、本当にいいの?たったそれだけ?」

「 “たった” なもんですか。

 ねえアリス――トランク3つって、私の中じゃ多い方よ」

「私の中では少ない」


寝室の奥、のために設えた大きなクローゼットから、大量にストックしてあった洋服を

山と引っ張り出して部屋中に広げ出したのはアリスだった。

所狭しとドレス、靴、バッグやアクセサリーが陳列されていく。

ソファに腰掛けるの足下には、ロザリーが人魚のように足を投げ出して座り、

の指先に赤いマニキュアを塗っている。

ロザリーは実に慣れた手つきで丁寧に爪を装飾しながら、アリスを援護射撃した。


、アリスの言う通りよ。もっと持っていけば?せっかくのハネムーンなのよ?

 ――まさか同じ服を二度着るつもりじゃないでしょうね」

「ええ。必要とあらばね。私はヴォーグに載るような女優でもモデルでも無いわ」

「そんなの駄目。もったいないわよ。女優より綺麗なんだし、ちゃんと着飾らなきゃ。

 お洒落が嫌いな訳でも、センスが無い訳でもないんだから。

 それに――私たちの母親でしょ」


思わず耳にした言葉に、は愛し気に微笑んで、ロザリーの頭にひとつキスを落とした。


「ああ、ロザリー…貴女には敵わないわね。

 わかったわ。持っていく。

 アリス、適当に見繕っておいてくれるかしら、後で見ておくから」

「もちろん任せて」


クローゼットの奥からアリスの嬉々とした声が飛ぶ。

ロザリーは黙りこくったまま、黙々との爪を塗ってはいたが――まんざらでもないようだった。

こんな風に他愛もなく戯れる妻と娘たちの様子を遠巻きに見届けて、

私はこの胸をほのかに温める幸福の存在を感じた。

夏の夜風に当たりながらバルコニーで読書をしていると、ふとエドワードの気配を感じて私は振り返った。


「すっかり二人に気に入られてる――は大変だな」

「あの子たちも淋しかったんだろう。

 念願の“母親”が出来たんだ――例え“年月”は浅くてもね」


エドワードはおかしそうに喉をくっくと鳴らして首を振った。


「ああ――僕も嬉しいよ。

 エメットだってジャスパーだって、すごく喜んでる。

 みんなが大好きだ――もちろん貴方の思いには敵わないけど」


悪戯っぽく笑った息子の肩を小突いて私たちは声を上げて笑った。

家族という単位でいうのであれば、エドワードの言う通り、

私たちは実にすんなりの存在を受け入れられたと思う。

そこには尊重すべき家族の絆が確かに育っているから。

私たちは皆自らの苦く切ない経験から、信頼し、愛し、慈しむ事こそが

家族という物にとって、最も尊ぶべき存在だと識っている。

それはとて同じ事だった。

彼女は“人間だった頃”から――私たち家族を心の底から愛してくれていたのだから。







娘たちの厳選した衣装を全てトランクに詰め込む頃には、の手持ちの荷物は全てで5つになっていた。

――アリスはもっと持っていけば良いのに!と最後まで不満そうだったが――。

嬉しい喧騒が去り、子供たちが夫婦の部屋を出て行けば、は迷いなく私の胸にすがりついて甘えた。


「ごめんなさいね。うるさかったでしょ?

 つい夢中になっちゃって」


楽しそうに笑う声が、無垢なシルクのように耳を撫ぜる。

私はその心地よさにうっとりと微笑み、の星色の瞳を見つめた。


「あの子たちがここまで君に甘えるとはね――正直驚いているよ。

 は本当によくやってくれている――子供たちを見つめる君の目は、まるで母親そのものだ」


尊敬の念を込めて、私は彼女を賞賛した。

は不思議そうに首を傾げて続ける。


「だとしたら――それはすべて貴方のおかげだわ?

