付けた。


「尊敬するあなたと、かわいそうな私に」


魅力的な彼女の笑顔に、私が目を奪われながら狼狽えたことは言うまでもないだろう。

そこからは仕事上の役割を一切排除して、

互いの興味と情熱を傾ける研究テーマについて、ひたすら話をした。

普通の男女なら退屈極まりない話題と言えるだろう。

だが私たちにとって、それはこの上なく愉快で有意義な時間に違いなかった。

実際、彼女がラボに出勤するのを待って仕事ぶりをチェックする必要もないだろうことは、

火を見るより明らかだ。

目の前に立って私を見つめて彼女がまばたきをするたび、

まなじりから星屑が零れ落ちるようで、なんだか無性に泣きたい気持ちになった。

私は生まれて初めて、人が恋に落ちる音を聴いた。































腕を失ってから、私は生きていなかった。

色を持つ世界はたちまち褪せて冷たくなり、私の心も腕とともに半分死んだ。

だから残った心をすべて傾けて研究に打ち込むことしか、生きている意味を実感できなかった。

しかしがいとも容易く私の世界を蘇らせてしまった。

無限の絵具を手渡し、埃のかかったつまらない額縁から開放してくれた。

キャンパスは無限に広がり、自由は境界線をひと跨ぎするだけで得られるのだと教えてくれる。

ラボ以外の場所で会う約束を取り付けるのにも、時間はかからなかった。

柄にもなく洒落たレストランに予約を入れて、

女性に贈るために花束を買うなんて私の片腕で数えても足りぬくらい昔のことだった。

てっきり笑われるかと思ったのに、は花束に鼻先をうずめ、泣きそうな顔で笑った。

――嬉しい。

そう言ってくれた彼女の唇を、私は奪わずにはいられなかった。











ディナーの席で私は、なぜ別れた今も指輪を外さないのか――その理由をに打ち明けた。


「息子のためなんだ――妻と決めた。

 あの子に過度な不安を与えないために、

 誰か特別な人ができるまでは、この指輪をつけ続けようってね。

 息子はまだ、私たちが別々の所で暮らしているだけだと思ってるんだ。

 離婚したことはもちろん打ち明けたよ。

 でもそれは一緒にいられないだけで、

 いつか終わると信じているんじゃないかと私は思う」

「優しい子だわ」

「今の話からそんな風に捉える人は珍しい」


私たちは手をとりあって、テーブル越しに見つめ合った。


「妻には良い人ができたらしい。息子から聞いたよ」


落とされた照明と、テーブルに置かれた無数のキャンドルが溶け合って、

幻想的な空間が私たちを支配する。

私はワインをひとくち含む。

ずっと心に決めていたことを、口にする。


にこの指輪を取って欲しいんだ。

 片棒を担がせるみたいで頼みにくいんだが、これを外せるとしたら君しかいない」


は優しく微笑む。

そしてやわらかく首を振った。


「これは息子さんにとって、ふたりが夫婦ってことを示す物じゃないわ。

 あなたが自分の父親だって印なの。

 だから…まだしていて。指輪があろうとなかろうと。私は気にしない。

 全部含めてカートなんだから。

 息子さんとちゃんと話し合って、理解が得られるまでは…どうか外さないで」


最後の方はまるで搾り出すようだった。

それは苦い過去を意味し、息子と彼女の生い立ちを重ねた結果なのか――。

の手を力強く握りこみ、私は指輪を外さないことを誓った。





















彼女を自宅に迎え入れるなり、私たちはもつれるように抱き合った。

今夜は息子がいないから、場所はどこでも良かった。

まるで本能に従順な獣のように、舌を絡め、求め、欲するままに互いの腰を打ち付ける。

これは相手を支配するのではなく、すべてを捧げる行為だ。

