2000年前に喪われた愛を憶う夜があった。

今にして思えば、無限に続く生涯の唯一の愛であったと思う。











当時、すでに導師として一族を率いて永いアロには、儚さを弄ぶきらいがあった。

他の導師たちに暇を貰い、気の向くままに独りアンダルスを旅していたときの事だ。

グアダルキビルの川縁を夜な夜な彷徨い、気の向くままに人々の血を啜る。

日の出と共にアンダルスの民が目覚める頃には、

川の側で奇妙なほどに真っ青になった、血の抜き取られた死体を見つけるのだ。

彼らは震え上がったが、アロにはただの一時しのぎの余興にしかすぎなかった。

彼は吸血鬼にしては好奇心が強く、だが愚かにはなれなかった。

1000年の虚無を生きたとは言え、まだ心は若い。

彼は人知れず貪欲に張り合いを求めていた。






満月の夜のこと、グアダルキビル川地帯の人里まで足を伸ばそうという気になり、

頭の先から爪先まで隠れるローブをすっぽりと被って、足音も気配も無く、

深い夜の隙間を縫うように進んでいった。

街自体はあまり良い香りとは言えない。

もちろん人そのものの匂いは食欲を煽るが、人の排出する臭いはとんでもなく不愉快だ。

無責任に吐き出す息、皮膚にうっすらと纏り付く垢、

行き場も定まらずに放置される汚物の瓶――何度嗅いでも不愉快だ。

だからこそ――だからこそ吸血鬼には解るのだ。

ごちゃごちゃと入り乱れ、充ち満ちにせめぎあう匂いの応酬の中に、

一筋光る金糸と見紛う甘美な香りを探し当てた瞬間の嬉しい驚きときたら…!

何にも代え難い興奮を齎す。

アロは今まさに、人の群れの奥深い場所から自分を手招きする甘美な香りを見つけ、

頭を殴られたような衝撃に立ち会っていた。

それはこの1000年の中でも嗅いだことの無い、初めての香りだった。

甘く誘惑する罪深くも美しい香りが、アロを呼んでいる。

目眩すら覚えながら、アロは迷うことなくその道しるべを手繰った。

すっかり寝静まった町外れの寂れた住居の中――いいやおそらく窓際だろう。

普段の彼からは想像できぬほど、とても焦らすほどの余裕はなかった。

土壁際を這うように進むと、心もとない窓に掛かった御簾をめくり上げ、

アロのギラギラと血走った目が捉えたのは、

まるで言葉では言い表すことの叶わないほど衝撃的な光景だった。

味気ない寝台に無防備に横たわる、その《美しい生き物》は、

アロの理性と正気を奪い去ってしまうほど馨しい寝息をたてて、

甘い杏蜜を垂らしたような小さな唇からは、

どんな声が聴こえるものかと想像させるには十分なほどそそる物があった。

その細く白い首筋に噛み付いたならば、どんな味が広がるのだろう!

ただもう気が狂いそうだった――しかしアロはもう理解していた。

――これは運命の女性――私だけの《歌姫》となるのだ。

アロは相手に触れるだけで、過去の記憶やあらゆる考えを知ることができる。

彼の死人のような手がそっと伸び、彼女の指先に触れた――次の瞬間。

触れた部分から雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡る。

それと同時にアロの脳を焼き切らん勢いで、彼女の持つ情報が怒濤に流れ込んでくる。

彼女は――は、知っていたのだ。

迎えがくることを。

それは人知や理屈の及ばぬ声によって《自ら知った》――いや悟ったのだ。

――私を、


「……私を待っていたんだね?」


すると彼女はやや驚いたように身じろぎをしたが、ゆっくりと起き上がり、

大きく開いた寝間着の胸元を押さえて、月明かりを背負って窓を塞ぐように佇む、

不気味な男を見上げてひとつ頷いた。

たった今触れていた指先が離れただけで、すでに名残惜しささえ芽生えている。

――正気じゃない。

アロは自嘲した。

が何かを言いかける前に、すでに驚くべき速さで、アロは部屋の中にいた。

これも人ならざる者の特性だ。

彼の気配を背後に感じて、彼女はそっと震えた。


「私が怖いか?」


小さな背中にそっと忍び寄り、覆い被さるように肩に触れる。

彼女は――恐怖を感じているわけではなかった。

それどころか、言い表すことの叶わない悦びを感じていた。

この禁じられた悦びを待つ大罪を犯した自分を責めながら…!

