(はじめに)
こちらはオペラ座・連載「例えこの見が消え去ろうとも、わたしはあなたを愛してる。」の番外編となっております。
固定ヒロイン設定を前提に書かれておりますので、予めご了承ください!
時系列としては14話の詳細―…といった感じでお願いします!

















逢瀬と言うほど色気めいた物では断じて、無い。

しかし。

いくらそう弁護しようとも実際の所私は週2回、

女性が独りで住まうアパルトを足繁く訪ねている。

事も有ろうに私自身の断固とした意志で、彼女―…の身を案じ、

適切な場所としてそのアパルトに囲っているのだから…!

…―これは差別的な意味では決して無い。

が、は豊かな黒髪を持つ東洋人である。

東洋の女性を白い仮面を着けた男が囲う…さぞ珍妙で物好きな聞こえでしか無いだろう!

私も会う度にひしひしと感じるのだが…、

には非常に華がある…彼女はとても、美しい。

パーツの一つ一つこそ東洋人のそれなのだろうが、

彼女を形成するパーツが一人の女性として生を帯びると、たちまち美しさが溢れ出す。

そして私の脳裏には、ドイツの童話に出てくる毒林檎を喰らわされる彼の姫君が浮かぶ。

美しさの代償が毒を含んだ林檎という―…それではにとっての毒は、この私なのでは…?

この見るからに怪しく危険な男に、心底信頼を寄せる彼女の常識外のいじらしさときたら…。

それだけが私の心をこうして奮い立たせ、また心なしか日々に豊かさを植えつけているようだった。

今宵も何処か落ち着かぬ足取りで音も立てずに彼女の部屋の扉を叩く。

軽快なノックから幾許も待たぬうちに、その丈夫な扉は私のためだけに開かれる。

何より私を迎え入れる瞬間のの表情にはいつだって―信じ難い程の―“歓迎”の笑みが湛えられている。

そして私の胸中では、この笑顔を見る事を酷く畏れる自分と、聖杯が如く欲する自分が

互いに目まぐるしい暴力を振るい合っているようにザワザワと荒ぶっているのだった。

そんな情の揺れを悟られまいと、若干身体が強張ってしまうのが解る…。

さてこの様に迎えられるまま、私は立派な雄猫の様にするりと扉を滑り抜け、

彼女の目の前に参上する。


「ボンソワ、マドモアゼル―…」


紳士的の骨頂とも言える仕草で恭しく胸に手を当て頭を垂れると、

の頬は心なしか紅潮し、その表情は安堵するように優しく微笑むのだった。


「ボンソワ、エリック」


特に順序立てした訳でもないのだが…ここへ通うようになって解った事がある。

まず彼女は挨拶と同時に私のマントを預かろうとそのか細い腕を差し伸べる。

最初の内、密林に住まう虎にも勝る私の警戒心がそれを良しとはしなかった。

失礼に当たる事は重々承知はしていたが、しかしながら往々にして地上に私の安息は存在しないのだ。

何時も身を翻し姿を消せる状態である事こそが、私の防衛の魔術なのだから。

差し伸べられる聖なる手から身を護らんと言わんばかりに、

反射的に肩を強張らせる私の様子を見た勘の良い

とてもさり気無くすっと手を退き、それ以上訊いたりする事も咎めたりする事もせず、

私をそんなに広くもないこの部屋のダイニングへと優しく誘ったのだった。

彼女は、寛容だ。

しかし2度3度と訪問を重ねると流石に私の警笛も杞憂の内に弱まり、

夜気を愛撫するようにはためくこのマントは、芽生え始めた信頼を象徴するように、

の腕に預けられる事となる。

彼女は今夜もそれを入り口横に丁寧に掛ける。

いつものように生けられた水々しい花々が視覚的に私を持て成してくれた。

テーブルと揃いの少し古めかしくも品の良い椅子に腰掛けると、

大抵簡単なディナーのセッティングがしてある。

はてきぱきとバゲットやワインを用意し、身体を気遣うような温かい皿を

何か必ず一品差し出して私の向かいに着席して「頂きましょう」と微笑む。

生来私は食の旺盛な性質では無いから、品良くも質素な物を出される方が

信じられぬ程自分にしっくりくるものなのだとこうして知った。

―母などは私に食べるという行為を執拗に迫ったから…その反動なのだろうか―

鶏肉のポトフにスプーンを沈め、温かな心地よさへの言い知れぬ恐怖を飲み下す。

私はこの娘のまやかしの愛に溺れそうになる自分を心のどこかで軽蔑せねばいけない!

