舞い上がっていなかったと言えば嘘になる。

正直に認めよう――私はとても浮かれていた。

でもそれは、アルコールでちょっといい気分になったとか、

DJのセンス抜群のセットリストに気分が盛り上がったとか、

そんな要素によるものに違い無かった。

彼には申し訳ないけど、それ意外はありえない。

だって私にはアナタ以外に好きな人がいるんだもの。















男友達のことを見くびったことは無いつもりでいたけれど、

私にとって異性はアーチーと、それ以外に二分される。

でもそれって女の子にとっては当たり前のこと。

想いを寄せる男性は、女の子を輝かせる極上のスパイス。

例えそれが心に秘めた恋であろうとも、何ものにも代え難い大切な宝物だ。

クラスメイトのトロイが7回目の告白をしてきた時も、

私は前の6回分と同じように、丁寧に断った。


「ごめんなさい……私ずっと好きな人がいるの。

 だからトロイとは付合えない」


トロイはとても美しい青年だ。

男女ともに人気もある。

高校生特有の向こう見ずで愚かしい性格でもない。

私は心の中で今回こそ、彼が諦めてくれることを願った。

そして私などより、もっと彼の魅力を引き立ててくれる

素敵な女の子と付合って欲しいとも。

トロイは哀切に顔を歪めると、今までとは違う言葉を続けた。


「君の気持ちが揺るがない事は、僕にも解ったよ。

 でもひとつだけお願いがあるんだ。

 一度だけでいい――僕とふたりで出掛けてくれないか」

「…トロイ、私アナタを傷つけたくないわ」

「わかってるよ。よく解ってる。

 ――だから一度だけ……そしたら僕も諦める」


縋るようなトロイの願いを無下に出来るほど、私は彼の事が嫌いじゃなかった。

彼のカナリア色の巻き毛が眩しく感じて、私は少し目を伏せてしまう。


「…友達としてなら」

「ああ――友達として」


彼の安堵の笑みを見た瞬間、私の中には自分の判断への後悔は無かった。













金曜日の夜、トロイが誘ってくれたのはこの界隈では人気の高いクラブだった。

美味しいお酒と最高にクールなDJ、ダンスフロアでトロイと踊って、

彼も私も、それはもうものすごく楽しんだと思う。

――私は油断していた。

トロイの事を信じすぎていた。

あとにして思えば裏切ったのは向こうだけれど、

それでも私は彼の心に魔が差すのを許した事になる。

ああ――神様。

青と緑とピンクのド派手なライトの交わる騒然としたフロアの真ん中で、

トロイは私の唇にキスをした。

最初は何が起こったのかまるで解らなかったが、

反射的にトロイの肩を突き放していた。

それでも彼は私の腕を引き寄せて、縋るように見つめて来る。

ああ――そうか。 トロイは始めからこのつもりだったし、

――息も出来ないほど私のことを好いているんだ。


…」

「トロイ――出来ない相談だわ」


その一言で、トロイも握りしめていた私の腕をそっと手放した。

泣き出しそうな彼を――もしかしたら泣いていたのかもしれないけれど――、

フロアに置き去りにして、私は逃げるようにクラブを後にした。











私の頭は案外冷静ではなくて、真っ白というか、真っ暗というか、

目の前がチカチカしていて、このまま右に左に倒れたり、しゃがみ込んだり、

泣き出したりしないように必死だった。

ヒールを履かせた爪先を前に出して、出して、出して――歩くのよ、

とにかくここではない何処かへ――あのクラブから離れなくては。











どうしよう――タクシーを拾う?

でもこんな時間に独りでなんて、危なっかしくて気乗りしない。

そしてママは今夜はおばあちゃんの家に泊まりに行っているから留守。

バス、地下鉄、なんだかどれも――うんざりだ。

いっそワンツーを呼び出す――ああ…――嘘でしょ?