私たちの認識はきっと相違ないはずだ。

彼女に触れるたび悦びに咽ぶ官能の声がしきりに私の名を呼び、酔わせてしまう。

――それは魂の片割れの名前に違いない。





















「なに笑ってるの?」

「いや…こんなこと思ったのも考えたのも初めてだけどね。

 君と居るとまるで――18世紀の貴族になった気分だよ」


が首をかしげる。


「優雅でリッチな気持ちになる」


息子との相性も悪くなかった。

その証拠に、最近ではこのようにが家に泊まることも、

息子自ら懇願するまでになっていた。

キッチンカウンターに父子仲良く並んで、

の作ったパンケーキが皿の上に乗せられるのを待っている。

息子は彼女の作るパンケーキがいたくお気に入りで、絶対に残すような真似はしなかったし、

なんなら私の分まで食べてしまいそうな勢いだ。

彼のやわらかな頬にがキスをすると、幸せそうな笑顔で学校へ出かけていく。

週末彼女が家にいると、朝から晩までくっついて

私たち3人はとりとめもない様々な遊びに夢中になった。

息子が私の家に居たがるようになるのも時間の問題だった。

それは一重にが理由というわけでもなく、

母親の恋人とうまくいっていないであろうことは容易に察しが付く。

無理強いするのも酷な話だからと、は言う。

だが妻が息子を愛しているのもまた事実だから、

どうやら妻は息子が来る日にはなるべく恋人を遠ざけて努力しているらしかった。

自宅のリビングには私と息子との写真が次第に増えてゆき、

ついにはにここに住むよう頼んでくれと、口癖にように私に訴えるようになった。

私とてが側に居てくれたらどれだけ幸せか――そのことばかり考えている。

だがしかし、一度結婚に失敗した人間が言い出すには勇気が必要で、

まだ若い彼女を、かつての私のようにこの環境に縛り付けるような真似だけは避けたかった。

が私のことを私以上に深く愛してくれていることは疑いようのない事実だ。

だからこそ言うべきだ――そう思った矢先の出来事だった。










私はいつものようにラボにこもり、

この数カ月間――それこそ多少の無理をしてでも、

オズコープ創始者であるノーマン・オズボーン直々の依頼に掛かりっきりだった。

ノーマン・オズボーンの余命が尽き用としている。

それを引き伸ばすため、私に白羽の矢が立ったという訳だ。

バイオ医療――中でも特殊な異種間遺伝子交配の研究の権威である私は、

もちろんトカゲの尻尾のごとく、この失った右腕を取り戻せたらという思いで

この研究に取り組んでいる。

完璧な再生能力を手にしたい――。

そうすれば、この世からハンディを持った人間、弱者はいなくなる。

その言葉を自分に当てはめて解釈したノーマン・オズボーンだったが、

今はまだ研究段階で、ラットへの投与実験ですらままならぬ状態である。

チームを帰した後も、私はこのまま残ってデータの分析をしようと思っていた。

そこへコーヒーを2つ持ったが現れる。

それだけで疲れが幾分も軽くなるのだから、おかしくて仕方がない。


「もう上がれそう?」


メガネを外して眉間を押さえながら、私は首を振った。


「いや――もう少しかかるな。

 mRNAテストの結果次第だが、今あるデータは今日中にまとめておきたいんだ」


は乱れた私の前髪を指先で愛しげに整えながら頷いた。


「解った。じゃあ私、先に帰るわね。

 本当は手伝ってあげたいけど、今夜はアンディが来る日だから。

 家に帰って誰もいなかったらかわいそう」

「今日、金曜か。ああ――すっかり忘れてた。

 すぐ帰る支度をするよ」


立ち上がろうとする私の膝に、が座る。


「だめよカート。お仕事が残ってるでしょう?