アロに触れられた場所が熱を訴え、からは震えながら甘い吐息が漏れる。

たまらなかった。

不思議な磁力に引きつけられるように、唇を割って、彼女の唇に噛み付いた。

口内の粘膜が小さく傷つき、薄く血の味が混じるものだから、

アロはもうくらくらとして理性をほとんど手放していた。

殺してでも密通を――その証拠にまだ男の手垢など知らぬでさえ、

アロを求めて心臓が躍動の声で訴えている。

に覆い被さった彼は、それでも彼女を殺すことはできなかった。

どんなにかそうしたかったか解らないが、それでもとにかく殺せなかった。

彼女を深く愛してしまった。

日が昇る前に、アロはの元を去った。

だが何にも勝るご馳走を先延ばして食べなかったのだ。

空腹の欲はいつにも増して凶悪で、彼はここへ来て初めて一晩で5人を殺めた。






日中出歩けぬ訳ではない。

ローブさえ被っていれば正体が知れることもない。

だがやはり事が事ゆえに、太陽の光が地上のすべてを照らす限り、

否応無く所行はすべて人の目にさらされる。

ゆえに彼らは夜を好むのだ。

アロは日の差し込まぬ空き家で息を潜め、

彼女の気配である金糸のように細く光る香りを手繰り続けながら、

昨夜のめくるめく出会いを反芻していた。

すると鼻先に絡み付いていた香りの糸がぷつりと切れた。

アロは初めて恐怖を覚えた。

次の瞬間にはもうその場所を飛び出して、疾風と同じように町外れまで駆け抜けていた。

の家に入ると、見知らぬ男が無粋な刃物での胸をひと突きしていた。

アロは男の首をもぎ取った。

そして触れた場所から、その男に、昨夜この家を出る自分の姿を視られていたことを知った。

さらにその後の形振り構わぬ食事の一部始終をも視られていた。

――甘かった。

アロはに駆け寄り、ぐったりした身体を抱き寄せる。

だが彼女はもう息をしていなかった。

触れても触れても彼女の声は聴こえなかった。

ただの無意味な死体となったのだ。

だが彼の耳にはきのうの情事の最中に、彼女が漏らした一言がこだましていた。

――生まれ変わっても、あなたを探す――

熱の喪われていく唇にそっと口づけると、

アロはその世界で一番美しい死体を残して、この国を後にした。











* * *










吸血鬼は眠らない。ゆえに夢を見ない。

だがそれに似たものを夢想することはあった。

運命の《歌姫》を喪ったあの日から、

アロは愛というものからより一層遠ざかるようになった。

眺めたり愛でることは好んでしたが、必要以上の愛着を抱くことはない。

もともとの気質であるあどけない残忍さも相まって、

導師として一応の妻を娶ってはみたが、形式上の関係でしかなかった。

他の導師マーカスやカイウスがそれを咎めたりするはずもなく。

愛を喪ってより2000年――アロは相変わらず虚無に存在していた。











ヴォルトゥーリ一族の統べる土地ヴォルテッラ。

このそびえ立つ古の都に、あり得ないことが起こった。

その瞬間のアロの戸惑いを感じ取って、導師たちが眉根を寄せる。

――これだけ優秀な吸血鬼が何人も揃っていながら、誰も察知できなかったとは。


「ジェーン!ジェーンをここへ!」


恐れ戦きながらも、期待に血走るアロの目を見て、ジェーンは珍しく萎縮している。


「何か御用ですか、導師様」

「おそらく今すぐにでも――いいや、明日かもしれないし、今夜かもしれない。

 私の大切な客人がここを訪ねてくるだろう…だが彼女は人間だ」

「それは城の見学に訪れる観光客の中にいるのでしょうか?」

「わからない」


やや苛ついた語気に、ジェーンは慌てて目を伏せる。


「……だが必ず来る。

 丁重にお迎えしなさい。失礼や揶揄いは以ての外だよジェーン。

 私に接するように客人を扱い、そしてここへ連れてくる役目をお前に頼みたい」


赤よりも赤い導師の瞳が、哀切な色に揺れていた。

ジェーンは奇妙な不安を覚えた。


「仰せのままに致します」











アロはあの一夜の記憶を、すっかり消してしまったと思い込むことに努めて来た。

だがそれは全くの無意味だったようだ。

何よりも信じがたいが、この香り――彼にしか解らぬこの香りの糸。

今すぐにでも手繰りたかったが、導師自ら進んで掟を破るわけにはいかぬ。

――ああ…!