 気付いてないかもしれないけど、子供たちの前で、貴方はいつだって善き父親で、私にとっては善き夫。

 でも二人きりでいるときは、私の事を世界で一番深く愛してくれる人よ――、カーライル」


そして狂おしく笑う。

私の運命を一瞬でさらってしまったファム・ファタール――。

魂の恋人、ソウルメイト――私の心と理性を虚しく奪い去ってしまう程の、本能の共鳴。

それは想像以上に残酷で甘美な存在――。

初めて見た時、彼女は、実の親からの残酷な仕打ちに傷つき、甘え方も泣き方も識らなかった。

生きる術を失い、この世を、実母を、憎み、怯え――絶望していた小さな少女。

辛くも儚く雪のように見目麗しい――。

哀れな少女は私に出会い、恋を知り、愛を識り、あっという間に女性へと形を変えてしまった。

自らの魂を捧げ、呪われた者へと変貌する業は――彼女が自ら望んだものだった。

罪深き私の牙によって、最愛のの魂は地獄へと失われ、死を生きるヴァンパイアの一員となったのである。

生まれ変わった彼女は超越した美貌と、誰よりも深い母性――そして――…。


「…――さて、私は狩りに行ってくるとしよう。

 今夜はあまり遠くへは行かないから。すぐ戻るよ」

「ええ――いってらっしゃい、気をつけてね」


甘い唇に口吻けて、私は名残惜し気に身を引いた。


「カーライル、」


去り際に呼び止められ、振り返る。

そこに佇む最愛の女性は、母親の顔をしながら


「エメットを連れてってあげてね。あの子、退屈しているみたいだから」


と言って笑った。







東の空が明るくなる頃、私とエメットが狩りを終えて帰宅すると、

エントランスにはと私のトランクが堆く積まれていた。

狩りから帰った者が真っ先にする事はただひとつ。

まっすぐバスルームへ行き、獣の匂いをすべて洗い流す事である。

幾度となく繰り返したその行為の最中も今日ばかりはどこか気が逸る。

私の心は浮かれていた。

早々にシャワーを終え、バスローブを纏って寝室へ行けば――、

案の定が私の着る洋服を真剣な眼差しで品定めしていた。


「ねえ――やっぱりこっちの方が良いと思うのよ、淡いブルー。

 貴方に良く似合うもの。カフスはシルバーに」

「私もそう思うよ。その方が君と並んだ時に見栄えがいい」


こんな風に戯れてはくすくすと笑い合う。

何事にも変えがたい、幸せだった。









完璧に着飾って再度エントランスに降り立つ頃には、

先ほどまで山の様に積まれていたトランクは跡形もなく綺麗に消えていた。

エドワードが涼しく微笑んで見せる。


「ああ、カーライル。トランクはもう運んでおいた。エメットの車と、僕のベンツにね。

 ――、すごく綺麗だ」

「ありがとう、エドワード」


ハネムーン旅行の見送りをしたいと言い出したのはアリスだった。

一生に一度しかない事だからと愛らしくねだる娘の我が儘を、は快く承諾した。

結局、私たちを見送るため、子供たちは各々の車に乗り込み、空港まで付いてくる事になったのだった。

こうして私たちは愛する家族に見守られ、夏のヴェローナへと旅立った。














 * * *













まずヴェローナへ来た目的はふたつ。

ひとつは恋人たちのひたむきな愛の象徴であるこの街に、甘美な気持ちで浸る事。

そしてもうひとつは、世界最大とうたわれるオぺラ祭のためだ。

ヴェローナが彼の有名な『ロミオとジュリエット』ゆかりの地である事は言うまでもないが、

はイタリアへ行くならぜひ立ち寄りたいと懇願した。

私がヴェローナではオぺラ祭が熱気を帯びているシーズンだと告げると、

私たちのハネムーンは、迷わずヴェローナに決定した。

古のアレーナ――円形劇場――で行われる野外オペラは、

何度観ても飽きる事はなく、実に素晴らしいものだ。

日中はほとんど室内で過ごすか、あるいは出来る限り肌を隠し日傘をさして移動しなければならないが、