携帯の液晶は余力を失って真っ暗だった。

(夕方、ママの探し物に付合って長電話したせい)

――とりあえず[F]のつく言葉を叫んだ。

…この近所に住んでいる知り合いが一人だけいる。

とても親しいし、付き合いも一番長い。

面倒見も最高。

でもひとつだけ問題がある。

その人は私が――想いを寄せている人。

――彼の名前は、アーチー。













一か八か、訪問のベルを鳴らす――家主は家に帰っていたようだ。

インターホンから器械音に変換されたアーチーの声が聞こえる。


『誰だ』

「私」

『…――?』


半信半疑で扉が開くと、驚いた様子のアーチーが顔を覗かせた。

会話も無しにとりあえず家の中に私を招き入れると、

扉を閉める前に辺りをチラリと見渡す――これはこの世界で生きる人間の一種の癖だ。

鍵を3つ閉めて、ようやくアーチーはくだけた表情になった。


「一体どうした――何かあったか?」

「ごめんなさい、急に」


アーチーの家を訪ねたのは半年ぶりだった。

ついさっき帰って来たのだろう――ソファの上にジャケットが置いてある。

飲みかけのウイスキー、なんとなくテレビが点いていたが、

アーチーはスイッチを切った。


「何か飲むか?」

「強いのがいい……同じ物くれる?」


アーチーはテレビの隣に置いてあるウイスキーを注いでくれた。

さすがにロックだったけど。

クリーム色のソファは柔らかい。

隣にアーチーも腰かけた。


「その格好はデートだな」


推理を楽しむ探偵みたいに、アーチーは笑った。


「デート――…そうね。デートだったのよね。

 解ってたけど馬鹿バカみたい……油断してた」


口の中にウイスキーの味が広がる。

美味しいと言うよりは、今はその強烈さが有り難かった。


「待て。なにされた」


アーチーの目から笑みが消える。

眉間に深く皺を刻んで、私の言葉を慎重に待っている。


「アーチー、ただの…――キスよ。

 だからタンクの情報を使う必要もないし、

 アーチーが銃を持ち出す必要も無いわ」


アーチーがクッションの下から銃を取り出し、銃弾を確認する。


「そいつの名前を言え。

 大丈夫脅すだけだ。殺しやしない。ほら」

「アーチー、思い出してみて。

 貴方にだって一度や二度、必ずあるはずよ。

 女の子に不意打ちでキスした事くらい」

「………………でもあれは」

「OK, もうおしまい。忘れてアーチー。

 お願い――私のために。…忘れて?」


きっと最後は泣きそうな声だった。

アーチーの顔から怒りが消えて、急に心配そうな表情で私を見つめる。

沈痛な面持ちでそっと手を伸ばすと、私の頬を、指の背で撫ぜた。


「…大丈夫か」


瞳を閉じる。

触れてくれた彼をしっかり感じられるように。

頬はじんじんと熱を持つ――とても苦しくて心地よかった。


「笑わないでね……初めてだったの」


小さく告白するその声に、アーチーが何を思ったのか私には解らなかったけど、

彼はもう何も言わず、ママがいつもしてくれるのと同じように、

逞しい腕で優しく私の肩を抱き、頭にそっとキスをくれた。

先刻あんな事があったのに、私はこの上なく安堵した。

大好きなアーチーの香りが心を落ち着けてくれる――魔法みたいに。


「……携帯の充電、切れちゃって」

「ああ――使えよ」


ポケットから携帯電話を差し出して、アーチーはブランデーを口に含む。


「今夜はママが留守なの。

 だからワンツーを呼び出して送ってもらおうと思って」


全部言い終わる前に、アーチーは私の手から携帯電話を取り上げた。


「アーチーおじさんがいるのに、他の男を呼ぶのか?ここに?」


両手を広げて、私の顔をじっと見つめる。

私は浅く溜息を吐くと降参したように掌を見せた。


「わかった。ワンツーは無し。

 …正直に言う…いま家で独りになるのは…嫌なの」

「……、」

「お願いアーチ。ここに泊めて…?」


アーチーは少し躊躇う素振りを見せたが、もう一度携帯電話を差し出しながら、


「ママが良いって言ったらな」


と小さく添えた。

もちろんママはオーケーした。

アーチーおじさんへの信頼が抜群なのは言うまでもない。













お粗末すぎるかもしれないけれど、私はアーチーのTシャツを借りて上機嫌だった。

インスタントのヌードルを2人分作って、映画を見ながら仲良く夕飯を済ませた。

日付境界線を跨いで食べるヌードルは、たまらなく美味しく感じるから不思議。

アーチーが先にシャワーをすすめてくれたので、

さっさと入ってメイクを落とそうと思った。


「?アーチ?