 いいのよ。先に帰ってアンディと夕飯を作っておくから。

 終わったらすぐに帰ってきてね。待ってるわ」

…」


――一緒に暮らさないか。

そこまで喉に出掛かっていたのに、

私は小さな勇気が持てずに、その言葉を喉の奥に押しやった。


「――急いで終わらせなくっちゃな。

 ふたりの手料理が冷めたらアンディに怒られる」

「じゃあねカート。愛してるわ」

「私もだよ――君を愛してる」


さよならのキスを交わし、は手を振りながらラボを出て行った。











だが――その日、私がの作った料理を口にすることはなかった。

不可能だったからだ。

は……家には辿りつけなかった。

自宅にほど近い街道で、トラックの衝突事故に巻き込まれたのだ。

後ろから脇見のトラックに追突された彼女の車は、勢い良く前に突き出され、

前方にいたトラックに向かって車体ごと突っ込んだ。

彼女は頭と全身を強く打ち付けてそのまま気を失った。

幸い車は信号待ちで走行しておらず、

歩行者を巻き込むようなことは起こらなかったそうだが、

頭と首を負傷したは重症だった。

すぐさまERへ運ばれ、の携帯電話を調べた警察から私のもとへ電話が入った。

頭が真っ白になった。

血の気が引いて、全身から嫌な汗と荒い呼吸がせり上がる。

私は着の身着のまま白衣も脱がず、

タクシーに乗り込むと急いでの運ばれた病院へ向かった。






だが着いたからと言って、待つよりほかに出来ることはない。

私は重たい頭でなんとか妻へ電話し、今夜はアンディをそっちで預かって欲しいと頼んだ。

事情を知った彼女は私に心からの同情の言葉をかけ、

なにかあればと私の力になると言って電話を切った。

が手術室から出てきたのは、翌朝の陽が顔を出してから随分経った頃だった。

私は一晩中、の無事を願いながら、彼女を先に帰した自分をあらゆる悪罵で呪い続けた。

執刀医は命は取り留めたと言った。

だがそれから何日経っても、ICUでたくさんのチューブにつながれたまま、

の意識が戻ることはなかった。

私はもちろん自分の持てるすべての知識と人脈を駆使して、

彼女が昏睡から目覚めない理由を解明しようとした。

脳も神経も――もちろんかろうじてではあったのだが――異常ない。

眠り続けるは、まるで人工呼吸器をつけたお伽話のお姫様だった。

彼女がなにかを待っているんじゃないかと、思わずにはいられなくなった私は、

滑稽だと承知しながらも、息子を連れて宝石店へ行った。






息子は随分重くなったが、それでも私はまだなんとか片腕で抱き上げることが出来る。


「さあアンディ――パパの相談に乗ってくれ。

 にプレゼントするんだ。どれが似合うと思う?」

とパパはけっこんするの?」

「ああ、そうだよ。そう――と私は、結婚するんだ」

が僕のママになるの?」

「そうだよアンディ――嫌かい?」


息子は顔をくしゃくしゃにして笑うと、首が折れそうなほど大きく頭を振った。


「ううん!嫌じゃない!

 だってがママだったらいいなって、ずっと思ってたんだもん」


その時にはすでに私の目からは無数の涙が溢れ落ちていて、

それでも必死に笑って、優しい声音で続けた。


「そうだね――そうだねアンディ。

 じゃあをびっくりさせるにはどの指輪を贈ったらいいと思う?」


大人と同じ目線になった息子は、ガラスのショーケースをじっと見つめて、

迷いなく指さしてこれ、と言った。

それはとてもシンプルでベーシックなデザインの銀の指輪だった。


「アンディ。これは結婚指輪だ」

「なんで?けっこんするんでしょう?

 見てよパパ、白く光ってる。とってもキレイだからにぴったりだよ」

「――わかった。これにしよう。

 じゃあもうひとつだけ手伝ってくれ。

 今度はキレイな宝石の着いた指輪を選んでくれるかな。

 婚約指輪って言うんだよ。

 愛する人にプロポーズするときに必要なんだ」

「OK、パパ。まかせてよ」


彼が選んだのは、細い金のリングにとても小さなハートのダイヤが光る、

とてもシンプルなものだった。

それは間違いなく完璧なチョイスだった。































季節は春――1年で一番心地よい季節だと言うのに、

彼女の手を取って外へ行くことも叶わないなんて。

数日前オズボーン社の系列病院へ移され、見舞う方も幾分か楽になった。

を見舞う客は私以外にはいなかった。

天涯孤独の身だと言うことは、リチャードの送ってきた書類と彼女の話で聞いてはいたが、

こうなってみると甚だ淋しいものである。

眠り姫の病的に白い左手を取ると、私はぎこちない手つきで薬指に指輪をはめた。

が目覚めたとき、一人でなかったこともわかるだろう。

そして、私が彼女に抱く気持ちも伝わるはずだ。

私の左指には、息子の選んだ結婚指輪が銀色に光っている。

気が早いようにも思ったが、息子がせがむので古い金の指輪を外し、

誓いを込めた銀の指輪をはめてもらったのだ。

指輪を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。

ずっと伏せられたままの彼女の長い睫毛に、そっと口づけを落とす。

涙があふれた。

メガネを外して目を押さえながら、私は今はっきりと強く確信した。

私の研究すれば、彼女も助かる。

足りぬ部分を補う研究だ。彼女の意識を奪っている原因、

どこかで欠損したであろう欠陥を、必然的に意識を取り戻すに違いない。

つまりこのまま続けるより他ないのだ。

トーマス・オズボーンの病気を治し、そして――私の腕が完全な姿を取り戻せばいいのだ!

を助けられるのは私しかいない。

私は誓った。

愛する者を救うためなら、どんな辛酸も舐めようと――。




















































―――――――――――――――――

完全な捏造でございます。

ただリブートシリーズを見たとき感じたのですが、

コナーズから家族の存在を感じさせるアイテムが多々出てくるのにも関わらず、

その存在の香りが全然しないなあ、と。

だったら妄想の予知があるかなあと思い書いてみた次第でございます。

コナーズが息子を人並みに愛せるようになったのは

さんのおかげもあるのだろうなあと。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!

しかしSilver Liningいい曲です(笑)

20130106 呱々音