日が暮れてしまえばこちらのものである。

存分に粧し込んでは、夜な夜なオぺラ鑑賞に耽った。

滞在して1週間が経つ頃、一通りの演目を見終えたので、今夜は散歩にしようと提案してみた。

はその誘いに瞳を輝かせる。


「夜のヴェローナ歩きだなんて。それって、すごく素敵だわ」


街中に溢れる愛の囁きを聴きながら、私たちは腕を組み、とりとめも無く街を練り歩く。

祭に活気づく煌やかな夜気の中ですら、荘厳な美しさを誇るの存在は輝いていた。

ポルタ・レオーナを背にして歩けばこの街で一番有名なジュリエットの生家に辿り着く。

さすがにひっそりと暗く、だがそれは私たちにとっては好都合であり、素晴らしい条件だった。

大理石のバルコニーとまた同じように、月が私たちの輪郭を照らし出す。

が人間だった頃、その容姿はまるでお伽噺の姫君と見紛う程、美しく愛らしいものだった。

しかし変身するとその姿は、更に無垢で崇高な美貌を誇り、少しの麗艶さと天性の麝香を纏って

今まで以上に私を狂わせた。

例え呪われた存在の象徴だとしても、は優雅の体現そのものだった。


「――君は美しい」


の顎をすくって、唇を奪う。

この柔らかく豊満な唇の味わいに比べたら、血を吸う行為など遥かに劣ってしまう。

中世の建造物だけが私たちを見守っている。

そう思えば多少大胆にもなる――月明かりの下、私はの唇を求める愚かで純朴な恋の僕と化した。

はその口吻けを寛大な愛で受け止め、応え、そして幸福そうに微笑む。


「――ヴァンパイアになって、君ほど幸せそうに笑う者を、私は見た事がないよ」

「なぜ?貴方がいるんだもの――私には幸せしか無いわ」

…」


愛する女性はうっとりと目を細めて、私の頬に触れた。


「ねえカーライル――私、ヴァンパイアは一種の愛の形だと思ってる。

 ロミオとジュリエットのお話を愛と認めるのと同じ事よ。

 それが例え悲劇と罵られようとも、そこに後悔は存在しないの」


孤独の安寧を彷徨う、空虚な私の存在に、鮮明な衝撃を与えて止まなかった少女――。

今も代わる事無くその愛は日々深まってゆく。

私は最愛の人を、罪深い腕の中にしっかりと閉じ込めた。

例えこの身が地獄の業火に焼かれたとて、この愛が燃し消える事は無いだろう。


「…愚かな私を許して欲しい。

 君の命を奪い、変えてしまった罪の意識はね――…、

 もうとっくに私の中から消えてしまったんだよ。

 欲深くも、無しの人生なんて、もはや――想像出来ない」


華奢な腕は応えるように背中を這う。


「必然に抗うなんて無意味だわ――貴方がそれを罪と呼ぶのなら…、

 私もまた同じように、喜んでその罪を受け入れるわ」


一層強く、抱きしめて――。

その名を呼ぶ毎に、私の心は救われる思いだ。

愛しい人よ――、君は果たしてそれに気付いているのだろうか。














 * * *













次の週、二度目の『アイーダ』を鑑賞し、私たちは愛すべきヴェローナの地を後にした。

荷物の半分は処分し、前もって購入しておいたスモークの強い車に乗り込む。

途中ささやかな狩りを行うため寄り道をしたが、私たちはまっすぐヴォルテッラを目指した。

それはいかようにも軽んじる事の出来ない重要な“務め”――。

私たちヴァンパイアの統率を司る最も高貴な王族――ヴォルトゥーリ一族を訪ねるためにイタリアへ来たのだから。

ヴォルトゥーリの導師である、マーカス、カイウス、そしてアロの三方に、

を新生者として、また妻として向かえた事を伝えなければならない。

私たちが独立したカレン一族として存在し続ける以上、それは必須である。

久方ぶりのヴォルテッラ――。

この天に向かって建つ街は、年月を経ても姿を変える事なく、いつでも私を寛大に受け入れる。

私の生い立ちの全てを知っているは、初めて訪れたヴォルテッラの古き美しさに驚嘆の声を漏らしていた。


「なんて素敵なのかしら――カーライルもここで暮らしていたのね」