私がワインで舌を饒舌にするより早く、の方がおずおずと口を開いた。


「……あの、エリック」

「なんだい」

「私今日ね…貴方の友人と言う方に声を掛けられたの、」


戦慄で血を沸かす様な刺激が一瞬にして私を悪魔的な警戒へと突き落とす。

動揺を隠す事もせず私は危うく中身の入ったワイングラスを叩き割りそうになった。

ある程度は覚悟していたであろうも少し身を硬直させた。

―やはり慎重にしていても人の歪んだ好奇心からこの娘……を護る事は出来ないというのか!―


「―、誰だ、どんな奴だ、一体どこで―っ」

「ナーディルと言う人よ」


怒りにわなついていた手は呆気で収まり、急激に冴えていく脳は

ナーディルが―まだ―私の事を“友人”だと称した事についてぼんやりと反応を示していた。

根拠の無い安堵なのか何なのか知らないが、私は短い溜息を吐くと

少し眉根を寄せ米噛に指を這わせた。


「………―ナーディル………、で―…彼は一体どういうつもりで君に声を掛けたんだ?

 まああの男の事だから大方君の身を案じているだの何だのだと引き止めたのだろう?」


は少し首を傾けると、思い出すような考えるような愛らしい仕草をした。


「ええ、そう…その通り、でも…、ねえ?怒らないで聞いてね。

 買い物を終えてアパルトに戻ったら階段の下に、ナーディルさんが立っていて。

 手短な自己紹介の後にナーディルさんが私に

 “君は彼の正体を知っているのか”と訪ねたの、」


あの男程、私の世界に軽率に首を突っ込んだ者の哀れな末路を知る人間は居ないと言うのに!

私の中でぐらぐらと唸る苛立ちをちらりと認めつつ、は言葉を続けた。


「私…“知りません。彼が誰であろうと興味はありませんから”と答えて、

 急いで階段を駆け上ったわ。私もう部屋に逃げ帰る事に必死で―…」


そこで彼女が弱々しく俯く。

どうやらにとっても唐突すぎた為に、余程の心労だったらしい。

私が何か言いかけようとした時、階段を上る音がした。

古いアパルトの木製の階段が靴音に合わせて少し軋む―…、

まるでそんな音まで聞こえてきそうな位に、私の神経は警戒に総てを傾けていた。

その証拠に私は物の数秒でマントを羽織っていたし、

の手前パンジャブの輪を表に出しはしなかったが―懐に収まっている輪を確かめていた。

この足音が誰にせよ、ナーディルである確証も、他の部屋への訪問者である確証も無いのだ!

懐かぬ猫の様に警戒心をむき出しにする私の姿を見て、

も何かに縋るように胸の前で手を握り込み、扉を睨んだままゆっくりと席を立った。

案の定―…この扉の前で足音は消え、律儀なノックが3回部屋に響いた。

私は素早く部屋中の蝋燭を吹き消した。

ナーディルの名を語った下卑た輩かもしれない。

暗闇の方が何かと勝手が良い。

何にせよ―…我々の平穏が脅かされた事は紛れも無い事実なのだ…!