どうかこの信じがたい予感が、思い過ごしではないことを願う。











それから半日とせず、訪問者は現れた。

アロを惑わせる懐かしき匂いは強くなり、その度に彼は今にも爆発しそうで、

マーカスやカイウスでさえ、話しかけようとはとても思わなかった。

広間の扉が開く――アロは食い入るように扉を睨む。ジェーンが頭を垂れていた。


「お連れしました……ですが、導師様、」


ジェーンは叱責を怖れる子供のように、それでも勇気を振り絞って、

言うより早い手段としてアロに手を差し伸べた。

ジェーンに触れて、アロも小さく困惑する。


「……通しなさい」

「ですが」

「いいから通せ!」


ジェーンの震える足が一目散に扉に駆け寄り、再び分厚く重たい扉を開ける。

すると――まるでこの世のものとは思えぬ美しい存在が、動じもせずに佇んでいた。

マーカスとカイウスだけではない、他の吸血鬼たちもあまりの衝撃に言葉を失っている。

なぜならアロが客人と呼んだその存在は――まだ年端もいかぬ子供であったから。

アロですら未だに信じきれていない。

だが確かに小さな少女からは懐かしき甘美の香りが立ち上る。

目が剥がせないまま、周囲のざわめきを遮るようにアロが手を掲げると、

その場は水を打ったように静まり返った。

皆固唾をのんで導師と少女を凝視する。

導師は訝しげに目を細め、歩み寄る。

少女も怯えもせず、アロに歩み寄る。

彼はゆっくりと膝を折って、少女の瞳を覗き込んだ。

少女は手に嵌めていた毛糸の手袋を外すと、アロの青白い頬にそっと手を添えた。

あの日と同じ衝撃が、再びアロの身体を駆け巡る。


「……ああなんてことだ


再会の抱擁を求めて首に抱きつく小さな身体を受け止め、そっとそっと抱きしめる。

そして更に驚くべき事実に目を見開いた。


「――記憶が…あるのか?あの日の記憶が、そのまま…?」


少女は微笑む。


「私には前世の記憶があるのよ、アロ。

 信じられないことだけど、私の魂はあなたを求めて新しい器にやっと収まったのよ。

 ねえアロ。私はちゃんとあなたを見つけたわ。

 戻ってきたのよ、あなたの腕の中に」











子供を吸血鬼にすることは一番の禁忌とされている。

分別があるとは言え、に関しては、

どんなに少なくともあと5年は見送るべきだというのが

導師と幹部でまとまった意見だった。

アロとは甘んじてその決定を受け入れた。

というのも――手を繋いで歩く姿はやはり子供でしかない。

一族を率いる最高位の導師の花嫁として隣に立つのであれば、

やはりそれなりに全うな背丈と容姿が必要なのはが一番良く解っていた。

そしてここには居られぬことを告げられて、は美しい顔を歪めた。


「嫌よ……離れたく、ない」


大粒の涙が紅潮した頬を伝ってぼろぼろと落ちてゆく。

アロはを膝に乗せてやると、諭すように言い含めた。


「私の歌姫……どうかこの私の心中も解ってくれたまえ。

 ここにいては万が一、という事があるのだよ。

 私以外の者が、今の幼いお前を襲えば…私の一族は破滅だ。

 だがそれは避けなければいけない。わかるだろう?」


は返事の代わりに、アロの首にきつく抱きついた。


「よしよし――もう泣くのはお止し、私の歌姫。

 私だってお前と引き離されるのは身を引き裂かれるより辛い。

 月に一度だけ、ここに会いにきて良い。

 私の元から決して離してやるものか――私が守ろう。

 ……さあ。今日はもうくたくただろう、可哀想に。

 私の部屋へ来なさい。あそこが一番安全だ。

 人間は何よりも眠らなくてはいけないようだから。

 身を寄せ合って、寝かしつけてあげよう」











翌日の朝には、すでに迎えの者として呼ばれた――カーライルは着いていた。

アロは苦肉の策として、をカレン家に預けることを決めたのだ。

彼らは自分たちのことを《ベジタリアン》と呼んで、人間の血を一切欲しない。

加えて面倒見の良い者が揃いも揃っている。

を自分の子のように、手塩にかけて可愛がる様は想像にかたくない。

何よりあの家には忌まわしい思い出ながらも、

人間と吸血鬼の間の子として奇跡的に生まれ落ちた、希有な存在もいる。

歳が近い分、の遊び相手にもなろう。

ヴォルトゥーリ一族の気質には到底持ち合わせない《人間らしい》感情や習慣を学ぶには、

これ以上の環境はないだろう。

然るべき教育と倫理を学ぶには、やはりカレン家以外考えられなかった。

アロの手を名残惜しげに離す姿は、を初めて目にするカーライルですら心が痛んだ。