 メイク落とし、どこ?」

「…男の一人暮らしだぞ」

「ねえ、別に驚かないし軽蔑したりしないわ。

 …彼女の借りるくらい問題ないでしょ?」


アーチーは掌を見せる。


「…――うそ冗談でしょ。ほんとに無いの?」

「俺の家に上がれる女はそう居ない」


正直、素晴らしい気分だ。

神様ありがとう。

本当は飛び上がって叫んでこの喜びを全身で表現したかったけれど、

私はわざとらしく溜息を吐いて、バスルームに引きこもった。

もちろん鼻歌も忘れずに。













「シャワーありがとう」


アーチーがちょっと固まっているあたり、

湯上がりっていうのは少しは効果が見込めるらしい。


「……シーツを変えといた。

 俺はソファで寝るから。あとは適当に。

 部屋は好きに使っていいが、マットレスの下の銃だけは触らない事。

 いいな?」

「それパパにも言われてた」

「良いパパだ」


私は思わず声を上げて笑った。

もうすっかり気分が良い――本当にさっきのショックが嘘みたい。


「ありがとう…アーチー。

 私もうちょっと映画の続き見てるから、シャワーどうぞ」


ああ、と返すアーチーの気配を背中で追う。

彼の家にふたりっきりだ――そういう仲じゃないと認識していても。

私は今、彼のベッドに潜り込む権利を持っているのだ。











 * * *











オーケー、落ち着けアーチボルド。

好きでも無い男に初めてのキスを奪われた、かわいそうな女の子が、

アーチーおじさんを訪ねて来た。

ただそれだけのことだ――そうだろ?

ああ――そうだ。

出来る事ならその男の唇を剥がしてザリガニに食わせてやりたいもんだ。

――落ち着け、アーチー。

とにかく。とにかくだ。

アーチーおじさんは――俺は、の善き理解者で、保護者――みたいなもので、

つまり、恋人じゃあない。

今夜ばかりはに抱く俺の気持ちなんて微塵も、関係、無い。

間違っても変な気を起こすなよ――アーチボルド。

今まで築いて来た信頼を崩すような真似だけは避けなければ。









冷たいシャワーを頭から被って、文字通り頭を冷やしてやった。

一緒に寝なければまず大丈夫だ。

あの歳でお昼寝の真似みたいな事はさすがに求めてこないはずだ。

日々レニーに酷使されている俺の身体は寝付きの良さに定評がある。

あとは朝日が昇るまで、深く深く眠ればいい。

は――可憐だ。

幼い頃からそうだった。

まだ言葉も喋れないうちから、俺はこの腕にを抱いて、時に育てて、

見守って来た。

の笑顔と幸福は、俺の偽り無い願いそのものだ。

大切だ――そうだ。それでいい、アーチー。

母親の居ない家に帰して孤独と不安で枕を濡らされるより、

俺のソファでヌードル啜ってる方が今のにとっては幸せだ。

なんとなく妙に納得が入って、リビングへ戻ると――。

はクッションに頭を沈めて、すやすやと寝息を立てていた。

映画は一番良いシーンだった。

溜息を吐き――なぜか染み付いた親心で、つい頬が緩む。

同時に、自分がひどく切ない表情をしているのだろうな、とぼんやり思う。

――ザマ無い。

柔らかな太腿に腕を差し入れて、の身体を腕に抱える。

――まるでナイト気取りだ。

寝室は二階だから、慎重にを運んでやる。

それにしても本当によく寝ていた。

ひんやりとした真新しいシーツに足を滑り込ませても、

は身動きひとつしないで、健やかな眠りを堪能していた。


「……よっぽど疲れたんだな」


前髪を撫でて、額にそっとキスを――しようとした。

そのつもりだった。

――なのに。

なぜか俺はそれを躊躇い――。

一度怖じ気づいた唇が、再び追ったその場所は――の唇だった。

赤くて、柔らかい――触れるだけで脳が甘く痺れて焼き切れる。

俺は愚かだが、なぜか後悔の念はそこにはなかった。

――なるほど。

男ってやつは本当に馬鹿で、向こう見ずで、酷い生き物だ。






いつか花嫁姿のを横からかっさらいそうなアーチーおじさんを

――どうか許して欲しいもんだ。




















































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ロックンローラ夢。

時系列的には「PRETTY ODD」の前のお話のイメージです。

小娘にゾッコンなアーチーおじさんの秘密。

20120509 呱々音