勢い良く扉を開け放ち、相手の腕を掴み、引き入れ、ねじ伏せる。

鈍い呻き声が聞こえるとは急いで蝋に火を灯し燭台を片手に、

私に動きを封じられた訪問者の顔を優しく照らし出した。

―…ナーディルだ―


「ああナーディルさん…!」

「ッ…昼間はどうも、マドモアゼル、」


捻られた腕の痛みが勝った引き攣る笑顔で挨拶を述べた。

警戒心はむき出しのままだが、おせっかいに嗅ぎ回ればこそのナーディルだというのも

少しは承知しているつもりだったので、腕の拘束だけは解いてやった。

間髪入れずに問い質す。


「一体どういうつもりなんだ!ナーディル」


威圧的な物言いもごまかしも、あまりこの男には通用しないのは知っていたが

苛立ちが勝っているためか今はそんな態度しか取れなかった。

は部屋中の火を灯し終えると、私達を交互に見やりながら不安げに目を動かしている。

ナーディルは深めに被っていた帽子を取った。

彼の顔には数々の苦労の影が滲み、歳よりも随分老けて見えた。

ナーディルらしい気丈な声音が苦々しく言葉を返す。


「…エリック、私は君が重大な過ちを犯すのを防ぎたいだけだ」

「ああ!過ちか。え?君の言う過ちというのは、

 私が珍妙な東洋人の少女を興味本位で囲っていると―そういう事か?」


私は思いのほか幼く傷付き、忌々しげに目線をそらした。

それを見たがそっと私に駆け寄り、哀しげにマントに縋りついた。

―彼女の寄り添う部分が酷く熱を持って煩いくらいに、騒ぐ―

ナーディルの目にも―少なくとも友人と思っているからなのだろうが―私に対する疑念への、

少しの後悔が浮かんだ気がした。

この男はある部分において、私などより何十数倍も繊細な人間なのだ…。

だがナーディルは見開いた目を伏せると、苦々しく笑った。


「……―どうやら私の勘違いだったようだ」

「全く心外な話だ…!ああナーディル!

 頼むから私と彼女…―の事は―そっとしておいてくれ!」

「っ…―。すまなかった…、エリック。

 ………そして嬢、大変申し訳ない事をしました…私は許して頂け無いでしょう」


ナーディルはとても恭しく頭を垂れた。

は戸惑いがちに言った。


「…でも、あの、ナーディルさんは…エリックの心配を、なさって…くれたんですよね…?」

「貴方の心配も―ですよ」


ナーディルはばつが悪そうに笑った。

彼女もつられ、困ったような顔で笑った。


「ありがとうございます…、ですがエリックは私を―…絶望から救ってくれたのですよ」


ナーディルは私をちらりと見ると、そのようだねと言った。


「…君は勘違いがお得意だ」


私はナーディルの姿を見もせず、平静を取り戻そうと悪態をついた。

それを見たは随分安心したようで、気を取り直しナーディルを深夜の晩餐の席に誘う。

しかしナーディルは二人の邪魔は十分しましたとその誘いを丁寧に断り、

闇色の帽子をまた深く被ると、楽しそうにパリの街へと消えていった。






「―すっかりポトフが冷めてしまったね」

「大丈夫。すぐ暖め直すわ」


は私を安心させんが如く無垢で可憐な笑顔で笑う。

彼女は再度ポトフを鍋に戻し火に掛け、冷めたそれを暖め直し始めた。

私はマントを脱ぐと、自らの手で―…コート掛けに吊るした。

少し疲弊した気がする。

の横顔を盗み見れば、また同じ様に緊張の退いた後独特の表情をしていた。

―気丈に…振舞っていたのか…―

私に女性の繊細な感情が解りえるとは思ってもいないし、

まして異性に対し、私は甘やぎめいた期待など一切抱かない!

しかし―…彼女が今宵私に―全幅とは言わずとも―信頼を寄せてくれたのは確かなのだ。


「もう解っただろう―世間では私の身元も信用もほとんど存在しないのさ」


キッチンに立つ小柄な淑女の横に立つと、私は何の意識もせず、すんなり呟いた。


を護るはずが今夜は私が…君に護られたのだね―、」


あまりにも巡り合う機会の稀少な護られるという行為。

そして危うさも省みずこの娘は―愚かにも―私を信じた。

いつだって彼女は私の白い仮面を畏れず、私の目を直視し、愛しげに微笑む。


「エリックは良いご友人に恵まれたじゃない。

 私も負けてられないって、思ったの」



矢張り私は―真意を量りかねる。


だが―…、彼女が作った温かなポトフの味を私は、忘れない。


















★::::★::::★::::★::::★

渚さまよりリクエスト頂きました!

「連載の固定ヒロインで、番外編でこんなこともありました。な感じで」

とのお達しでした!!

番外編なんて書かせて貰えるとは思っていなかったので

とっても嬉しかったですし、停滞気味の連載の

良いリハビリ効果になった感たっぷりです(反省してます…)

調子に乗ってナーディルとの接点みたいになってしまいましたが、

まだ地下帝国―つまり告白未満―なのでちょっと初々しい懐かしい…

でも親しげな二人が久々に描けてハアハアでした!!

もう、とにかく、なによりも、

遅くなった事を死ぬ気でお詫びさせて下さいごめんなさい!!!

所詮この程度のヤツではございますが、

感謝の気持ちだけはもっさり盛り込ませて頂きました。

これからもLiliana.を宜しくお願いいたします…!!

あとうちのエリックも…!(苦笑)

本当に本当にご参加、どうもありがとうございました!!!!

心より愛を込めて!!!

20080817 狐々音