弱みを見せることを何よりも嫌うアロからは想像も出来ぬほど、

それはただただ哀切な別れだった。

アロと言葉を交わす事もせず、は大人しく車に乗り込む。


「あの子を全力で守り、大切に世話してやってくれ。

 君にしか託せないんだよ…我が友カーライル――。

 もし彼女に何か万が一のことが起こればそのときは、

 お前たち一族を決して許さない」


そんな脅しをやんわりと受け止め、カーライルは誠実に応える。


「大丈夫だ、アロ。私たちの娘と思って大切に育てるよ」


カーライルという慈悲深く誠実そのものの男が、

その言葉通りに何よりも大切にを育てることは、アロにも解っていた。

最後にアロと目が合うと、は寂しげに手を振った。

――できることならずっと触れていたい。

彼女の考えは彼に関することばかりで、とても優しく心地が良い。

だが牙を折られたわけではない。

アロは車を見送ると、人知れずその胸を撫で下ろす。

他でもないこの自分がを殺める可能性の方が、十二分にも強かったのだから。











それからは毎日のように手紙が届いた。

毎月、月の無い夜を選んで、はるばるアメリカの片田舎から

イタリアのヴォルテッラまで訪ねてきた。

その月に一度の訪問を、は大層楽しみにしているらしく、

カーライルの記憶を見る限り、毎日少なくとも3回はアロに会いたいと言っている。

一晩はあっと言う間だが、人間の《夏休み》にはもう一晩おまけが付いた。

会うたびには美しく成長し、誘惑の強い香りも増してゆく。

アロの望んだ通り、2000年前、初めて出会った時と同じように、

人間らしくとても儚い、心の優しい娘に育った。

だがが15を過ぎると、突然アロは月に一度の訪問をかたく禁じた。

にとっては到底信じられぬ仕打ちだった。

それだけを楽しみに生きてきたと言っても過言ではない。

ひどい落ち込みようのを慰めたのは、母親代わりとなっていたロザリーだった。

カーライルは責任を持ってアロからを預かったが、

家族の一員として確固たる位置を築くには、

ロザリーとエメットの夫婦に任せるのが一番だと考えていた。

カーライルは、自分に血の繋がらない子供たちが居ることを、毎日感謝して生きている。

それはとても恵まれた、かけがえのない宝物だった。

だからこそ、人一倍母性の強いロザリーに、

一度でいいからその喜びを知ってほしいと願っていた。

そして喜ばしいことに、結果としてロザリーとエメットとは、

カーライルが望んだ以上に《親子》そのものとなっていた。


「……。家へ入りなさい、風邪を引いてしまうわ」


ロザリーが心を込めて編んだ柔らかい白のたっぷりとしたカーディガンは、

の一番のお気に入りだった。

ベランダの隅で膝を抱えて落ち込むの肩に、そっとそれを掛けてやった。

吸血鬼の身体は熱を持たない。

だからせめて、こうして母親の愛情の籠った物で、

悲しみに震える身体を温めてやりたかった。

カーディガンの上から優しく抱きしめてやると、は泣き出してしまった。


「ママ、アロは私のことが嫌いになってしまったの?

 私なにかいけないことをした?」

「とんでもない。そんな理由じゃないわ」


アロらしくない理由だ――だからこそロザリーはほんの少しだけ良い気分…ではあった。

だが娘の存在理由そのものと言っても良い、最愛の婚約者でもある。


「――誰でも愛する人を喪うのは辛いものよ」


そこへ心配したエメットが気配もなくやってくる。

美しく立派に育った一人娘の頭を撫でて笑う。


「アロはを喪うのが怖いのさ」

「怖い…?アロが?」


は驚きに目を丸くする。

ロザリーは愛娘の豊かな髪を綺麗に整えてやりながら、優しく諭してやった。


「いい?。貴女は美しいのよ。そしてその美しさは彼にとって甘い毒なの。

 だからこれ以上貴女が側にいると、理性を保てないのよ。

 は内面も容姿も、もっともっと美しくならなければいけないわ。

 これから先はアロと貴女のために、寂しさに耐えるのよ。

 大丈夫――私たちがついてるから」











それから更に5年――アロとにとっては、辛い5年であった。

が20歳になるのを区切りに、変身の儀を行うことが決まった。

19歳と364日目の晩は、奇しくもの嫌う満月の夜だった。

満月を見ると、どうしても命を奪われたときのことを思い出すらしかった。

だがアロはそれをも運命の必然に感じていた。

今度命を奪うのはアロ自身――5年ぶりの再会は、想像以上に素晴らしかった。

月夜を背負って眼前に現れたのは、純白のワンピースを着た美しい恋人――!