「ああ。アメリカへ渡る前だが――彼らには色々教わったよ」


苦い思い出もあるが、良い思い出もある。


「――カーライル、私、少し怖いわ」


その気持ちを頭ごなしに否定する事は、私には到底不可能だった。

なぜならその心情を容易に察する事が出来たから――。

の小さな手を力強く握り、不安を少しでも軽くしてやる頃しか出来なかった。

到着と同時に日は沈みはじめ、私たちが時計塔に入る頃にはすっかり日は暮れていた。

出迎えたのはデメトリ――なるほど、私たちの訪問は、彼によって難なく察知されたのだろう。


「カーライル、お待ちしてました。アロはあなた方に会いたがっています」


残忍な追跡者でもあるデメトリだが、彼は理性的で礼儀を重んじるヴァンパイアである。

私の後ろから現れたを見留めると、ほんの一瞬動きを止めて、しかし実に彼らしく丁寧に頭を下げた。


「…これはこれは――カレン夫人、実に――お美しい方だ。

 初めまして、私はデメトリと申します。以後お見知りおきを」


はそのデメトリのそつない挨拶に、彼女らしい微笑みを返した。


「はじめまして。私は――お出迎え心より感謝致しますわ、デメトリ」


彼は愉快そうに口角を上げると、品の良いコートの裾を翻しながら、

優雅な仕草で私たちを建物の奥へと誘った。

足を進める度に、空気は冷たくなり生気を失っていく――。


「ああそうだ。実は今、少し“立て込んで”いて。でもご安心を。きっとすぐに終わるでしょう」

「…――まさか――“殲滅”を?」


デメトリは喉の奥をくつくつと鳴らして「さすが察しが良い」と笑った。


「“殲滅”って――?」


私が苦渋に顔を歪めたのを見て、は不安げに聞いた。


「――出来る事なら君には見せたく無い」

「つまり“掟に背いた者”を“殲滅”するという事です」


デメトリは愉快そうだった。

私にしてみれば、ヴァンパイアの運命で唯一残された道こそ、この最後の手段であり、それは破滅。

生ける屍は砕かれ、燃やされ、虚無へ堕ち――無に帰すのだ。

そんなおぞましい瞬間に、を立ち会わせる事になろうとは――。

装飾の絢爛な扉を軽々を開けると、開放的なアーチを描く広間に――導師たちは居た。

三人の導師は玉座に腰掛け、アロは――嬉々とし手を広げて私たちを出迎えた。


「今宵は何とも素晴らしい夜だ、善き友カーライル――実に嬉しい。会いたかったぞ」


私は挨拶の代わりにこの手を差し出して、従順に敬意を表した。

は首筋に緊張を張り付け、小さく喉を鳴らした。

しかし――場を攫ったのは、どうやらこちら側だったらしい。

アロだけではない、マーカスやカイウスでさえ、の超越した美しさに魅入られ言葉を忘れていた。

嘗められるように見られて、は居たたまれず控えめに会釈をした。


「アロ――彼女は、私の」

「…なるほど――、彼女が…君の運命の《ラ・トゥア・カンタンテ》――。

 美しい…いや実に美しい」


アロは私の手を解放すると、そっと掌を差し出して、にも同じようにする事を望んだ。

は察し良く、従順に手を差し伸べた。


「…――数千年の時を経てきたが――は素晴らしい……稀に見る美しさだ」

「お言葉ですが…――お眼鏡が過ぎますわ。

 私のような新参者を…あまりからかわないで下さいませ」


そんな風に返す姿すら、アロは甚く気に入ったようで、彼が嬉々としているのがおそろしい程伝わって来た。


「――なかなかおぞましい生い立ちを抱いているね。

 それに――実に興味深い能力を持っている――“血を飲まずとも生きて行ける”と?」


がちらりと私の目を見る。

その瞳の奥には緊張が小さく戦いていた。

私は彼女を諭すように目を配せ、応えてやる事しか出来なかった。


「…いえ、まだ――…正確には解りません――…ですが最後に血を飲んだのは…半年前です」

「しかも動物の血で満足出来ると言うのか――。

 おもしろい――実におもしろい能力だ。