ひとりの女として、溢れんばかりの生を謳歌する血の通う生き物。

泉のように波打ち落つる髪、華奢な肩、白く輝く胸、豊満な腰、血のように赤い唇

すべてが彼のために捧げられていた。

付き添いとしてを送り届けたカーライル、

そしてロザリーとエメットが彼らヴォルトゥーリの親しい友人として迎えられた。

エミリーに髪を梳いてもらいながら、は期待に胸を膨らませながらも緊張していた。


「そんなに固くならないの。大丈夫よ…心配いらない」


無理な話ではあろう。

それでも努めて安心させてやるのが、母親である自分の仕事だから。

ダイヤモンドを散らしたかのようにキラキラと細かく輝く夜着が、

とてもよく似合っていた。

コンコン、と2度ノックされ振り返ると、ジェーンが立っていた。


「導師様がお待ちよ。すぐに来なさい」


ロザリーはいつだって、ジェーンが噛みつきやしないかと気を揉んで睨みつける。

それを鼻で笑うジェーンの方も慣れっこだった。

は家族たちと、もう一度しっかりとハグを交わすと、

ジェーンに連れられ、アロの部屋へと姿を消した。











ジェーンが下がると、はアロに向かって駆け寄り、まっすぐに両手を差し伸べた。

反射的にその手を包むと、彼女の痛いほどの愛の言葉が、

思いが、彼の全身に狂おしく流れ込む。


「ずっと会いたかったわ」

「どんなにこの日を待ち詫びたことか」


荒っぽく唇を塞ぎ、あの夜をなぞる。

冷たい手が舐めるように夜着の上を這う。

もどかしい――だが今は理性が必要だ。

彼女の首筋に噛み付く。

口中に強い酒以上の甘い毒が広がる。

――ああ!気が狂いそうだ!

男を誘うあらぬ媚薬の香りが、理性を容易に惑わす。

当のは彼にされるがまま、噛み付かれる度に、悩ましく震え、喘ぐ。

鎖骨を齧り、柔らかく張った胸に歯を立てると、

の腰は砕け、アロはを抱きかかえた。

寝台に寝かされながら、胸に顔を埋める男の頭を本能的に弄る。

徐々に意識が薄れ始める。

遠くの方で、振り子時計の鐘が鳴り、日付が変わったことを知る。

アロは自分の手首に、ぷつりと爪を立てると、

ポタポタと零れ落ちる銀色の血をうっとりと見つめながら、

傷口をの唇に充てがった。


「さあ――お嘗め。そうすれば一度死んで、蘇る。

 次会うとき、私たちは同じモノだよ――」


そう言っての額におやすみのキスを落とす。

しかし彼の下で手首を貪るの身には、確実に変化が起こっていた。

地獄の苦しみにのたうち回りながら、うわごとのように何度もアロの名を繰り返す。

彼は悲鳴まじりに名を呼ばれる度、例えようも無い恍惚が全身を駆け巡るのを愉しんだ。





















吸血鬼として生まれ変わった世界は、

今まで生きていた世界とは比べ物にならぬほど素晴らしい。

は片時もアロの側を離れようとはしなかった。

導師自らに人間の血の吸い方を教えるほどの入れ込みようには、カイウスも驚いた。

まるで番いの鳥のように、二匹寄り添ってないと死んでしまうのではないかと思うほど、

彼らは互いに愛し合い、慈しみ合う。

こんなアロの姿を、未だかつて――そして本人ですら――見たことはない。

蒼白い宝石が如く美しいは、今もなおアロにとっての甘美な毒に違いなかった。

理性を奪うほどの衝撃を、彼は毎朝毎晩、その度に新鮮に感じ続けるのだ。

口づけを交わすときも、身体を絡め合うときも、運命の歌姫を崇拝せずにはいられない。

もまた、アロ無しでは生きて行けぬ――それを理解しているからこそ、

アロは至上の満足感を味わうことが出来るのだ。




「ヴォルトゥーリの花嫁は――二度死んで蘇る」

「例え何度死んでも、私は必ずアロの元へ帰ってくるわ」










決して忘れてなるものか。

あなたこそが私の、魂の恋人なのだから。




















































―――――――――――――――――

そして彼がずっと欲していた予知の能力(アリスの能力)

が手に入ったのでアロは何重にも満足だと思います。

ただ本人はこれを予知とは呼びたがらなくて《悟り》に近い意識です。

ほとんど直感のようなものだから、予知と呼ぶのはあまり適当ではないかな。

ずっと書きたかったアロです。かなりすっ飛ばして書きましたが楽しかったです。

ロズには子供が必要だと思うんですよ(真剣)

20131121 呱々音