 …――とても気に入った――君を歓迎しよう。――それで問題ないな」


背後に向かって投げかける。


「ああ――それで構わない」

を迎え入れよう」


二人の導師もまた、から目を引き剥がせぬままにそう告げた。

アロは上機嫌に頷くと、の手を解放し――赤い目をギラリと光らせ、を射抜いた。

一瞬にして空気が凍り付く。


「…――と、その前に。小さな問題を片付けてしまおう。

 これではあまりにも落ち着かないからね――ジェーン」


ジェーンが扉を開けると、フェリクスとカイウスに引きずられるようにして“掟に背いた者”が現れた。


、良い機会だ――君も立ち会うが良い」


は私に縋り付き、私は固くの肩を抱いて「心配いらない」と囁く。

アロは“掟に背いた者”を冷たく見据えたまま口端を上げた。

フェリクスの強靭な力にねじ伏せられて、その男は辛うじて顔をアロに向けて、懇願していた。

だが――その願いが聞き届けられる事は万が一にも有り得ないのである。

アロの指が男の首を深くくわえ込み、恍惚と力を与えていく――。

すると男の首は陶器が割れる音とともにもぎ取られ、

今まで存在していたヴァンパイアはたちまちにただの空虚な亡骸へと変貌を遂げ、

実に呆気なく冷たい床にその身を打ち絶えた。

は短く悲鳴を上げると、私の腕をすり抜けその亡骸に駆け寄った。

フェリクスが彼女を捕らえようとしたが、アロがそれを制止する。

は混乱していた。

それはまだ、彼女がヴァンパイアの真実の意味での“死”に立ち会った事が無かったからだ。

あるいは――その優しい心の根本で感じるものがさせる事か――。

見知らぬ男の“死”に、は深く傷つき、顔を悲痛に歪めて、涙で頬を濡らし、

先ほどまで確かに動いていたはずの男の亡骸に、そっと触れた。




――すると――。




男の首が砕けた場所を、の指先がなぞれば――細かな亀裂は再び結合を――始めたのだ。

私は言葉を失った。

も、自分自身に戦慄していた。

慌てて指を離そうとするが、アロがそれを禁止する。


「やめるな――続けたまえ」


抗う事の敵わない絶対的な命令の前に、の指先は震え、訳も解らずその未知の行為を続けるより他無かった。

黙って見守ることしか出来ないこの状況で、の小さな背中が私の胸を激しく締め付けた。

どれほどの刻を費やしただろうか――1時間程経っているのかもしれない。

完全にもぎ取られた状態の首をカイウスが支え、とにかく一度は儚く砕け散った男の首は――完全に結合された。

の――指先によって――。

仕事を成し遂げると、は苦しそうに床に手をついて、項垂れた。

私は我を忘れてに駆け寄った。

力強く身体を支えてやる。


「っ…!」

「カー…ライ、ル」


は喘ぐように私の名を呼んだ。

アロは首の戻った男から視線を外す事無く口を開いた。


「見ろ――実に崇高で芸術的な御技だ!」

「異端的とも言う」

「だが見事だ」


顔を上げるとそこには――砕かれ“死”んだはずの男が、再び立っていた。


「――実に興味深い。

 この男の行く末が、果たして永遠に続くものか――囲い、見届けようではないか」


アロは振り返る。


「…――言ってみたまえ」


は首を振った。


「姫君よ――私に隠し事をしても全く意味を持たないぞ」


「っ、――血が、」


は身体を震わせ、唇を噛み、私の襟を必死に握りしめて耐えていた。


「血が…っ、血が飲みたいわ――、おねがい…助けて…っ!カーライル――カーライル…!」

「アロ」


重く強かに訴える私の口調に、アロは己の欲が急激に冷めるのを感じたらしい。

だがその目はを見つめたまま、更に残忍な何かを思案しているようにも見えた。


「良いだろう…――行きたまえ。

 また会おう――カレン家の美しき《救済者》よ」

「ありがとう、アロ。感謝する」


激しく震えるを抱え、私は凄まじいスピードで車を走らせた。

幸い夜の帳が、私たちの狩りを助けてくれるだろう。

森に紛れ――は哀しい程優雅に獲物を狩り、渇望が満ち足りるまで何度も何度も――血を欲し続けた。











   ・

   ・

   ・












感じるはずなどない疲労の影がの目元に薄暗く滲む。

その瞳は虚ろに月を見つめていた。

口端に残る紅い雫をキスで雪いでやると、は幾分か安堵したようだった。

彼女の中に存在する未知なる能力の洗礼は――運命の悪戯か、必然か――。

砕かれ破壊された同族を、再び元に戻す能力だった。


「…――大丈夫かい」

「カーライル――ありがとう…もう大丈夫よ…、落ち着いたわ。

 …――自分でも信じられない。まさか…あんな能力が、宿っているなんて」


は自分の指先を見つめて身を強張らせた。

つい数時間前、確かに行われた現実離れした光景を反芻しているのだろう。

だがしかし、その未知なる事象を受け止めなければ、私たちヴァンパイアは立ち行かない。

彼女が少しでもその現実を受け止められるよう、その小さな背を出来るだけ優しく抱きしめてやった。

は目を閉じて、そっと囁く。


「ちょっとでもいいわ。これからは定期的に…血を飲んでみる。

 そしたら…ここまで苦しむ必要、無いのかもしれないから。

 まあ…――この能力を使う機会なんて――早々あるとは思えないけれど」


私の目を見つめて、悪戯っぽく笑って見せる。


「なんだか奇妙ね。

 カーライルは人間を救い、私は吸血鬼を救う――後者は明らかに罪作りだわ」

「奇妙なものか。それは…――“君が私を救う”――という事と同じ意味を持つんじゃないのかな」

「カーライル……、」

「おいで


まだ経験も浅く若いヴァンパイアだが、私とは同じ存在となったのだ。

その優しい心を巣食う不安の影を、私の心も未だよく憶えている。

私は孤独の中で稚拙にしかその影を消化出来なかったが――には私がいるのだ。

ならば私がその曇りを晴らそう。

そして、護ろう。

そう――…。

ゆっくりと気付いていけばいい。

の能力は、それこそが一種の愛の形――。

私に向けられた、無形の愛の――“象徴”だと――。

私は信じて、止まないだろう。
































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連載『Rose Crescent』の続編設定で書かせて頂きました。

リクエストして下さった舞美様へ捧げます。

前々から続編には相当な思い入れ(?)がありまして、

今回このように消化できる機会を頂けて、本当に有り難かったです!

ただ勢い余って詰め込みすぎてしまった感が…。ふがいないです。

連載のヒロインが変身してからのお話、お気に召して頂けたかどうか不安ですが、

少しでも表現出来ていれば幸いです…!

本当に、本当に、ありがとうございました…!!!

《ラ・トゥア・カンタンテ》は本編にも出て来た《歌姫》のこと。

彼の血に歌いかける運命の女性、という意味です。

ヒロインの能力は、すべてカーライルに向けられた深い深い慈愛の賜物なんだと思います。

連載の通り、ヒロインはカーライルに対してあらゆる意味で救ってもらったと感じています。

だからこそ自分に芽生える能力は、カーライルという最愛の存在のために

使える物でなければならなかったんでしょうね。

例えカーライルが一度《終わって》しまっても、ヒロインの能力はきっと彼を救うでしょう…

――という妄想です(ニコッ)

くどいようですが、もちろんいつものように、更に余談があります(笑)

タイトルの「孤独な鳥」というモチーフについて。こんなお話が。











今回のタイトル、内容にはあまり関わりありませんが

連載『Rose Crescent』のイメージに近いので、続き物っぽさが出るかなあ…なんて安易に…。

以上です…いつもくどくどとすみません(苦笑)

20110710 呱々音